栄光を飾ったマシン
夢半ば、悲運の途中撤退マシン

カスタマーF1規定が撤回となり
活動資金調達が困難に
スーパーアグリは参戦2年目の2007年に初ポイントを獲得し、コンストラクターズ選手権で9位となった。3年目は佐藤琢磨とアンソニー・デビッドソンとドライバーラインナップを継続しさらなる飛躍が期待されたが、前シーズンから経営面で暗雲が立ち込める。スポンサーであったSSユナイテッド・グループからの契約金が未払いとなり、チームは活動資金の大幅な減収を強いられたのだ。これにより2007年後半からマシンの開発が停滞。リストラを敢行するとともに、新しいスポンサー開拓を行い2008年シーズンに備えた。しかし年が明けても、新しくスポンサーになる企業はなかなか現れなかった。
F1の基本的なルールは、チームは自分で開発したオリジナルマシンを製造しなければならない。しかし資金難に苦しむチームの救済を目的に、将来的に小規模なチームはワークスチームが開発・製造したマシンを譲り受けてカスタマーカーとして使用できる方針を打ち出していた。ところが一部のチームがこの構想に反対し、最終的にカスタマーカー使用は将来的に禁止となったため、Hondaからの協力を得てF1に参戦するというスーパーアグリのビジネスモデルは崩れ去り、スポンサーが興味を示さなくなったのだ。2010年まで暫定的にカスタマーカーでの出走は認められたものの、急激に活動資金縮小に迫られたスーパーアグリは2月に予定していた新車発表会を中止するとともに、開幕前のテストをキャンセルすることでシーズン開幕に生き残る道を残した。
ぶっつけ本番で2008年シーズンに臨むことになったチームには、こうした周辺事情以外にも技術的な問題を抱えていた。2007年からHondaの前年型マシンに独自開発のエアロパーツを装着し参戦していたスーパーアグリは、2008年はHonda RA107をベースにするはずだった。しかしこの年からコスト削減策としてギヤボックスは4戦連続での使用が義務付けられ、より高い耐久性が求められた。F1ではリヤサスペンションはギヤボックスケーシングに取り付けられていることから、スーパーアグリの2008年マシンであるSA08は、HondaRA107にRA108のリヤセクションを組み合わせた構成となった。搭載するエンジンは2008年型のRA808Eである。
スーパーアグリのテクニカルディレクターであるマーク・プレストンはHondaの協力を得て、第3戦バーレーンGPからマシンの前後ともRA108と仕様を同じくしたSA08Bを投入する計画を立てていた。だが、開幕時点で基本合意を得ていたイギリスの投資会社マグマ・グループとのパートナーシップ契約はその後の交渉がなかなかまとまらず、資金難から実現できなかった。そして、そのバーレーンGPで「契約交渉は99%の段階まで進んでいる」と語っていた鈴木亜久里代表だったが、その後暗礁に乗り上げ、ヨーロッパラウンド緒戦となる第4戦スペインGP直前に最終的に交渉決裂となったことが発表された。
なんとかスペインGPに出走したスーパーアグリだったが準備不足は否めず、デビッドソンはマシントラブルでリタイア。佐藤はフィニッシュできたものの、完走したドライバーで最下位となる13位に終わった。そして、これがスーパーアグリにとってF1での最後リザルトとなった。レースから8日後の5月6日にF1活動からの撤退を発表。2005年11月1日にF1へ参戦することを発表した鈴木代表の冒険は、918日後の2008年5月6日にピリオドが打たれた。
スーパーアグリのF1での成績は39戦に出走して、入賞2回(2007年スペインGP、カナダGP)。予選最高位は2007年開幕戦オーストラリアGPの10位(佐藤)で、決勝レースは2007年第6戦カナダGPの6位(佐藤)だった。最高峰のF1に果敢に挑戦したスーパーアグリは、F1ファンに結果以上の感動を与え、日本のF1ファンだけでなく、世界中から注目と応援を集めたものだった。

2008年3月10日行われたホンダF1体制発表会で「昨年同様にスーパーアグリとしてF1に参戦する」と述べていた鈴木代表。マグマ・グループによる買収で体制強化して挑む予定だったが、交渉は決裂し活動は暗礁に乗り上げた。

2007年末のスペイン・ヘレスでテストを行うSA107B。「B」とは言ってもHonda RA107ベースで、SA08の基礎となる。年明けの新車テストには資金難で参加できず、公式テスト参加もこの時が最後となった。

撤退で不参戦となった第7戦カナダGPでは、前年の大活躍を偲び「夢をありがとう」とアピールした応援幕が。小規模チームでも体制が整えば戦えると証明したスーパーアグリの姿勢は、世界中のファンに勇気と感動を与えた。
RA808E
