高い安全率を担保するための創意工夫
ライダーにとって扱いやすい特性。そして長時間、長距離を走っても壊れにくい設計。まるで一般の量産車のような諸元がNXR750のエンジンには求められた。それでいてライバルを向こうに回しながら、初参戦のパリ~ダカールラリー(以下「パリダカ」)で勝たなくてはいけない。こうしたハードルをいくつも超えながら無敗の4連覇を果たせたのは、外乱に影響されず人に優しい物作りに徹したからだった。
破断分割式のクラッキングコンロッドの採用
どんな場面でもライダーが安心してスロットルを操作できるよう、NXR750(以下「NXR」)のエンジンは高い耐久保証性が求められた。それを実現するための創意工夫が随所に見て取れる。代表的なのは破断分割式のクラッキングコンロッド、通称「カチ割りコンロッド」の採用だ。いまでこそカチ割りコンロッドは量産の高性能エンジンを中心に採用されている技術だが、1980年代初頭の二輪ではほとんど普及しておらず、Hondaでは、NR500以来の採用となった。
不安が残る大端部のプレーンメタル
V型2気筒は、単気筒並みのエンジン幅に納められるのがメリットのひとつだ。それをさらに切り詰めるためにはクランクを一体式にするのが定石で、そのほうが強度的にも有利だ。となると、コンロッドの大端部は二分割式となり、そこに板材を半円形に曲げた形のプレーンメタルを組み合わせるのが一般的な作りだ。
しかし、信頼性はプレーンメタルよりもニードルローラーベアリングのほうが高い。パリダカにおいては、オフロード走行での激しい車体の揺れや大きな姿勢変化によるオイルポンプのエア噛み、つまり油膜切れや砂漠ゆえの異物の噛み込みが懸念された。何しろ、そんな走行環境が約2週間、総距離約1万kmにもおよぶのである。よって、プレーンメタルの採用は考えられなかった。
ただ、ニードルローラーベアリングを採用するには、コンロッド大端部が恒常的に真円形状を保持しなければならない。わずかでもガタがあると、組み込まれるベアリングの揺れなどによって耐久性の低下が問題となる。不測の事態等でコンロッドの分解と組み立てが行われれば、そのたびに組み付け精度が変わってしまう可能性が極めて高い。真円度の保証には、ニードルローラーベアリングと一体式コンロッドはセットで使用されるのが望ましいのだ。
だからこその「カチ割り」コンロッド
幅や強度を考えるとクランクは一体式だ。コンロッドは整備性を考えれば二分割式となるが、プレーンメタルは避けたい。そこにニードルローラーベアリングを使うには、二分割した大端部の真円度が必要になる。そのための製法、それがカチ割り式だった。
簡単に言えば、これは鍛造成形したコンロッドの大端部を叩き割る(破断する)ことで分割するもので、その破断面の凹凸がぴったり一致するため高い真円度を実現できるのである。
実際にはコンロッド材料の選定や破断方法(温度管理や割りかた)など複雑で、分割式コンロッドよりも工数自体は少ないものの、その製造には非常に手間のかかるものであった。
果たしてニードルローラーベアリングの採用により、クランク周りの保証性を高めたのと同時に、エンジン各部に強制的に給油するオイルラインを設置。これにより、通常はクランクシャフト下にある大きなオイルバスが必要なくなり、完全に独立したミッション室にエンジンオイルを溜めるエンジン内オイルパン方式が採用できた。この意味は大きく、最低地上高を稼ぎたい車体レイアウトの自由度向上にも寄与したのである。
Vバンクのあいだに収まる二連装キャブ
NXRのキャブレターは、基本的に量産車と同じ負圧で開閉するRCVキャブレター※1が採用された。理由はエンジンの出力特性が比較的マイルドだったこともあるが、何よりもライダーにとってスロットル操作が負担にならないよう、軽い操作性を求めたからである。さほどスペースに余裕のないVバンクのあいだに二連装で収まるよう、その構造はホリゾンタルとダウンドラフト※2の中間くらいの角度を付けた特注品とした。
※1 RCVのCVとは、Constant Vacuumの略で、負圧式気化器という意味。エンジンの吸気によって生じる負圧を利用して混合気を流動させる。Rはレーシングの略。
※2 車体に搭載する際の、キャブレターの設置角度のことで、ホリゾンタルとは水平設置、ダウンドラフトとは垂直に設置することを指す。理論上、吸気経路が直線で結ばれれば混合気の吸気効率は上がる。より直線的になれば、その設置角度は不問。吸気抵抗を下げるためには、エアクリーナーボックスの位置も重要になってくる。
オフロードといえどもエアクリーナーエレメントは乾式
エアクリーナーボックスは燃料タンク内側中央部にレイアウトされ、防塵性と吸気効率の両立を狙って、幅が約30cmという大型のサイズとした。そのなかに入るエレメントは乾式である。一般的に湿度に強いといわれる湿式エレメントは、その表面に塗布したオイルに砂が付着し目詰まりしやすいためパリダカには不向き。乾式であっても本番では相当量の砂が付着することになったが、取り外して軽く叩けば砂が落ちる点でメンテナンスは容易であった。
アフリカに騒音規制がないため当初はほぼ消音機能なし
排気系は初年度の1986年モデルだけが2本出しで、1987年モデル以降はアルミサイレンサーが装着される2 into 1の集合タイプとした。そもそもは、開発時のベースマシンとなったRS750D(本連載 第二回 参照)が2本出しだったためだ。
また、主戦場が騒音規制などないアフリカ大陸ゆえ、全く消音を考えていなかったため当初排気音は爆音で、アフリカに入る前のリエゾン(移動区間)となるフランス国内における騒音規制に対しては、デュフューザーパイプの追加で対処した。しかし、参戦初年度を終えてライダーから「音が大きすぎるので、もう少し抑えてほしい」という声が上がった。いわく、疲れるし眠気も誘うというのだ。フランス国内の音量規制も年々厳しくなっている傾向もあったため、1987年モデルからは消音を意識すると同時に、性能を考慮した合理的なレイアウトが採用された。
静かなる優等生による偉業
結局NXRは、エンジンの基本設計を全く変えずに4年間を戦い抜いた。モデルごとに若干出力の違いはあるものの、それは圧縮比やバルブタイミング、吸排気系の変更によるもので、毎年熟成・最適化してきた証でもある。
もちろん、完璧だったわけではない。カウンターシャフトのオイルシール抜けや製造ロットの違い(部品精度のバラつき)によるコンロッドボルトの破断、アフリカ特有の粗悪ガソリンに起因するエンジンブローなども発生し、危うく優勝を逃しそうになったこともあった。ただ、エンジンの基本的な部分が原因となるトラブルは起こらず、そのことが4年連続でパリダカ優勝を成し遂げた大きな要因となった。
実のところ、NXRは絶対的なスピードでは決してパリダカ最速ではなかったかもしれない。しかし、開発当初からそこは狙っていない。(本連載 第一回 参照)
大事にしたのは、出力、扱いやすさ、快適性、耐久性、そして燃費といった項目を高い次元でバランスさせること。それができたからこそライダーから信頼され、パリダカで勝つためのベンチマークとなる模範的なエンジンとなったのである。(つづく)
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