栃木県芳賀郡茂木(もてぎ)町。1997年、Hondaはこの地の里山に、“人・自然・モビリティの豊かな関わり”ができる場として、「モビリティリゾートもてぎ」を開設しました。リゾート内の自然体験施設「ハローウッズ」では、夏休み期間、全国から集まってきた20人余りの子どもたちが30泊31日を森の中で過ごす「ガキ大将の森キャンプ」が行われます。
もてぎの森で、子どもたちはどのような体験をしているのでしょう。
解剖学者の養老孟司さん、日本体育大学教授の野井真吾さん、そしてハローウッズ森のプロデューサー・﨑野隆一郎さんによる座談会から、環境や子どもに対して、Hondaができることを考えます。
養老孟司 (ようろう たけし)
さらに表示野井真吾 (のい しんご)
さらに表示﨑野隆一郎 (さきの りゅういちろう)
さらに表示人と自然とモビリティの融合を目指して
「モビリティリゾートもてぎ」の建設当時、もてぎのサーキットを取り囲む森は、人々から忘れ去られた存在でした。エンジン音が聞こえる森に一歩足を踏み入れると、そこは物言わぬどんぐりの海。長年放置されたもてぎの里山の森は荒廃していました。
そもそも、リゾートの「開発」と自然の「保全」は、相反するもの。サーキット建設がモータースポーツファンにエンターテインメントを提供した一方で、もてぎの自然環境に多少なりとも影響を及ぼした、というのは変えられない事実です。
Hondaがその矛盾と真っ向から向き合い、自然環境の回復と維持を目指したのが、「ハローウッズ」の始まりです。
「豊かな里山を甦らせるため、まずはしっかりと手入れをする必要があったんです」
そう語るのは、﨑野隆一郎さん。ハローウッズ森のプロデューサーとして、もてぎの森の環境改善に取り組んでいます。
森の元気を育むことで、子どもたちが元気いっぱい遊べる場所にしたい。それが、ハローウッズ創立時の、Hondaの想いでした。
30泊31日キャンプで教える、たった4つの道具
ハローウッズでは2002年夏から、自然の中で30泊31日を過ごす「ガキ大将の森キャンプ(以下、ガキ森キャンプ)」を開始しています。
全国各地から集まってきた小中学生は、もてぎの森にテントを張って寝泊まりをします。「ベースキャンプに、トイレや水道はありません」と、﨑野さん。里山の自然の中で、子どもたちに必要な道具は4つだけだと言います。
まずは「ナイフ」。野菜の切り方、魚の捌き方、木の削り方などからメンテナンスの方法まで、道具としてのナイフの使い方を教えます。
次に「火」の扱いです。自分で火がおこせないとご飯は食べられないのが、キャンプの決まり。子どもたちに渡すのは、マッチと飯盒(はんごう)と、食べる分のお米だけ。自分で炉を作り、燃料を探し、焚き付け用の小枝を拾いに行くんです。
3つ目の道具は「バイク」。モビリティリゾートもてぎ内にある「交通教育センター」にて、バイクスクールに挑戦します。
子どもたちは、風を切って走る心地よさや楽しさ、遊びの中にもルールやマナーがあることを学びます。坂道発進や八の字走行などにチャレンジして、整備されていない、平らではない山道でバイクを乗りこなします。
さらに、去年からは4つ目の道具として「デジタル」の要素を取り入れることにしました。これからを生きる子どもたちに、デジタルは絶対について回るもの。キャンプ期間中、プログラミング学習用ソフトを使ってみたり、専門家による教室を開いたりして、この分野への理解を深めてもらおうというものです。
今は、これら4つの道具の使い方や付き合い方を教えています。
このような道具を使って、子どもたちは森でどんな生活を送るのでしょう。
キャンプのプログラムの中には、火おこしやロープワークといった生きるためにやることの他、カヌーや熱気球に乗るアクティビティや、養老先生による「昆虫教室」などがあります。そしてキャンプの最後には集大成として、もてぎから那珂川を伝って約60km、歩いて太平洋まで辿る旅に出ます。
一見すると過酷なガキ森キャンプですが、毎回定員を大きく越える申し込みがあります。﨑野さんによると「キャンプを経験した子どもたちはみんな、とっても元気になる」そう。子どもたちに一体何が起こっているのでしょうか。
里山の自然で1ヶ月過ごすと子どもはどう変わるのか
ガキ森キャンプのスタートから5年後の2007年、子どもたちのからだを研究する野井さんがプロジェクトに加わり、それからは「子どもたちの元気」を数値で測定するようになりました。
ガキ森キャンプの様子を目にしてまず、子どもたちの毎日の生活リズムがとても整っているなと感心したんです。だったら、眠りのホルモン=メラトニンの分泌量を測定してみよう、ということになりました
野井さんは、睡眠・覚醒機能、前頭葉機能、自律神経機能の3つの項目で、専門的観点から子どものからだと心の変化を調べてみることにしました。
結果として、長期キャンプは子どもたちの発達不全や不調を改善し、からだと心を元気にする要素が内包されているものだという結論になったのです。
都市型の生活を送ってきた子どもたちは、キャンプ生活で人間の本来のリズムを取り戻し、元気になっていきます。
睡眠・覚醒の指標となるメラトニン分泌量を見ると、キャンプ開始から数日、遅くとも1週間でパターンが一気に良くなってくるのが分かります。このデータを見ていて、ある時ふと、子どもたちのキャンプ生活は「日の出・日の入りの時刻と連動している」ということに気がつきました。太陽の光を浴びて活動し、暗さを感じて休息を取る。人間ってそういうリズムで生きている動物なのだとつくづく感じます。
野井さんがハローウッズの長期キャンプを研究して10年以上。近年は身体活動量や受光量などのデータも計測し、より多角的に子どものからだと心の変化を追い続けています。
養老さんも「子どもは自然の生き物。自然の中にいる方が元気というのは当たり前のこと」と、野井さんの意見に頷きます。
均一に整備された環境、いわゆる都会に置かれていると、動きも思考も単調になってしまいがちですよね。自然のように統一感がなく、多様性が高い環境の中で、不規則に動き回ることが大事なんです。不便を経験して、一つひとつ乗り越えていくことで、自然の法則やルールを学んでいく。そして、自分は外の世界とつながっている存在だという、当たり前のことに気が付きます。
野井さんによる、子どもたちのからだと心の研究データは、「キャンプ参加の1ヶ月前」、「キャンプ参加中」、「キャンプ参加の1ヶ月後」の各期間で計測しています。
ガキ森キャンプが終わり、日常生活に戻ると子どもたちのからだはどうなるのでしょう。
キャンプが終わると子どもたちの生活リズムは元に戻ってしまいます。制約の多い普段の生活で「早く寝なさい」と言われても実現できない子どもたちが、自由なキャンプ生活では自然と早寝早起きができる。これってなんだか皮肉なものですよね。
それだけ日常の方がおかしい、ってこと。時折ではなく、日常を真面目に変えていくことを考えないといけませんね。
どんなに失敗してもいい、自分で気づく力を育む
﨑野さんがプロデュースするガキ森キャンプの中で「やったらダメなこと」は、ほとんどありません。「危険なこと以外は、見守っているだけ」という、不自由であり自由でもある生活なのです。
ある年、檜の林に畑が欲しくて、子どもたちと一緒に抜根作業をしたんです。これがなかなか重労働なんですが、子どもたちは目をキラキラさせて「何メートルでも掘ってもいいんですか?」と、楽しそうに作業するわけですよ。普段の生活では、壊す、穴を掘る、なんて御法度。日常生活で、ダメダメと言われていることが森では自由にできるんだから、すごく生き生きとするんです。
ガキ森キャンプの中で、子どもたちは自由にものづくりをします。材料も作り方も、自分の好きなものを好きなように。
「この大きな丸太をなんとかしたい!」なんて子どもの無茶な計画にも、﨑野さんは決して「無理」と言いません。
自分で『この木は重くて動かない』というのを体験すれば、できないと納得することができる。そうすれば、だったら自分が動かせるサイズはどれくらいなのか、移動させられて、扱いやすいものは何か、自分の頭で考えるようになっていきます。
自分で自分のすることを毎日決める。自由に活動をして、自分の頭で物事を考える。何が起こるかわからない自然の中での生活は、想像力が鍛えられますよね。
子どもたちが自由に活動をすると、必ず“失敗”が起こります。しかし「“失敗”こそ、子どもたちの成長の糧」だと、野井さんは力を込めて話します。
現代社会は、やりたいことが制限され、子どもたちは自由に失敗すらできない状況です。でも、失敗ってチャレンジの証。結果だけでなく、チャレンジした事実、そこから得るものは何だったのかをもっと見つめるべきだと思います。
キャンプでは、ナイフで指を少し切っても消毒して絆創膏を貼ったら作業を続けさせますし、バイクでいくら転倒しても根気強く向き合います。失敗することをいとわない環境づくりを意識しているんです。
だって、逆上がりができる子って、できるようになるまでに何十回、何百回と失敗しているからできるようになるんですよ。今の社会では、99回失敗し続けられる子がいない。10回失敗して泣いたら大人がやめさせてしまうんだから。どんなに失敗し続けてもいい、とにかく挑戦し続ける環境が大事だと思います。
30泊31日という長い期間を森で過ごす子どもたち。この期間で存分に不便や失敗を経験し、それを自分の力に変えていくのです。
環境と子どもへのアプローチをどう続けていくか
Hondaの創業者である本田宗一郎氏は、「Hondaは99の失敗をして、一つの成功で大きくなった会社だ」と言っています。私自身もたくさん失敗してきたし、会社はそれを認めてくれる。ハローウッズのキャンプでの子どもとの向き合い方は、Hondaの企業としての姿勢に通ずるものがあります。
人と自然(環境)、モビリティとの共存を考えるHondaの取り組みについて「やらなくてもいい、余計なことがわざわざできるのが、今の時代は大切」と、養老さんが続けます。
都会の人工的な環境にあるものって、全部意味のあるものですよね。一方で、自然の中って、無意味なものだらけ。石は転がっているし、鳥は鳴くし、虫は歩くし。大人はすぐに「そんなもの一体何になるの?」なんて理由を聞きたがりますが、それは悪い癖です。効率や利益を考えず、「余計なことをあえてやる」のは大事なことです。
それで言えば、Hondaは遊びがわかっている会社なのではと感じます。Hondaのブレーキとアクセルには、遊びがありますから。
Hondaが子どもや自然環境に目を向け、養老先生のいう「余計なこと」をすることで、回り回ってそれが社会の営利になっている。それって、体力がある成熟した企業でないとできないことですよね。
文明と自然が共生するこれからの未来において、私たち大人は、環境のため、そして子どもたちのために何ができるのでしょう。答えのない課題に、Hondaは今日も向き合い続けます。
ガキ森キャンプが、全国の学校でできるようになればいい。自分で自分のすることを毎日決めて、自由にやっていく。子どもたちが自然の中で、元気よくハッピーでいられたらいいですね。
木々や雨風の音、子どもたちの笑い声に鳥やムササビの鳴き声、そして心沸き立つエンジンの音…。もてぎの森には今日も様々な音が共存しています。
養老孟司さんのYouTubeチャンネル「【公式】養老孟司」において、同日に行われた3人による座談会の模様が公開されています。Honda Storiesとはまた違った内容となっていますので、ぜひご覧ください。
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人間の生活スタイルが変わり、森の木や植物を伐採することがなくなると、光が当たらなくなります。ハローウッズで私たちは、山の草を刈り、木を切り、森に光を取り込む「意図的撹乱」を行っています。さらに、森に生きる生物との共存を考えた生態系の「保全」、伐採した際に出る材を使って生き物たちの棲み家や隠れ場所を作る「多様な環境作り」など、里山の自然を甦らせる手入れをしているんです。