ヒストリー

本田技研工業 75年史 サイトトップへ

チャレンジの軌跡

人の笑顔のために。誰もが不可能だと諦めるような品質や技術、
あるいはスピードに果敢にチャレンジし続けてきたHondaの軌跡をご覧ください。

1950年代

夢と情熱を胸に、果敢な挑戦を重ねていく。

夢と情熱を胸に
果敢な挑戦を重ねていく

従業員34人、資本金100万円。浜松の小さな町工場からのスタートであった。
描いた夢に向かって情熱のまま駆け抜けた。事業はカブ号F型の発売を機に構築した
独自の販売網と優れた二輪製品で急成長。ホンダはスーパーカブC100の日米ヒットや
マン島TTレース出場を経て、二輪業界で確固たる地位を手にする。

スーパーカブC100(1958)
耕うん機 F150(1959)
カブ号F型(1952年)

「良品に国境なし」を証明した独創のプロダクト

スーパーカブC100(1958年)

「手の内に入るものをつくれ」という本田宗一郎の言葉のもと、誰にでも扱いやすいサイズや機能的なデザインを追求。それまでにない新しい乗りものとして誕生した。50ccでは量産が困難とされていた4ストロークエンジン、レバー操作不要の自動遠心クラッチなど、数々の新機軸を惜しみなく投入。今なお一貫したデザインコンセプトを守り続け、世界中で愛されている。

働く人を助けたい。その想いが生んだ「赤い旋風」

耕うん機 F150(1959年)

戦後、高齢者や女性が中心だった農家の重労働を、自分たちが持てる技術で楽にさせてあげたいと開発したHonda初の耕うん機。エンジンの倒立配置による低重心化などの革新的技術や手元集中操作などで扱いやすさを徹底追求。工業製品を赤く塗るという、当時なかった斬新さも伴って、発売と同時に爆発的にヒットし「田畑を真っ赤に埋めるホンダ旋風」とも言われた。

DM戦略で普及した自転車用補助エンジン

カブ号F型(1952年)

戦後復興とともに補助エンジン付自転車が重要な移動手段となり、数え切れない競合商品がひしめく中「白いタンクに赤いエンジン」の斬新なデザインで一世を風靡。また当時専務であった藤澤武夫の大胆なアイデアのもと、全国の自転車販売店にカブ号F型の魅力を紹介したDMを発送すると応募が殺到。400店余りしかなかった販売網が約1万3,000店まで拡大した。

    1960年代

    四輪市場への進出。二輪車の舞台は世界へ

    四輪市場への進出。
    二輪車の舞台は世界へ

    好調な景気を背景に、モータリゼーションへの関心と期待が高まる日本。
    四輪市場への進出に向けて体制づくりを進めていたホンダは、
    1963年ついに初の軽四輪トラックT360を発表。四輪メーカーとしてのスタートをきった。
    一方で二輪車は、より大きな市場での可能性を求め世界に向けた挑戦を始めていく。

    N360(1967年)
    ドリーム CB750 FOUR(1969年)
    発電機 E300(1965年)

    「Nコロ」の愛称で親しまれたマイカーブームの火付け役

    N360(1967年)

    大人4人が楽に座れる室内に、最高出力はライバル車を上回る31PS、さらに31万3,000円という驚愕の低価格。かわいい姿から「Nコロ」の愛称で親しまれた。設計にあたっては「メカは小さく、人のための空間は大きく」という発想のもと室内の広さを最優先。「M・M(マン・マキシマム メカ・ミニマム)思想」として、今もホンダの四輪開発の基本となっている。

    世の中に巻き起こったナナハン・ブーム

    ドリーム CB750 FOUR(1969年)

    量産二輪車として世界初の並列4気筒SOHCエンジンに、油圧式ディスクブレーキ・ダブルクレードルフレーム・4本のマフラーなど、新たなチャレンジの集大成として誕生。最高出力67PS、最高速度200km/hという他社フラッグシップモデルを凌駕する性能を発揮し、大型バイクを象徴する「ナナハン」という流行語も生むなど、それまで欧州車主導だった勢力図を完全に塗り替えた。

    片手で持てる画期的なポータブル発電機

    発電機 E300(1965年)

    耕うん機、船外機に続き、レジャーユースの商品がほとんどなかった発電機市場でハンディータイプの発電機E300を発売。「機械的な要素を見せず、使う人に安心感を抱かせるように」という本田宗一郎の言葉通りスイッチ類は丸いノブとし、ネジ頭部も極力表に出さないよう設計。フルカバーされた家電を思わせる斬新なキュービックデザインが誕生、世界中の様々なシーンで愛用された。

      1970年代

      創業期の想いと理念を継承、新時代に挑む

      創業期の想いと理念を継承、
      新時代に挑む

      排出ガス規制やオイルショックの影響でクリーンかつ低燃費なクルマが求められた時代、
      ホンダは画期的な低公害エンジン「CVCC」の開発に成功。
      搭載したシビックが日米で大ヒットした。そんな中、
      1973年には本田宗一郎と藤澤武夫がともに退任。
      創業期から展開期に向かうための爽やかなバトンタッチが行われる。

      シビック(1972年)
      ME(ミリオンセラー)エンジン・シリーズ(1977年)
      ロードパル(1976年)

      世界の人々のためのベーシックカーになることを目指す

      シビック(1972年)

      国産小型車のほとんどがFRのセダンだった当時、シビックはトランクのないFFの2BOXとして四隅いっぱいにタイヤを配置。独創的な「台形ハッチバックデザイン」により、それまでにない居住性を実現。国内外で高い評価を獲得し、その名のごとく世界の街角に溶け込んでいった。1973年には、低公害エンジンCVCCを搭載したモデルも登場。

      「100万台売れるエンジンを開発せよ」

      ME(ミリオンセラー)エンジン・シリーズ(1977年)

      無謀とも思える目標を達成すべく導き出された開発コンセプトは「丈夫で長持ち、コスト2分の1」。数々の新しい機能・機構を具現化させMEエンジンは1977年6月に発売された。5年後の1982年には、ついに年間販売台数・100万台を達成。MEエンジンは、まさにホンダの総合力を結集してつくられた、汎用にとって記念すべき商品であった。

      女性ユーザーという新しい市場を開拓

      ロードパル(1976年)

      イタリアの俳優ソフィア・ローレンが「ラッタッタ!」と声をかけながらタップ(キックペダル)を軽やかに踏むユニークなCMとともに1976年デビュー。大衆価格と自転車感覚の気軽さが受け、販売店には“ラッタッタください”と、ロードパル目当ての女性が数多く訪れた。その後いくつかの派生モデルを展開するなどファミリーバイクの先駆けとなった。

        1980年代

        世界企業への成長 新時代に向けての飛躍

        世界企業への成長。
        新時代に向けての飛躍

        シティのヒットを筆頭に四輪車の主要商品がベストセラー化。
        海外においては現地生産体制の拡充が加速する。
        二輪車ではファミリーバイク市場の激しいシェア争いが続いた。
        またこの時代は、世界企業に向けて飛躍するための仕込みも行われ、
        世界各国をネットワークで繋ぐ特質補完体制の構築が進められていく。

        第2期 F1参戦(1983年)
        ミニティラーこまめ F200(1980年)
        タクト(1980年)

        バブル期の日本で空前のブーム。社会現象を巻き起こす

        第2期 F1参戦(1983年)

        「レースはホンダの企業文化です。勝ち負けではなく、ホンダ車に乗っていただいているお客さまに、最高の技術をお見せするため、そして楽しんでいただくため、レース活動を再開します」という河島喜好の言葉通り、他の追随を許さぬマクラーレン・ホンダの活躍に日本中が沸いた。1988年の全16戦15勝、1991年の4年連続ダブルタイトル獲得といった金字塔を打ち立てる。

        欧州を始め、日本でも新市場を掘り起こした

        ミニティラーこまめ F200(1980年)

        農業の先細り感が進む反面、家庭菜園などへのニーズが膨らむといった傾向が見え始めていた世の中で、「アマチュア・ホビーガーデン用の入門機」というコンセプトをもとに開発。大型耕うん機にはないかわいいコンパクトな見た目と、それに似合わぬ高い性能が受け、ピーク時には国内のみで年間5万台が売れるという、ベストセラー商品へと成長した。

        その後のベンチマークとなったザ・スクーター

        タクト(1980年)

        市場でのシェア競争が激化する中、登場したタクト。折よく女性の社会進出が急進した時代と重なり、ファミリーバイクとして女性を中心に爆発的にヒットした。1986年の原動機付自転車ヘルメットの着用義務化を受け、1987年、「メットイン」スペースをシート下に備えるタクトフルマークを発売。スクーター構造に革命を起こし、他社を含めて必須の構造になっていく。

          1990年代

          改革と市場への挑戦で危機を乗り越える

          改革と市場への挑戦で
          危機を乗り越える

          バブル崩壊。市場ニーズの変化をつかみきれず、これまでにない
          経営危機に直面したホンダは、全社的なTQM(総合的品質管理)を導入し、
          四輪国内販売台数80万台を目指す「80万台体制計画」を断行。
          販売不振を巻き返したクリエイティブムーバー(生活創造車)は、
          その後の四輪事業を支える大きな転換点となった。

          オデッセイ(1994年)
          船外機 BF35A・BF45A(1992年)
          船外機 BF35A・BF45A(1992年)

          新発想のクルマづくりを目指した「クリエイティブムーバー」第一弾

          オデッセイ(1994年)

          「新価値創造」を模索した90年代。ホンダは人々の暮らしを豊かにするためにクルマの在り方から追求。クリエイティブムーバー第一弾となる「オデッセイ」はセダンから乗り換えるミニバンとしてヒットした。その後も「クルマは、使う人が自らの生活を思いのままに創造・演出するための道具であり、そこでの主人公はあくまでも人」としてシリーズは拡大していった。

          デザインとカラーで新しいホンダ船外機を開発

          船外機 BF35A・BF45A(1992年)

          「水上を走るもの水を汚すべからず」の信念のもと、4ストローク船外機にこだわり続けて約20年。ようやく環境問題として社会から2ストロークを疑問視する声が上がり始めた。そんな折りホンダは新しい船外機を開発。それまで常識であった直線的で四角い船外機とは異なり、シルバーで美しく仕上げられたBF45A・BF35Aは、船外機においてもホンダブランドを際立たせた。

          新しい時代にふさわしいロードスポーツ

          CB1000 SUPER FOUR(1992年)

          「新しい時代にふさわしいホンダのネイキッドロードスポーツはどうあるべきか」を追求したプロジェクトBIG-1から誕生。走る者の心を魅了する感動性能を求めたCB1000 SUPER FOURは、大型二輪免許が限定解除と呼ばれ、取得が困難だった時代にも関わらず大ヒットを記録。その後も着実に成熟・進化を続け、2022年には30周年モデルが登場した。

            2000年代

            激しい逆風に立ち向かい自主自立を貫く

            激しい逆風に立ち向かい
            自主自立を貫く

            21世紀に展開する、すべての活動の指針としてグローバル・ブランドスローガンに
            「The Power of Dreams」を設定。合従連衡の時代にあっても
            自主自立で生きる意志を鮮明にした。プロダクトにおいては
            センタータンクレイアウトを採用したフィットや燃料電池車FCXクラリティなど、
            新世紀のホンダにふさわしい先進創造を相次いで打ち出していく。

            FCXクラリティ(2008年)
            ASIMO(2000年)
            DN-01(2008年)

            環境性能だけではない、燃料電池車だからできる楽しさや喜びを追求

            FCXクラリティ(2008年)

            2002年に登場したFCX以来、燃料電池車の進化を追求してきたホンダが、さらなる躍進を目指したFCXクラリティ。燃料電池システム・駆動モーター・水素タンクなど、パワープラントのコンパクト化による画期的なプラットフォームを構築。環境性能はもちろん「いつの時代でもクルマは夢のある楽しい存在でありたい」という考え方を世の中に提案した。

            技術で人を幸せにするための未来を描く

            ASIMO(2000年)

            人に寄り添い、人の役に立ち、生活の質を向上させ、人の可能性を拡大することを目的として生み出されたASIMO。一般的な生活空間で使用されることを前提に、歩行自在性の向上およびシステムの簡素化を実現。階段や斜面を自在に移動することができるほか、ユーザーのニーズに合わせた専用動作や案内説明コンテンツを付与することも可能であった。

            クラッチ操作をなくし、スポーツクルーズを身近に

            DN-01(2008年)

            技術で人の役に立ちたい。その想いは、誰でも簡単に扱える二輪車の追求につながり、二輪車用AT(オートマチックトランスミッション)の研究が始まった。足掛け40年を経て完成した革新のオートマチック機構HTF(Human Friendly Transmission)を搭載したDN-01。ゆったりとした乗り味とダイレクト感のある走行フィーリングを高次元で実現したスポーツクルーザーである。

              2010年代

              異次元への挑戦。社会と紡ぐ新たな夢

              異次元への挑戦。
              社会と紡ぐ新たな夢

              世界同時不況が続く中、ホンダは世界各地の自立的経営を推進する
              「世界六極体制」を構築。各地域のニーズに合った商品づくりを目指した。
              また、その戦略は2030年ビジョンの実現に向けて発展的に進化し、
              「ものづくりセンター」の開設など、さらなる成長を遂げるための
              大胆な事業運営体制改革につながっていった。

              N-BOX(2011年)
              Miimo HRM520(2013年)
              PCX(2010年)

              画期的な発想で、日本の「のりもの」を変えていく

              N-BOX(2011年)

              軽自動車の規格サイズを最大限活用し、これまでにないユーティリティーを実現。ホンダのM・M(マン・マキシマム メカ・ミニマム)思想による革新のプラットフォームを完成させた。広さを生かして使いやすさを突きつめ、日常から趣味、さらには介護まで、日本で暮らすあらゆる人のライフスタイルに寄り添う新しい「のりもの」を目指した。

              暮らしに馴染み、愛着の持てる芝刈機

              Miimo HRM520(2013年)

              欧州を中心とするロボット芝刈機への需要拡大を背景に、安心して任せられる・簡単に使える・快適に過ごせるといった3つをコンセプトとするロボット芝刈機を開発。曜日・時間・エリアを設定すれば自動で芝刈りが行える機能性と、お客様の日々の暮らしに溶け込む「優しさと親和性」を感じるデザインで、ホンダらしい芝刈機のカタチを生み出した。

              世界基準となるスクーターの価値を追求

              PCX(2010年)

              世界各地にはそれぞれの道路事情があり、乗る人の好みも異なる。しかし本質を徹底して追求すれば、きっと誰もが喜ぶスクーターがつくれるはずだ。PCXはそんな想いで開発された。ラグジュアリーなデザイン、ゆったりしたライディングポジション、安定して走れる14インチの大径タイヤなど、突きつめたのは「世界の様々な街を走る、ひとつのデザイン」だった。

                2020年代

                生活の可能性が拡がる喜びを、
                すべての人に提供する

                すべての人に「生活の可能性が拡がる喜びを提供する」ことを目指した
                2030年ビジョンの実現に向けて、世界中の一人ひとりの「移動」と「暮らし」の進化を
                リードしていくことを宣言。活動指針である「喜びの創造」「喜びの拡大」「喜びを次世代へ」の
                3つの視点をもって、企業姿勢である「質の追求による成長」を進めていく。

                Honda e(2020年)
                GB350(2021年)
                HondaJet(2023年)

                ホンダが提案する新時代の都市型コミューター

                Honda e(2020年)

                ホンダが新しいEVを開発するにあたり目指したのは、次のステージへの進化を感じるモビリティー。いろいろなモノやコトとつながりをもち、普遍的で心地良く、ウイットに富み、つい微笑んでしまうようなユニークな存在でありたい。Honda eは、柔軟な発想でこれまでのクルマにない魅力を追求し、豊かな未来を実現できることを目指してつくりあげた。

                インド市場発のクラシカルなロードスター

                GB350(2021年)

                世界最大規模の二輪車市場をもつインドで、ホンダのシェアを拡大するべく投入したハイネスCB350を日本にも導入。GB350の名称が与えられ、トラディショナルなロードスターとして人気を集める。リラックスしたライディングポジション、直立した単気筒エンジンやスチール製の前後フェンダーなど、すべてにおいて味わい深さを求めたバイクである。

                2028年の実現に向けた、新しい空への挑戦

                HondaJet(2023年)

                空での自由な移動を目指して1986年から開発し、自動車メーカーが航空機事業へ新規参入するというとてつもない夢を叶えたHondaJet。そして2023年、また壮大な夢を発表した。HondaJet 2600 Conceptをベースにした新型小型ビジネスジェット機の製品化を決定。ライトジェット機として世界で初めて、ノンストップでのアメリカ大陸横断が可能な航続距離の実現を目標としている。

                  人の役に立ちたい。
                  新しい価値を生み出したい。
                  その「想い」を
                  先人たちは「夢」と呼び、
                  経営の場で、ものづくりの場で、販売の場で、
                  そして世界中の現場で、実現に挑んだ。
                  これは、75年にわたる先人たちの
                  「夢」の足跡であり、
                  これからのホンダの「想い」を
                  導く道標である。

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