ヒストリー
![夢と情熱を胸に、果敢な挑戦を重ねていく。](./images/1950_main.jpg)
夢と情熱を胸に
果敢な挑戦を重ねていく
従業員34人、資本金100万円。浜松の小さな町工場からのスタートであった。
描いた夢に向かって情熱のまま駆け抜けた。事業はカブ号F型の発売を機に構築した
独自の販売網と優れた二輪製品で急成長。ホンダはスーパーカブC100の日米ヒットや
マン島TTレース出場を経て、二輪業界で確固たる地位を手にする。
![四輪市場への進出。二輪車の舞台は世界へ](./images/1960_main.jpg)
四輪市場への進出。
二輪車の舞台は世界へ
好調な景気を背景に、モータリゼーションへの関心と期待が高まる日本。
四輪市場への進出に向けて体制づくりを進めていたホンダは、
1963年ついに初の軽四輪トラックT360を発表。四輪メーカーとしてのスタートをきった。
一方で二輪車は、より大きな市場での可能性を求め世界に向けた挑戦を始めていく。
![創業期の想いと理念を継承、新時代に挑む](./images/1970_main.jpg)
創業期の想いと理念を継承、
新時代に挑む
排出ガス規制やオイルショックの影響でクリーンかつ低燃費なクルマが求められた時代、
ホンダは画期的な低公害エンジン「CVCC」の開発に成功。
搭載したシビックが日米で大ヒットした。そんな中、
1973年には本田宗一郎と藤澤武夫がともに退任。
創業期から展開期に向かうための爽やかなバトンタッチが行われる。
![世界企業への成長 新時代に向けての飛躍](./images/1980_main.jpg)
世界企業への成長。
新時代に向けての飛躍
シティのヒットを筆頭に四輪車の主要商品がベストセラー化。
海外においては現地生産体制の拡充が加速する。
二輪車ではファミリーバイク市場の激しいシェア争いが続いた。
またこの時代は、世界企業に向けて飛躍するための仕込みも行われ、
世界各国をネットワークで繋ぐ特質補完体制の構築が進められていく。
![改革と市場への挑戦で危機を乗り越える](./images/1990_main.jpg)
改革と市場への挑戦で
危機を乗り越える
バブル崩壊。市場ニーズの変化をつかみきれず、これまでにない
経営危機に直面したホンダは、全社的なTQM(総合的品質管理)を導入し、
四輪国内販売台数80万台を目指す「80万台体制計画」を断行。
販売不振を巻き返したクリエイティブムーバー(生活創造車)は、
その後の四輪事業を支える大きな転換点となった。
![激しい逆風に立ち向かい自主自立を貫く](./images/2000_main.jpg)
激しい逆風に立ち向かい
自主自立を貫く
21世紀に展開する、すべての活動の指針としてグローバル・ブランドスローガンに
「The Power of Dreams」を設定。合従連衡の時代にあっても
自主自立で生きる意志を鮮明にした。プロダクトにおいては
センタータンクレイアウトを採用したフィットや燃料電池車FCXクラリティなど、
新世紀のホンダにふさわしい先進創造を相次いで打ち出していく。
![異次元への挑戦。社会と紡ぐ新たな夢](./images/2010_main.jpg)
異次元への挑戦。
社会と紡ぐ新たな夢
世界同時不況が続く中、ホンダは世界各地の自立的経営を推進する
「世界六極体制」を構築。各地域のニーズに合った商品づくりを目指した。
また、その戦略は2030年ビジョンの実現に向けて発展的に進化し、
「ものづくりセンター」の開設など、さらなる成長を遂げるための
大胆な事業運営体制改革につながっていった。
生活の可能性が拡がる喜びを、
すべての人に提供する
すべての人に「生活の可能性が拡がる喜びを提供する」ことを目指した
2030年ビジョンの実現に向けて、世界中の一人ひとりの「移動」と「暮らし」の進化を
リードしていくことを宣言。活動指針である「喜びの創造」「喜びの拡大」「喜びを次世代へ」の
3つの視点をもって、企業姿勢である「質の追求による成長」を進めていく。
人の役に立ちたい。
新しい価値を生み出したい。
その「想い」を
先人たちは「夢」と呼び、
経営の場で、ものづくりの場で、販売の場で、
そして世界中の現場で、実現に挑んだ。
これは、75年にわたる先人たちの
「夢」の足跡であり、
これからのホンダの「想い」を
導く道標である。