グローバルにつながるサプライチェーンは、いまやHondaのモノづくりにおける強みのひとつです。しかし、距離を隔てた地域間で部品の流通が効率的に行われなくては、生産性が低下してしまいます。そんなサプライチェーンの“負”と戦い続けてきた樋本 雄悟が戦いの先に得たものとは──。
樋本 雄悟Yugo Himoto
サプライチェーン管理部 グローバル供給計画課
2002年新卒で入社。アジア大洋州地域における四輪サプライチェーンのRegional Office 機能構築に向け、初代生販担当として生産に関わる8カ国11現地法人すべてを対象にした需給情報の整流化とそれを実現する統一管理システムの構築を実施。
自分と同じ苦労を、後輩にさせたくない
最初に配属された部品供給管理の業務経験がキャリアの原体験──
同じような苦労は、後輩にはさせたくない。
世界中に網目を張るHondaのサプライチェーンにおいて、生産工程と部品の流通をグローバルに管理する樋本 雄悟。キャリアの一歩目にして彼のキャリア原点ともいえる配属先で経験したのは、大きな戸惑いだったと振り返ります。
樋本「もともとHondaを就職先に選んだきっかけには、幼少期の叔父との思い出が少なからず影響しています。叔父はプレリュードに乗っていました。夏休みにはよく、母の故郷・長野の山々を助手席に乗せて風を切りながら走ってくれました。その爽快感に興奮したことは鮮明に覚えています」
プレリュードは、1970年代後半から2000年初期まで生産されたクーペ型乗用車のシリーズ。最近では珍しい格納式のヘッドライトで、これを格納したスポーティーな姿が幼い樋本の心を射止めたのでした。
子ども時代の夏の記憶。その傍にHondaがいる。
大学へ進学し、モノづくりの道へ進みたいと考えた樋本にとっても、Hondaは依然として憧れのブランドであり続けました。
2002年に晴れて新卒で入社した樋本が最初に配属されたのは、完成車を組み立てる埼玉製作所の「部品ブロック」。生産ラインへの部品供給を担う部署でした。
モノづくりという仕事に華々しいイメージを抱いていた樋本にとって、想像できなかった職務。置かれた場所で花を咲かそうと決心するものの、一筋縄ではいかない難しさがありました。
樋本「部品供給の管理というと、ほとんどの人は事務仕事を思い浮かべるでしょう。しかし、机上で計算しているだけでは部品供給は成り立ちません。お客様は完成車の到着を心待ちにしています。たったひとつでも部品が届かなければ生産は遅れる。それを未然に防ぐために都度現場に出て、あるいは運送業者や部品メーカーへ掛け合って、なんとかスケジュールを調整する。時には人海戦術で乗り切る慌ただしさがありました」
IT革命が叫ばれる一方、まだまだ生産管理のシステムが整っていなかった時代。その後の樋本のキャリアと切り離せない、サプライチェーンにおける負との闘いは、このときから始まったのです。
経験を積み、生産管理のプロフェッショナルへ
入社から4年後、完成車の生産計画を組む生産管理ブロックへと異動した樋本。監督する範囲も広がり、生産管理のプロとして着実にステップアップしていました。そして、エンジン部品を造る工場への異動が、樋本を生産管理のプロへと成長させます。
樋本「完成車の組立工場と異なり、素材からエンジン部品を造りあげる部署。それまでの職務では、部品の発注でサプライヤーさんに頼る部分も大きかったのですが、素材の発注ともなると話は別です。自分たちでマネージしなければいけない部分が増え、需要予測を立てるのも難しい。そんななかで、いかに発注から納品にかかるリードタイムを縮められるかという挑戦は、大きな経験となりました」
原材料から部品を作り、これを組み立て完成車へ。一連の生産工程を見てきた樋本は社内からも頼れる存在へと成長します。2015年、アジア大洋州(オセアニア)地域における自動車のサプライチェーンのリージョナル・オフィス機能構築に向け、初代生販担当として白羽の矢が立ったのです。
樋本「この10年ほど、Hondaでは日本中心のモノづくりから、グローバルで全体最適化させたモノづくりへと変わってきました。2015年にその先駆けとしてタイへ駐在したのです」
樋本がミッションを担う以前から、海外へ広がっていたHondaのサプライチェーンは、いつの間にか入り組んだ構造となっていました。しかし、原材料や部品の調達は現地法人ごとに行われていたため、全体で見ると非効率的な状態に陥っていたといいます。
樋本「例えば、メキシコで作られた部品が、日本の完成車工場に届くまでにいくつもの拠点を経由するということはよくありました。気づけば世界一周しているということが起こっていることも……。
これでは必然的にリードタイムの予測もつけにくく、お客様に完成車をお渡しできるのがいつになるかという見込みの精度が極端に落ちてしまうのです」
こうした状況に対し、樋本のミッションは、生産に関わる8カ国11現地法人すべてを対象に、需給情報の整流化とそれを実現する統一管理システムの構築でした。
言葉の壁なんて心ひとつで越えられる
現地法人ごとに、事業規模や人的リソースも大きく異なるなか、実際に現場で実務を行なっている担当者全員と、課題や目指すゴールについて共通認識を得ていくことからプロジェクトはスタートします。当然、並大抵のことではありませんでした。
樋本「それまでも現地法人ごとにうまくやっていたんです。急にシステムや仕事のやり方を変えるという話を受け入れてもらえるはずはありません。しかし、将来的に見れば、グローバルでサプライチェーンを最適化していく重要性は自明のこと。なかなか意思疎通が図れないことを、最初は言葉のせいにしていました」
初代担当として、意地でも統一管理システムを形にすると決意していた樋本にとって、苦しい時期が続きました。活路が開かれたのは、ある同僚の仕事ぶりを見たときでした。
樋本「リージョナル・オフィスには、英語が苦手な駐在員もいました。でも私よりも彼の方が現地の人とスムーズにコミュニケーションが取れている。英語が苦手だからこそ率直な物言いができるんですね。言葉じゃなくて、想いを伝えること。自分が考えていることを素直に話してみること。結局は人と人とのコミュニケーションにはそうしたことが大切なのだと気付かされました」
好かれようが好かれまいが、自分からまずオープンにしないと、相手とのコミュニケーションは成立しない。
そう気づかされた樋本は、これまで自分が当たり前だと思っていたことを明文化してみるなど、今までやってこなかったコミュニケーションの取り方を考えるようになりました。
次第に各現地法人との連携が取れるようになり、ついに統一管理システムの構築を成し遂げたのです。
グローバルで経験を積んできた自分だからこそできること
タイから帰国した樋本は、サプライチェーン管理部のグローバル供給計画課で、引き続きHondaのサプライチェーンの最適化を支えています。
タイでの駐在経験は、樋本のコミュニケーションを変えていました。
樋本「若い社員たちにも、私にとってのプレリュードのような、Hondaに対する思い入れがあり、そこは共通しているのかも知れません。しかし、生まれ育った社会も環境も違います。言葉の上面だけでコミュニケーションしてしまうと、どうしても差というのが際立ってしまうものです。でも、世界中のHonda社員と向き合ってきた私にとって、それは“差”でなく“違い”に過ぎないんです」
違いだと認識することで、その関係は上司と部下ではなく、人と人に変わります。
樋本「同じ会社の社員としてではなく、人としてずっと付き合っていくんです。彼らが自分というものを表に出せるような手助けをしてあげたい。躊躇したり、不安に思ったりしてしまって、ブレーキをかけていることがあるのなら、それを取り除いて、本当にやりたいことの方へ向かわせてあげたい。グローバルで経験を積んできた自分だからこそできるはずなんです」
樋本が成し遂げたグローバルサプライチェーンの再構築という挑戦は、国境や言葉だけでなく、人の心の壁を越えていく挑戦でもありました。
距離や時間、互いの文化・経験といった壁を越えて、社員が有機的に結び付くHondaへ。
樋本が担う役割は、生産管理という枠を越えて、Hondaの未来を支えるものになっていくでしょう。