もてぎ試走会での走行風景。写真は横浜国立大学のマシン。
「全日本学生フォーミュラ大会」(以下、全日本大会)は、学生たちがチームを組んで、フォーミュラスタイルの小型レーシングカーを設計・製作し、その性能と企画力、技術力などを総合的に競うイベント。公益社団法人 自動車技術会の主催で行われています。2015年の全日本大会は、去る9月1日(火)〜5日(土)に静岡県の小笠山総合運動公園(通称「エコパ」)で開催されました。
その全日本大会に先立って、製作中のマシンによる試走会が各地で行われます。大会を約10日後に控えた8月20日(木)〜21日(金)に、栃木県にあるHondaのモータースポーツ関連施設「ツインリンクもてぎ」で自動車技術会 関東支部が主催する試走会が開催されました。このもてぎでの試走会(以下、もてぎ試走会)は、毎年恒例となっており、Hondaは協賛企業としてバックアップを行っています。
会場は「北ショートコース」。この試走会の目的は、ただサーキットを走ることではありません。走行前の注意事項や動的ルール※1を再確認するドライバーズミーティング、安全に走行できる仕様になっているかどうかの審査、もしもの火災発生を想定したドライバーの脱出テスト、そしてブレーキテストを含む車検も、本番の全日本大会さながらに行われます。
そういった数々の課題をクリアし、条件を満たしたチームだけが、コースでの走行に臨めます。クリアできなければ、残念ながら走行することはできません。
しかし、学生たちが1台のクルマをつくるとあって、直前になってもマシンに問題があるチームは少なくありません。実際にこの試走会でも「クラッチが切れない!」「エンジンから異音がする!」といったトラブルや「サスペンションが規定量ストロークしない!」などの問題が解決せず、走行に至らないチームが…。
プロフェッショナルの現場ではあり得ないような事態ですが、勉強の合間を縫って忙しく製作に取り組んでいる学生たちにとっては、致し方ないことなのかもしれません。
※1 動的ルールとは、全日本大会の審査項目のうち「動的審査」の項目であるアクセラレーション、スキッドパッド、オートクロス、エンデュランス、燃費に関するルールのこと。静的ルールとは、コスト、プレゼンテーション、デザインに関するルールのこと。動的審査にエントリーするには、車検に通ることが必要です。
「次世代の技術者を育成したい」との想いで、ボランティアとして活動を続ける技術者集団「マイスタークラブ」。
もてぎ試走会の魅力は、学生たちを支える、Hondaを定年退職した技術者集団「マイスタークラブ」の存在です。前述のように、試走会に課題を抱えたマシンを持ち込むチームは少なくありません。さらに、コース走行中に思わぬマシントラブルに見舞われるチームも。クルマづくりのイロハを学んできたといっても、想定外の事態に素早く対応するには、学生たちの知識と技術では不十分なところもあります。
そんなとき、トラブルの解決に向けてアドバイスをしてくれるのが「マイスタークラブ」のスタッフです。かつてHondaのモノづくりで培った豊富な経験を生かし、的確かつ効率の良いサポートを行っています。
しかも、この「北ショートコース」には「マイスタークラブ」が活動の拠点とする「ドリーム工房」が併設されています。本格的な工具を備えた室内ガレージがあることから、大がかりな修理が必要になっても、すぐに対応することができます。このように本番直前の「もてぎ試走会」は、学生たちにとって、“駆け込み寺”のような存在でもあるのです。
今回の試走会でも、マシンにトラブルが発生したチームに「これじゃあ、キリがないよ…」と苦笑いしながらも、改善策のアドバイスを行っているマイスターの姿が見られました。
また、あるチームは、走行前になってエンジンから異音が発生! いち早く察知したマイスターが、試走の取りやめとドリーム工房内へのマシンの搬入を指示。こうして、学生たちは屋内の作業スペースで、エンジンを分解して問題を検証し、トラブルを解決することができたのです。
マイスタークラブ 久野冨士夫さん
「学生から元気をもらっています」
現役時代は、二輪車の生産管理などを担当していました。「マイスタークラブ」に加わってからは、10年くらいかなあ…。“すべてゼロ”といってもいい状態から手探りで始めたから初期の頃は何かと大変だったけど、最近は支援の内容が整ってきたように思います。とはいえ「ドリーム工房」では、昔を思い出しながらマシンを測定する治具を自作するなど、やることは意外と多くあります。でも、それもすべて、未来の技術者たちを育てるためですから苦にはなりません。むしろ、頑張っている学生たちのモノづくりに対する情熱に接することで、こちらも熱いエネルギーをもらっています!
マイスタークラブ 飯倉計彦さん
「女性ならではの感性も生かしてほしい!」
現役時代は、完成車の検査を担当していました。ドライビングポジションやメーターの見やすさを研究する部署にいたこともあります。完成車の検査を担当していた経験から、マシンの全体的なパッケージングについては、学生たちにアドバイスできることが多いと思っています。現場作業についてはそろそろ新しい世代に席を譲ろうかなと思うこともあるけれど、自分が必要とされる以上は、継続して関わっていきたいと考えています。今回の参加チームは女性メンバーが少ないようですね。だけど、どんどん参加してもらって、女性ならではの視点を生かして、ぜひ力を発揮して欲しいと思います。
学生フォーミュラで製作するマシンに搭載するエンジンは「4サイクルエンジンで排気量610cc以下」という規定があり、多くのチームは、協力企業が提供する二輪車用のエンジンを使用しています。
この日のもてぎ試走会に参加したチームで、Hondaが提供するエンジンを搭載していたのは6校。その中で、上位入賞経験もある横浜国立大学(以下、横浜国大)のメンバーにインタビューを行いました。横浜国大は、試走会で車検を順調にパスして、精力的に周回走行を実施。全日本大会での活躍を予感させてくれたチームです。
レーシングスーツ姿でマシンに乗り込んだ秋山さん。
「僕たちは、学校公認の部活動であるモータースポーツ部のフォーミュラ部門として活動しています。この部門は2003年に設立され、2005年から大会に参加しています。現在の部員は21人。大会は毎年初秋なので、現役メンバーとしては、3年生の秋で代替わりとなり終了します。しかし、4年生や大学院生になっても頻繁にアドバイスをくれる先輩たちもいます」
こう教えてくれたのは秋山直輝さん。理工学部機械工学・材料系学科の3年生で、チームのテクニカルディレクターを担当しています。「僕の役割は、マシンそのものに関する設計方針やセッティングを取りまとめることです」と秋山さん。チームには、ほかに、日程や予算の管理、あるいはプレゼンテーション審査への対応なども含めた全体を束ねるチームリーダーがいるとのこと。実際にマシンを走らせるための技術面を指揮するリーダーと、全体を統括するリーダーを別に設定することで、円滑なチーム運営を目指しています。
「マシンの設計や製作に関する部分は、さらにシャーシ班やパワートレイン班などがあり、それぞれにリーダーがいます」と秋山さん。今年は、理工学部機械工学・材料系学科2年生の山本康平さんがシャーシ班を、同じ学科の3年生である笠原彬宏さんがパワートレイン班をリーダーとしてまとめています。
基本的には、本人の希望を尊重しながら、適性を判断して担当を分けているそうです。ちなみにドライバーの選任については「お世話になっているカート場で練習をして、テクニックを磨いていきます。その中で、ある程度の適性が判断されます」と秋山さん。自身も今年、ドライバーとしてハンドルを握りました。
横浜国大のメンバーが学生フォーミュラに参加するようになったきっかけは、大きく分けて3タイプ。「皆の意見を集約すると『クルマが好き』『モノづくりが好き』『チーム運営をしてみたい』というタイプに分かれると思います」と、秋山さん。
秋山さんが「そもそもクルマが大好きで…。横浜国大への進学を決めたのも、学生フォーミュラをやっていることを知っていたから!」と言うのに対し、山本さんや笠原さんは「モノづくり全般が好きで、こういう活動を通じて大きなモノをつくってみたい、と思ったんです」と話してくれました。
一方、3人とはちょっと違った要素に惹かれて参加したのが、理工学部建築都市・環境系学科2年生の中田亜紀さん。「大学に入ったら、人とちょっと違うこと、記憶に残ることをやりたいと思っていました。この活動を知ったとき、プレゼンテーションやデザイン審査など、将来の役に立ちそうなことが多く、興味を持ちました」と、クルマを製作する活動のなかで、実際に走らせることや自分の手でモノをつくることとは別の部分も重視しています。
自動車メーカーがクルマをつくる場合にも、各分野のエキスパートが必要となります。同じように学生フォーミュラのチームも、さまざまな学生たちの集合体として成り立っているのです。
直線コースを疾走する横浜国大のマシン。
「横浜国大のクルマづくりは9月にスタートします」と秋山さん。「つまり、全日本大会の終了と同時に翌年の活動が始まります。9月中にはフォーミュラカーのコンセプトや諸元を決定。その年のうちに各部品の設計を終了し、CAD(設計ソフト)上でマシンの全体像が組み上がります。そして、春休みを使って一気に製作。完成すると、まずは校内の直線道路を利用してシェイクダウン(初テスト走行)。その後、カート場で走らせたり、さまざまな試走会に参加したりしながら、徐々に性能を高めていきます」
今年度の目標について聞くと「初の“総合優勝”です。前年の大会では、動的審査で高い成績を収めていたことから、今年は静的審査のレベルアップを目指して、書類作成の早期着手などを進めてきました。カウルデザインは、性能と美観を両立したものにするなど“商品”という観点を意識し、速くて意匠性に富んだマシンの開発を進めてきました。また、ディフューザーや3Dプリンタを用いたサージタンクなど、チーム初となる技術も取り入れながら、マシンの性能向上を図りました」と熱く語ってくれました。
「僕たちは、Hondaのエンジンを使用しているので、いつも『マイスタークラブ』やHondaの従業員の方々にお世話になっています。すごい実績を持つ大先輩が、とても身近で的確なアドバイスをくださるので、全日本大会直前となる時期にこの試走会に参加する価値は、とても高いと考えています。今回も、僕らが考えていたのと違ったセッティングの方向性について、マイスターの方々から貴重なアドバイスをいただきました。技術のある人が外からちゃんと見ていてくれるというのが、とにかく頼りになります! 今年のもてぎ試走会では、未完成の部分がありましたが、大会直前におけるマシンの状態を確認する有意義な場となりました」
横浜国大のチームの皆さん。
本田技術研究所 四輪R&Dセンター 宇佐美雅貴
「全日本大会の国際化に役立ちたい」
私自身は大学時代、自動車同好会でレース活動をしていましたが、学生フォーミュラチームには所属していませんでした。しかし、顧問が同じ教授だったので、いつも近くで見ていた学生フォーミュラに興味を持っていました。Hondaに入社し、同じ出身大学の学生フォーミュラOBでもある先輩から「興味があるなら関わってみないか?」と誘いを受けました。また同時期に、大会支援スタッフをHondaが派遣していることを知り、参加することになったのが、この活動を始めたきっかけです。
2014年から「スチュワード・通訳」と呼ばれる役職を務めています。スチュワードとは学生の困りごとをサポートする役割です。特に海外のチームは車検や各イベントにおいて、技術的にも言語的にも多くの困りごとが発生します。外国人に対するタフネスと言語力を活かし、大会期間中は海外チームを付きっきりでサポートすることも少なくありません。
昨年は大会が終わる際に、インドチームから「あなたとマイスタークラブがいなかったら私たちは何もできなかった。本当にありがとう。」と言われたことも。こういった一言がこの活動を続けていく原動力になっています。
本田技術研究所 二輪R&Dセンター 馬場雅之
「この経験が学生たちの大きな財産に!」
2010年から、学生フォーミュラに関わっています。全日本大会では、プレゼンテーション審査員を担当。今年はその統括リーダーも務めます。一方で、もてぎ試走会では、Hondaのスタッフという立場で事務局側の役割を担っています。
また、私は二輪の研究所に勤務していますので、業務の傍ら、Hondaの二輪エンジン搭載チームからの各種の問い合わせにも対応しています。近年は、燃料系のセッティングに対する質問が多くなっています。学生フォーミュラ活動は、学生たちが主体となって「考える」ことがテーマです。ですから、もちろん正解は知っていますが、あえてそれを言わないようにしています。これが、意外とつらいところです(笑)。学生フォーミュラは、我々自動車メーカーがやっていることの縮小版。学生時代にこれを経験することは、たとえ自動車関連の技術者にならなくても、必ずや将来の大きな財産になると思います。