太陽の家、中村博士との出会い
「どうしてだ?
涙のやつが出てきてしょうがないよ」
本田宗一郎
Hondaの障がい者支援のはじまりは、大分の整形外科医 中村裕博士との出会いにさかのぼります。当時は、障がいを持つ人たちが働くこと、社会に出ることすらも難しい時代。中村博士は「障がいを持つ人の本当の幸せとは生産活動に携わり、社会人として健常者と共に生きることにある」と考え、1965年に支援施設として「太陽の家」を創設しました。
1978年1月、中村博士の案内で「太陽の家」を見学した本田宗一郎は「どうしてだ?涙のやつが出てきてしょうがないよ」と語ったのち、力を込めた声で「よし、やろう。Hondaもこういう仕事をしなきゃだめなんだ」と、大きな挑戦を決意。障害を持つ人たちに就業の機会を与えたいと、「ホンダ太陽」設立を進めたのです。