1984年 ダラスGP

Honda F1の2期目となる挑戦は、1983年に始まりました。1964年~1968年の初挑戦から15年もの歳月が経ち、F1はターボチャージャー+1.5ℓによるハイパワー化の波が押し寄せつつある時でした。1980年にヨーロッパF2選手権に参戦したHondaは、1983年半ば、スピリットF2の改造シャシーでF1にテスト参戦。一方でウィリアムズとパートナーシップを結び、エンジンを供給を開始します。ウィリアムズは1980年と1981年にコンストラクターズ・タイトルを連覇したトップチームです。

そして、1984年からウィリアムズ・ホンダ体制でのフル参戦が本格的に始まります。初勝利を成し遂げたのは、アメリカ合衆国の南西部テキサス州ダラスの市街地コースで行われた一戦。1982年ワールドチャンピオンのケケ・ロズベルグがドライブするウィリアムズFW09・ホンダが優勝を飾ったのです。

この一戦は、長いF1史のなかで特殊なグランプリとして記憶されています。Honda第2期F1の初優勝であるとともに、コンディションが非常に厳しいなかで行われたレースで、開催自体が適切かどうかという状況下で行われたレースだからです。極端に荒れた路面によって脱落者が続出するなかでの勝利は、ロズベルグの剛腕と勇気あるドライビングがもたらしたものとも言えました。そして、ダラスでのF1グランプリはこの1戦のみとなり、ロズベルグとウィリアムズ・ホンダは、史上唯一のダラスGP優勝者となったのです。

第9戦ダラスGPは、カナダ/デトロイト/ダラスという、北米3連戦として開催されました。ダラスのフェア・パーク内に一周3.901kmの特設コースが完成したのは、レース開催直前でした。コース全体はコンクリートウォールとフェンスに囲まれた狭い市街地サーキットで、過去10年間成功していた西海岸カリフォルニア州のロングビーチに倣った形で作られました。そのロングビーチ戦が1984年以降CARTインディカー戦開催となり、それに代わる形でダラスがF1カレンダーに加わったという経緯がありました。しかしその週末、仮設コースを走り始めた各ドライバーからはクレームが続出しました。路面は酷く荒れてパンピーで、ランオフ・エリアは不十分、マシンの挙動は定まらない危険な状況だったからです。急遽路面補修が施されるものの、ターボパワーによってかえって路面の剥離も起こり、走ればさらに危険度が増していきました。

1984年7月8日、ダラスの気温はどんどん上がり、40℃近い猛暑に見舞われました。前日に開催されたCan-Amレースによって路面はさらに荒れていましたが、運営側は掘られた穴にセメントを流し込む応急措置を施し、スタート予定時刻の午前11時の90分前になんとか表面上の修復を終えています。当時、決勝当日の朝に設けられていた30分間のウォームアップ走行は、遅延された後、結局キャンセルとなりました。そして、レース周回数は当初予定の77周から68周に短縮されることが発表されました。

グリッドには26台のF1マシンが並びました。ロズベルグは予選8位、チームメイトのジャック・ラフィトは予選25位からレースに臨んでいます。

序盤からレースは波乱となりました。1周目からスピンやコースアウトが続出して、開始15周で7台がリタイアを喫しています。フロントロウからスタートしたロータスの2台が1-2態勢を敷いていた19周目、追い上げてきたロズベルグが前を行くエリオ・デ・アンジェリスから2番手を奪います。首位のロータスのナイジェル・マンセルはペースを上げて逃げますが、27周目のミスで3秒を失い、その背後にロズベルグが迫ります。そして36周目、マンセルが壁に接触したチャンスを逃さず、ロズベルグはマンセルに並びトップを奪いました。直後にマンセルは反撃に出ましたが、危険なアタックにロズベルグは拳を挙げて怒りを示しました。結局、マンセルは首位争いから脱落しています。

レース終盤、首位争いはロズベルグとマクラーレンのアラン・プロストの戦いとなりました。49周目にロズベルグをオーバーテイクしたプロストがトップに立ち、その差を広げていきます。プロスト優勝と誰もが思った最終盤の57周目、巧者と呼ばれたプロストがウォールにヒットし、右フロントタイヤがパンクしてストップ。これでトップに立ったロズベルグは、2番手と大きな差を保って走行を続けます。レースは2時間が経過し、予定より1周短い67周でチェッカーフラッグが振られました。ロズベルグは、ウィリアムズ・ホンダ待望のトップチェッカーを受け、優勝を成し遂げたのです。出走26台中、完走したのは8台というサバイバルレースでした。リタイア原因に「hit wall」と記録されたマシンは13台でした。

ウィリアムズ・ホンダにとってはジョイントを始めて10戦目、ロズベルグはこの年開幕戦ブラジルGPで2位表彰台に立ったものの、それ以降は4位やリタイアを繰り返した後の勝利でした。もう一台のウィリアムズ・ホンダはジャック・ラフィットが粘りの走行で4位となり、初のダブル入賞を達成しました。

スリリングかつ劇的な展開で優勝を遂げたウィリアムズ・ホンダとロズベルグへの賞賛が寄せられた一方で、レースの安全性やコースの開催基準などに大きな一石が投じられた大会でもありました。ウィリアムズ・ホンダが挙げた発展途上での勝利は、ロズベルグの大きな功績と言えるものでしたが、この後トップチームへ登り詰める道筋の第一歩として、意味のある初優勝となりました。