第4章 進化する教育プログラム開発
地域の交通環境の改善を目的とした
鈴鹿モビリティ研究会が発足
1993年に安運本部が協力して鈴鹿市につくった「鈴鹿モビリティ研究会」は、鈴鹿市のより良い交通環境の推進と交通安全教育プログラムの開発・教育などを目的に活動を開始した。
最初に着手したのは、STM(スズカ・トータル・モビリティ)プロジェクト。鈴鹿市民とともに市内の交通環境の改善を通して交通事故を減少させることを目的に、1993年5月、Hondaの地域貢献プログラムの一つとして発足した。鈴鹿市には国道1号と23号という2本の国道が市内を通過しており、分散した都市構造であることから公共交通機関の利用が進まず、交通事故は地域の大きな課題となっていた。そこで交通事故の実態調査のほか、交通安全教育などの啓発活動や市内における交通調査、市民の交通に関する意識調査を実施した。
事故分析においては、パソコンに地図を導入し、市内で発生した交通事故の実態を様々な切り口で地図上に表現できるシステムを構築した。鈴鹿市の道路や建物等の詳細な情報が入った2,500分の1の都市計画基本図がパソコンに入力されており、交通事故が起きると、その事故情報を地図情報に入力。入力にあたっては、出力時に必要に応じて色々な形で取り出せるように設計された。市内全域での事故分布の可視化は、地区別、路線別、個々の交差点ごと、学校の通学区域ごと、ショッピングセンター周辺など、自由に地点と地域を設定して事故情報を取り出せる。さらに、これらの情報を事故種別、事故類型別、法令違反別、時間帯別、年齢別などの属性でも見ることができる。
問題となる地域、地点を様々な角度から明らかにすることにより、道路や交差点などの道路環境の改善に役立て、交通事故を減少させることが期待された。市民から毎日のように打ち上げられる改善の要求に対し、その優先順位をデータで示すことにより、効果的に施策を推進することが可能になった。また、地域や学校・職場などで安全指導や教育などを行う際、対象となる参加者のカテゴリーに応じた身近な交通事故の具体的なデータを提供することで、教育効果をより高めることにつながった。
子どもに最適化した交通安全教育
「あやとりぃ」を開発
鈴鹿モビリティ研究会では、かねてからHondaが培ってきた危険予測のノウハウやSTMプロジェクトで得た知見を活用し、子どもにとって身近な存在である保護者や学校の先生、地域の方々と一緒に、交通安全を知り・気づき・学べる交通安全教育プログラム「あやとりぃ」を開発した。「あんぜんを・やさしく・ときあかし・りかいして・ いただく」の言葉から、その名はつけられた。
小学3〜4年生向け交通安全教育プログラム「あやとりぃ」 と授業風景
交通ルールは、日常生活の中でとても身近なものであり、生活から切り離すことはできない。だからこそ、行動範囲が広がる幼少期から学齢期の子どもたち、増加している高齢者に向けた交通安全教育は重要だ。しかし、1回の体験や学習で交通安全を身につけることは難しい。そのため、自分で考え・気づき・理解できる教材の開発や、仲間と楽しく学べる集団学習を中心とした、くり返し学べるプログラムを蓮花一己・帝塚山大学教授の監修を受けて構築した。
基本コンセプトは「危険予測のトレーニング」。交通規則を教えるだけでは応用が利かないため、子どもの興味をひくための工夫を凝らしている。例えば交通手段の基本ともいえる「足」に興味を持たせる「動物の足型」当てクイズや、足型取りなどの体験学習を導入部に組み込み、自分で考えて安全に行動できる能力を育てることをねらいとしている。1995年から鈴鹿市内の小学校で3年生を対象に研究授業として実施され、その効果が認められたため、1997年に同市内の全市立小学校に教材が提供された。
また1999年には4〜5歳の幼児を対象にした「あやとりぃ ひよこ編」が完成。ワークシートやCDを使った音当てなど幼児が興味を持てるよう工夫をこらし、楽しく飽きずに交通安全教育を受けられるようになっている。
4〜5歳の幼児を対象にした「あやとりぃ ひよこ編」
路上での危険を知るため
危険予測トレーニング(KYT)教材の開発
交通安全教育において、実車を使った教育には限界がある。特に路上での危険を実車で実体験させることは困難だ。こうした課題の解決に向け、安運本部ではソフトの研究開発活動を強化する必要があるとし、2つの取り組みに着手した。
一つは、危険予測トレーニング(KYT)教材の開発だった。路上にはどのような危険があるのかを運転者に知ってもらうことが必要だと考えたのである。KYTは1970年代にドイツで始まった手法で、日本では1974年に長山泰久・大阪大学名誉教授が初めてKYTによる安全運転教育を行っていた。交通教育センターでは1980年代からKYTのペーパー教材を制作し、『RFTによる交通安全教育フォローアップシステム』(RFTはRISK FORECAST TRAININGの略)を1990年に完成させてからは、顧客の各企業に積極的に配布。企業・団体の安全運転研修での講義に使用していた。
KYTを普及させるための教材づくりにあたっては、プロジェクトが組織され、交通心理学の学識経験者グループとの共同研究が始まった。題材となる危険場面は実際に起きた事故事例をベースにするなど、より現実に即した教育ができるように工夫された。そして、1996年に「交通状況を鋭く読む〜危険予測トレーニング〜四輪車用」のテキストブックが完成(二輪車用は1997年)。交通事故分析に基づいた危険場面200ケース(二輪車編は50ケース)のイラストで構成されており、単なる危険の発見にとどまらず、事故が起こる原因や運転者の心理も学べる教材となった。
学識経験者グループのメンバーであった長山名誉教授は完成時に「真に身につく学習ができる教材が開発された。なぜ、このような危険が生じるのかという背景まで知り、『ああ、そうか』と実感して初めて、本当に危険を知ったことになり、本当に身についた安全行動がとれる」と語った。この「交通状況を鋭く読む」は多くの企業・団体でKYTの教材として活用され続けている。
1996年に刊行された「交通状況を鋭く読む〜危険予測トレーニング〜四輪車用」
危険を安全に体験するシミュレーターの開発
ソフトの研究開発活動における安運本部のもう一つの取り組みは、混合交通状況下でのKYTができる教育機器の開発である。「どうしたら、路上で起こりやすい事故を安全に体験しながら学べるか」。その解決策として検討していたのがシミュレーターによる教育だった。ライダーは運転免許を取得すると、すぐに路上に出ることになる。その際の戸惑いを少しでも軽減するため、免許取得前に路上教習に代わって安全かつ教育効果が上がる形の手法として、シミュレーターで教育ができるソフトの研究に着手したのだ。
二輪シミュレーターのハードについては、1988年から開発を先行させていたため、これにKYTができる教育ソフトを加えることになった。
シミュレーター上に現れる危険場面や、それに至るシナリオづくりでは、交通事故統計だけでなく、社内に蓄積された従業員のヒヤリハット集や、様々なライダーの運転時の視線移動をアイカメラで調査した結果などが参考にされた。運転技術を磨くのではなく、初心者に現実の混合交通のなかで起こりうる危険を数多く体験してもらい、危険予測能力を身につけることに重点が置かれた。
実験用の二輪シミュレーターは1991年に完成し、鈴鹿サーキット交通教育センターを中心として約3,000人を対象に教育効果の検証を重ねた。そして、1993年の東京モーターショーにおいて「Hondaライディングシミュレーター」を発表。さらに「二輪では路上教習ができなくても、それに近い教習をやれば事故の低減につながる」と、安運本部は二輪免許教習のなかにライディングシミュレーターを活用した教習の導入を関係諸官庁へはたらきかけ、1996年からの大型二輪免許教習制度の施行に合わせて、自動車教習所でシミュレーター教習が取り入れられることになった。
実験用の二輪シミュレーターによる教育効果検証の様子
それに伴い、二輪の特性や法規走行が体験できる機能を追加し、1996年2月に世界初となる教育用のライディングシミュレーターが完成。この時点では、どの教習所もシミュレーター教習についての指導ノウハウを持っていなかったため、同年4月、安運本部内に教育機器課を発足。ライディングシミュレーターを購入した全国各地の自動車教習所に課内のスタッフを派遣し、教習指導員に対して指導方法を伝える研修を実施した。教習指導員に好評だったのはマルチアイシステム(走行再生機能)。Honda独自のもので、事故やヒヤリハットに至るプロセスを運転者の視点だけでなく、多角的な視点から再生できる。これにより、自分の走行を客観的に振り返ることができ、教習生に気づきを促す指導が可能になったことが多くの教習指導員に評価された。
1997年にはライディングシミュレーターに高速走行や白バイの訓練用の新ソフトなどを追加。それ以降も改良が続けられていくこととなる。
1996年に発表された「Hondaライディングシミュレーター」
インターネットによる情報発信
安運本部ではかねてから交通安全の啓発を目的とした情報発信に力を入れ、新聞広告はもとより、テレビ・ラジオ番組、映画制作を行ってきた。また、紙媒体でのテキストや教材、カリキュラムの制作も重要な施策として注力してきた。1990年代を迎え、インターネットが登場すると、その活用方法について安運本部内でも議論が高まった。
そもそもインターネットの本格的な普及は、パソコンのOSであるWindows95の登場がきっかけだったが、パソコンが一家に1台、1人1台には程遠い状況だった。そんななか、Hondaが公式Webサイトを立ち上げた。当時はパソコンの処理能力が低く、通信速度も遅いため、情報はテキストが中心。大きなサイズの画像は掲載が難しかった。
安運本部では「交通安全への取り組み」と題したWebサイトを公開。活動内容と交通安全情報紙『SJ』記事のダイジェストを掲載していた。
安全運転普及活動はアジアを中心に世界へ展開
1990年4月、シンガポールで2ヵ所目となる自動車教習所、Bukit Batok Driving Centre(BBDC)がブキ・バト地区に誕生した。
カナダでは1990年6月にセーフティ・ライド・センターが開設された。
1994年3月、タイの二輪販売会社A.P. Hondaがサムロンに交通教育センターをオープンした。バンコクに隣接する町サムロンのHonda工場敷地内に建設され、約6,000平方メートルのなかに、ブレーキング、スラロームなどの二輪訓練コースおよび教育棟を備え、バンコクの交通警察官の安全運転研修に協力し、指導力への評価を高めた。その後、タイの交通事情を反映した独自の取り組みをスタートさせた。活動のベースになっているのは、タイ全土から集められた4,300件のヒヤリ・ハット体験だ。二輪車の走行状況やライダーの動作などから、特に頻度が高い30のケースを抽出し、教育カリキュラムや店頭での指導テキスト等に反映させた。この新しい活動は、副首相、交通関係者から高い評価を得ることになった。
スペインでは1993年5月、スペインでのHonda二輪の製造・販売を行うモンテッサHondaが、カタロニア州の新社屋に二輪専用の運転訓練施設「HEC(Honda Escuela de ConducciÓn)」を完成させた。
一方、トルコの首都イスタンブールにおいて、1995年にHonda車を製造・販売するHondaアナドールが設立された。同国内で二輪を健全なイメージで広げていくため、「安全」を中心に据え営業活動が行われた。中近東の安全活動拠点(交通安全教育のモデルケース)と位置づけるための試みだった。
さらに、1998年にはブラジル、そして、1999年にはベトナムに交通教育センターがオープン。特にベトナムは「Honda」がバイクの代名詞になっているほど、Honda車が使用されている国であり、二輪車のトップメーカーとして、安全運転普及を通じて交通社会に貢献する意義は大きなものがあった。
1990年代、日本の交通教育センターには、海外インストラクター養成研修を受けるため、韓国・シンガポールのスタッフらが訪れたほか、中国とは継続した安全運転教育の情報交換を行い、大連の白バイ隊の安全教育に協力した。このように、1990年代は安全を通じた海外交流が活発化した時期だった。
スペインでの実技スクールの様子と現地で使用されたテキスト
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1990 東西ドイツ統一
1991 湾岸戦争勃発
1995 阪神・淡路大震災
1997 香港返還
1998 長野五輪開催