第3戦 日本GPレースプレビュー

コース紹介

三重県鈴鹿市稲生の丘陵地に鈴鹿サーキット(FIA公式資料による正式名称はSuzuka International Racing Course)が完成したのは1962年の秋でした。サーキット設立25周年に当たる1987年秋にF1世界選手権日本GPが初めて開催されて以来、現在にいたるまでほぼ毎年、この地では数々の熱戦や名勝負が繰り広げられてきました。

鈴鹿サーキット最大の特徴は、コースに立体交差があり、「8の字」の形状をしていることです。右回りとなるコース前半(東コース)は、連続するS字状のコーナーや難しいデグナー・カーブなど、テクニカルなレイアウトになっています。一方、立体交差をくぐった後に左回りとなるコース後半(西コース)は、ヘアピンを抜けると高速コーナーが続き、立体交差上のバックストレート後には難所と言われる「130R」が存在します。ここは超高速のまま左旋回する、ドライバーたちの腕と度胸が試されるコーナーです。また、コース全体に高低差があり、上りと下りの難しさもあります。コーナーの数は全部で18。鈴鹿サーキットはコース前半と後半とで性格が異なるため、すべてのコーナーをリズミカルに攻め切らないと好タイムにつながらない難しさと面白さがあり、それが世界のトップドライバーたちを魅了し続けています。

実際、鈴鹿を走ったF1ドライバーの多くが、最も好きなサーキットとして鈴鹿やスパ-フランコルシャン(ベルギー)の名前を挙げています。かつて1970年代まではニュルブルクリング北コース(ドイツ)もF1グランプリの舞台でしたが、安全面の理由からカレンダーから外され、いまや自然の地形を生かしたクラシックなロードコースは、スパと鈴鹿しか残っていません。

鈴鹿での初開催となった1987年当時の1周の距離は5.859kmでしたが、その後、安全面を理由に適宜コース改修が進められ、2003年には130Rとシケインを改修、現在のコースに落ち着きました。1周の距離は2003年以降現在まで5.807kmで変わらず、スタートラインはコントロールラインより300mほど1コーナー寄りにオフセットされています。どのコーナーにも面白さがあり、世界的にも一度は訪れたいサーキットとして、F1ファンの高い人気を誇っています。

鈴鹿サーキットのもうひとつの大きな特徴が、遊園地やホテル等が併設されていることです。1962年当時、これらの施設を誇ったサーキットは、世界的にもとても珍しいものでした。後には交通教育センターやリゾート施設等も増設されて、その充実度は高まっています。最終コーナー外側に存在する大きな観覧車は、鈴鹿のシンボルとして世界中の各メディアを通して有名になっています。

歴史

鈴鹿サーキットは日本初の常設サーキットとして1962年(昭和37年)9月20日にオープンしました。その25年後の1987年からF1日本GPの舞台として「SUZUKA」という名前は日本のみならず世界中でポピュラーな存在となっています。

本田技研工業の創設者である本田宗一郎は、1959年にヒット作「スーパーカブ」の生産工場用地として、鈴鹿市に21万坪の広大な土地を購入しました。社員用の福利厚生施設なども予定されていましたが、本田の「日本にもサーキットが欲しい!」のひと言で計画変更。当初は敷地内の平地が候補に挙がっていましたが、これまた本田の「田圃を潰すな。米は大事にしろ。何もない山林原野を使え」との一声により、小高い丘陵地を切り開いて、細長いサーキットを作ることとなりました。自然の地形を生かしつつ、コース案を何度も磨いたら、現状の約6kmコースの原型が浮かび上がってきたと言われています。

完成するまでには5段階のコース図案が作られ、1960年8月の最初の原案では、立体交差が3つもあったと言われています。担当責任者である塩崎定夫ら数名がヨーロッパの複数サーキットをたずねて学び、オランダのザントフールト・サーキットの代表ジョン・フーゲンホルツ氏を招いて、最終形となる6.00415kmコースのレイアウトが決まりました。
オープニング戦は1962年11月の国際2輪レースでした。半年後の1963年5月には4輪による第1回日本GP(F1ではなく、国産乗用車を中心としたレース)が催され、これを機に日本国内でも4輪レースは大いに盛り上がりましたが、諸般の事情により1966年以降その舞台は新設された富士スピードウェイへと移ります。そこで鈴鹿は、4輪では耐久レースとフォーミュラカーレースを中心に据えることにします。さらに1978年から2輪の鈴鹿8時間耐久が始まると人気が爆発、ピーク時には一日だけで実質15万人もの観客が集る大イベントとなりました。

鈴鹿でF1日本GPが初めて開催された1987年は、Honda V6ターボエンジン搭載車の活躍、日本人初のF1レギュラードライバー中嶋悟の参戦、地上波テレビによる全戦放映の開始と、F1ブームが始まった年となりました。また、日本GPは1987年から2019年まではシーズン終盤戦開催だったためチャンピオン決定の場となることが多く、ドラマチックなレースが繰り広げられたことも、鈴鹿の印象を強くしました。2024年からはシーズン序盤の春開催となり、桜景色が日本G Pの新たな名物となりました。
日本GPでは母国レースとなる日本人選手の活躍も話題になっています。初回となる1987年大会では中嶋悟(ロータス・ホンダ)が6位入賞、さらに1990年には鈴木亜久里(ローラ・ランボルギーニ)が3位に食い込んで日本人初表彰台を達成。2012年には小林可夢偉(ザウバー・フェラーリ)が3位となり、日本人ドライバーが再び母国の表彰台に上りました。

鈴鹿での最多勝ドライバーはミハエル・シューマッハーの6勝(1995/1997/2000/2001/2002/2004年)で、それをセバスチャン・ベッテル(2009/2010/2012/2013年)とルイス・ハミルトン(2014/2015/2017/2018年)とマックス・フェルスタッペン(2022~2025年)の3名が、いずれも4勝で続いています。コンストラクター別では、レッドブルが8勝(2009/2010/2012/2013/2022~2025年)でトップ、フェラーリ(1987/1997/2000~2004年)とマクラーレン(1988/1991/1993/1998/1999/2005/2011年)が7勝ずつで続き、メルセデスが6勝(2014~2019年)となっています。

見どころ

新規定となって3戦目となる今年の日本GP。まだ安定しないマシンでの戦いが続くと思われますが、マシンの総合力が問われると言われる鈴鹿サーキットで、新たなマシンがどのようなポテンシャルを示すのか、またそれを操るドライバーのチャレンジングな走りが見どころです。予選タイムやラップタイムなど、これまでのレースとの比較も新たなF1を測るデータとなるでしょう。

鈴鹿で開催されるF1日本GPとしては今回が36回目となります。今シーズン第3戦となる鈴鹿での戦いは、シーズン序盤の流れを確認するレースとなりそうです。第4戦バーレーン、第5戦サウジアラビアの2戦が中止となったことで、4月のF1開催がなくなり1カ月のブランクを前に各チームがそれぞれの戦略をとってくることも見どころです。

チャレンジングなコースであり、日本のファンのF1への熱い応援もあり、多くのドライバーが鈴鹿での大会を楽しみにしています。ドライバーのモチベーションが高まることで、他のグランプリとは少し違った光景が繰り広げられるでしょう。そして、昨年同様、今年も桜の開花時期にあたり美しい光景とともに、レースの戦い方、マシンの扱い方そのものが一変し、いつ何が起こるかまったく予想できない今シーズンのF1だけに、長い開催実績のある鈴鹿では、さまざまな比較や見どころが楽しめると世界中のファンが期待しています。

コースデータ

【日本GP 鈴鹿サーキット】

1周5.807kmコース

【最新のコースレコード】

1’30”965 — 229.815km/h
K.アントネッリ(メルセデス) 2025年

【Hondaエンジン/PUでのコースレコード】

1’31”041 — 229.624km/h
M.フェルスタッペン(レッドブル・ホンダRBPT) 025年

【予選最速ポールシッター】

1’26”983 — 240.336km/h
M.フェルスタッペン(レッドブル・ホンダRBPT) 2025年
(予選はコースレコード対象とはならない)