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MONTHLY THE SAFETY JAPAN●2003年3月号

2002年の交通事故死者数は8,326人(前年比−421人、−4.8%)と過去最悪の死者数を記録した1970年の半分以下となりました。また、発生件数は93万6,721件(前年比−1万448件、−1.1%)、負傷者数は116万7,855人(前年比−1万3,100人、−1.1%)と過去最悪を記録した昨年を下回りました。この減少は何によってもたらされたのでしょうか。効果をあげた施策を考えるとともに、さらなる交通事故減少をめざして、今後どのような課題があるのかをお二人に話しあっていただきました。
石川 昨年の死者数に占める高齢者の割合は37.8%で、一昨年が36.8%でしたから、むしろ高齢者の割合が高くなっています。人口に占める高齢者の割合は18%ですから、単純計算で人口シェアの2倍以上の割合でお亡くなりになる可能性があるということです。
さらに、驚かれると思いますが、交通事故死者数の半分以上が高齢者という県が7県あります。そうした県は事故の抑止、即ち高齢者対策であるということにもなるわけです。高齢者の死亡事故の内訳をみますと、自転車事故と歩行者事故が圧倒的に多くて、自転車乗車中の全年齢の58.3%、歩行中では62.9%が高齢者です(右図)。ですから自転車対策イコール歩行者対策イコール高齢者対策といっても過言ではありません。
さらに過去10年間の死者数を年齢層別にみると、それぞれの年齢層で死者は減少しているにもかかわらず、65歳以上の高齢者だけが1992年の2,991人から2002年の3,144人と増加しています。高齢社会はますます進み、人口全体に占める割合は現在の18%から2015年には26%、2050年には36%になることが予想されています。日本の社会発展に貢献された高齢者の方が交通事故という不幸な状況で亡くなられることはなんとしても防がなくてはいけないと思っています。
長江 高齢ドライバーの問題でいえば、全体の流れに乗らずにスピードを控えめにして走る高齢者がいますが、これは物がよく見えていないため、運転に不安があるからです。適性検査では異常がなくても、実際の運転では遠くが見えないことがよくあって、それで不安になるわけです。自分の視力にあったメガネをかければ、普段の生活も、運転をするときも、非常に楽になると思いますが、そうした安全運転の前提となることを意外と多くの高齢ドライバーがご存じない。今の情報化社会の中でたくさんの情報があるにもかかわらず、自分に一番適した情報を入手する術を知らないという、安全運転教育以前の問題もあると思います。
石川 物事を多面的に見ることがなかなかできにくくなって、自分中心に物を見るところに最大の交通安全意識の問題があるのかなと思いました。といいますのは、幼児から小学生にかけては、交通事故にあわない教育をやってきて、その延長に中学校、高校での教育もあって、加害者の側からの教育が欠けていたのではないか。免許を取得するために教習所に通って、初めて事故を起こさない教育を受ける。
欧米ではまず自転車教育の頃から、「自転車は対歩行者との関係では強者ですよ」という教え方をする。ですから年齢とともに、弱者だけではなく強者にもなりうるという認識をもって免許を取得していく。日本ではどちらかに偏ってしまいがちで、歩いている、自転車に乗っているときは弱者。クルマを運転するとすぐ強者に変わる。道路交通だけでなく、すべてにおいて両面性があるという教え方ができにくくなっています。
ただ幸いなことに、高校においては、1999年度から移行的に実施されていた加害者側の視点を盛り込んだ交通安全教育が、2003年度からは全面実施になりますので、プレドライバー教育として多面的な視点を教える土壌が整いつつあります。
長江 高校になると通学方法も多様化します。歩く、公共交通を利用する、自転車で通学する、そして原動機付自転車(以下原付)通学の場合も出てきます。ところが、自転車は小学生ではないんだからといってきちんと教えない。公共交通機関の使い方も教えない。原付になって初めて安全教育をやらなくては、となるわけです。そして3年生になると今度は普通免許を取れる年齢だから四輪だけ学ぶ、となるのです。生徒の人生や生活の中には、様々な交通手段が存在しているのに、原付教育となると原付教育のみで、その前の歩くこと、自転車、あるいは高校を卒業するときにはドライバーになっていることと切り離して教えられる。なんとなく前後の関連がはっきりしていないのです。他者との関係において考えさせることが、非常に有効だと思うのです。「自分が相手の行動でいやだと思うことは何か」「それをあなたがやっていないか」と考えさせる、本当の意味で役に立つ教育へ変えていくことが必要です。
石川 警察でも交通事故で家族を亡くされた遺族の方が、事故や違反で行政処分を受けた人に対する講師として、体験を踏まえたお話をすることが各地で精力的に行なわれています。やはり当事者からのお話ですから、切実に「自分がやってしまった結果によって、これほど悲しみ、苦しんで涙を流している方がいらっしゃる」ということがよくわかる。さらに加害者の家庭の崩壊といった話も交えて、自分の行為がいかに悲惨なことをもたらすのかを考える場を提供するという意味では、非常に効果的な教育になっています。このように「考えさせる教育」へシフトしていくべきだと思います。
−−道徳的な教育的ではなく、運転スキルがあるようにメンタルスキルとしてきちんと考える時期にきているということですね。企業などの安全運転教育はどのようになっているのでしょうか。
長江 基本的に企業のドライバー教育は、事故を起こせば直ちに経営に、そして本人の成績にはね返るという切実な問題意識で取り組んでいるわけですから、臨場感が違います。ただし、最近は安全運転管理者や運行管理者の努力で事故が減ってくると、次に何をしていいのかわからないという声も聞きます。常に身近で起こった問題を自分の問題として捉えていくことを大事してくださいとアドバイスしています。一人ひとりのドライバーに「あなただったらどうするか」というように問題提起をして、自分で考えて話をさせることが大事になっています。「教育」の「教える」ことだけが取り上げられて「育む」ことが欠けているように感じます。
長江 アクティブな高齢者が増えていますから、家庭をカバーするような地域での活動、町ぐるみで高齢者が一定の役割を担う草の根的な活動が、これから地域の活動として出てくる気がします。
−−高齢者教育の場合、シルバーリーダーをどうするかも課題ですね。
石川 私はリーダーが特別な人でなければならないということはないと思っています。交通安全教育の先生はすべてのドライバー、すべての交通に参画する人がリーダーであるべきでないでしょうか。交通安全とは国民一人ひとりが主役であって、主役であることは当事者であるのと同時に先生の一人でもあると思うのです。そういう指導者としての役割を、多くの方々が様々な場で果たしていくことによって、日本が世界で最も交通において安全な国になる、それが理想の社会なのかなという気がします。
――どうもありがとうございました。

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