RA107

Honda RA107

2007
壮大なコンセプトを纏った意欲作

2007年F1世界選手権出場車 No.7 ジェンソン・バトン

カラーリング革命の意欲的マシン
苦闘続きも終盤戦で光明が灯る

2000年シーズンからB・A・RチームのエンジンサプライヤーとしてF1に復帰したHondaは、同チームの車体面の開発にも関与を深めていき、マシントータルでの戦闘力向上を目指していった。この動きは当時のF1界の潮流ともいえ、自動車メーカー/ブランドが自社の名を冠したチーム/シャシーでの参戦に続々と舵を切っていったことがHonda第3期活動時代のF1界の特徴でもあった。そうしてメーカー間の戦いが激化していくなか、Hondaも06年シーズンからはB・A・Rを完全ワークスチーム化、「Honda Racing F1 Team (HRF1)」としての参戦に移行する。第1期(1964~68年)以来となる“オールHonda”の実現であった。そして06年ハンガリーGPでは待望の第3期初優勝が果たされ、Hondaシャシーとしては通算3勝目、Honda製エンジンの通算72勝目が記録されることとなった。

その翌年、07年シーズンを戦ったHondaのマシンが、この「RA107」である。搭載するエンジンは2.4LV8自然吸気のRA807Eだ。

前年に1勝を挙げたRA106の発展型でありサイドのウイングシールドなど空力的な共通点は少なくない。タイヤはワンメイク化に伴い、この年からブリヂストンを履く。話題を呼んだカラーリングは漆黒の宇宙に浮かぶ地球が描かれており、目を凝らせばこのプロジェクトに賛同した人々の名前が記されている。

前年に1勝を挙げたRA106の発展型でありサイドのウイングシールドなど空力的な共通点は少なくない。タイヤはワンメイク化に伴い、この年からブリヂストンを履く。話題を呼んだカラーリングは漆黒の宇宙に浮かぶ地球が描かれており、目を凝らせばこのプロジェクトに賛同した人々の名前が記されている。

このマシン最大の特徴はカラーリングにある。黒ベースに塗られたRA107の車体に地球が浮かんでいるが、このカラーリングこそ、ある意味ではF1界で約40年ぶりに展開された「第2のカラーリング革命」とも称せる壮大なチャレンジであった。

F1界の「第1のカラーリング革命」は、それまでナショナルカラー(国色)が基本だったところにスポンサーカラーという概念を本格的に持ち込んだコリン・チャップマン(1958~94年にF1参戦したロータスの創始者)が68年に成したものであった。以降、タバコブランドを中心としたスポンサーの流入が活発化し、F1マシンが「走る広告塔」と呼ばれるようになったことはよく知られる。

しかし、時代の流れとともにタバコブランドの広告に対する規制が強まってきた。多くのチームは別の業種に新たなスポンサーを求めたが、ここでHondaは奇抜な発想をもって、F1界の常識打破という挑戦を敢行したのである。

Hondaはスポンサー企業の理解と協力を得て、マシンからスポンサーカラー及びロゴを外し、地球をモチーフにしたアースカラーでRA107を塗りあげた。環境問題の重要性と切実さ、それに真剣に取り組むHondaの姿勢をF1マシンによってアピールし、それに多くの賛同者を得ようという“アースドリーム”計画。Honda伝統のチャレンジングスピリットが技術面以外にも発揮された、しかも社会的意義の大きな計画であった。

マシンそのものに関して言えば、第3期初優勝達成を受けての07年ではあったが、Hondaは主に空力面のマシンコンセプトをアグレッシブに変えてきている。それまではコンサバティブ(保守的)と言われることが多かったB・A・R~HRF1の空力、しかしRA107に関してはカラーリングコンセプト同様、「かなりチャレンジングな方向性を取ってきた」とも評された。その背景には、前年のマシンの戦闘力にHonda陣営が必ずしも満足していなかった、という事情が窺える。

ステアリング内のダイヤルはさらに増え、7つになった。センターの黄色いダイヤルでメニューを選び、それぞれのトリムで数値を変更する仕組み。

ステアリング内のダイヤルはさらに増え、7つになった。センターの黄色いダイヤルでメニューを選び、それぞれのトリムで数値を変更する仕組み。

実際、勝利を得たとはいっても06年のHondaは絶好調とまでは言えなかった。後半戦こそ優勝したハンガリーGP以外も安定して上位リザルトを残してはいたが、シーズン全体の成功度という意味では、コンストラクターズ2位になったB・A・R Honda時代の04年には及ばない(06年は4位)。それもあって、07年に向けてはやはり大きな変革が必要なことをチームの誰もが心得ていたのだろう(もちろんRA107の開発は06年ハンガリーGP優勝以前からスタートしてもいるが)。

テクニカルディレクターだったジェフ・ウィリスが06年途中で実質的にチームを去るなどの動きがあり、Hondaの技術陣は中本修平、ジャッキー・エクラート、オットマー・サフナウアー、ヨルグ・ザンダー、ロイック・ビゴワ(空力担当)らの総力によってマシン開発を進める体制へと変化していく。そうした新体制構築とともに生み出されたのがRA107であった。07年の実戦ドライバーは前年同様の布陣で、待望のGPウイナーリスト入りを果たしたジェンソン・バトンと、フェラーリ時代に通算9勝の実績を誇るルーベンス・バリチェロ。テストドライバーにはクリスチャン・クリエンが就いた。

期待のRA107だが、開幕前のテストから調子が上がってこない。アグレッシブな空力トライがうまく機能していない、そんな様子だったが、それ以上に辛い要素だったのは装着タイヤ銘柄の変更であった。ミシュランの撤退により、07~10年のF1はブリヂストン(BS)のワンメイクとなるのだが、Hondaのように06年にミシュランを履いていたチームは、マッチングという面で前年もBSを使っていたチームより多くの課題を突きつけられるかたちになっていたのだ。

カーナンバーとHマーク、BSのロゴだけが貼られたフロントノーズ。ノーズ直下のセンター部分だけが窪んでいる形状は前作RA106の踏襲だが、ノーズはより細く尖った形状になっている。

カーナンバーとHマーク、BSのロゴだけが貼られたフロントノーズ。ノーズ直下のセンター部分だけが窪んでいる形状は前作RA106の踏襲だが、ノーズはより細く尖った形状になっている。

こうして見てくるとRA107が、つまり07年のHondaが様々な意味で変化に直面していたことが分かる。空力、タイヤ、チーム体制、スポンサー関連事情。エンジンに関しても2.4L規定施行2シーズン目であり、実に多くの面で新課題を背負い込むことになっていたのだ。だが、それは継続的に勝利を得られるチームへのステップアップを果たすために通らなければならない道であり、同時に、前述したような第2のカラーリング革命によってF1界に新たな価値を創造しようという高い志を具現化するための、覚悟した“状況”でもあった。それを象徴する意味でも、RA107は実にHondaらしい一台と言える。

しかしながら、雄々しく気高い理想への道程は、思った以上に険しい。シーズンが始まると、Hondaにはさらなる厳しい現実がのしかかった。同じRA807Eエンジンを搭載して戦うスーパーアグリSA07の方が戦闘力は高く、佐藤琢磨が開幕戦オーストラリアGPで予選Q3進出、第4戦スペインGPで8位入賞、第6戦カナダGPでも6位入賞などと活躍する一方、Hondaは予選も決勝も2桁順位が定位置というような大不振に陥ってしまったのだ。SA07はRA106がベースのマシンであり、この年のスーパーアグリの躍進はある程度予想されていたものでもあったが、本家Hondaの低迷の度合いは、テスト時の出足の遅さから想像された域さえ超えてしまっていた。

Hondaの07年初入賞は第8戦フランスGP、バトンが8位に入った(当時の入賞は8位以内)。第13戦イタリアGPでもバトンが8位となるが、全17戦中の第15戦である日本GP(富士スピードウェイ)を終えた時点でHondaのコンストラクターズ得点は2、ランキングは8位。この年の参戦は全11チームで、このうちスパイ事件が発覚したマクラーレンはコンストラクターズ得点全剥奪が決まっており、すでに11位扱いが確定している。スーパーアグリ(4点)は後半戦失速気味ながらコンストラクターズ7位と、依然Hondaより上に位置していた。

2.4リッターV8規定下では2年目となる2007年を戦ったRA807E型エンジン。この年から施行された回転数制限(上限1万9000rpm)に伴い、トルク増強とフラット化を主眼に開発された。

2.4リッターV8規定下では2年目となる2007年を戦ったRA807E型エンジン。この年から施行された回転数制限(上限1万9000rpm)に伴い、トルク増強とフラット化を主眼に開発された。

しかし、第16戦中国GPでバトンが雨絡みの展開も利して5位に入る。この4点によってHondaはスーパーアグリを逆転、本家の面目を保ったのであった。だが、それまで無得点だったトロロッソが同じレースで4位と6位、計8点獲得を果たして急上昇、Hondaのコンストラクターズ順位は8位のままで動かず。最終戦でも動きはなく、HRF1陣営にとってはB・A・R時代の02年以来となる低い年間順位に終わった。バトンはドライバーズランキング15位、バリチェロはまさかの入賞ゼロで、93年にF1デビューした彼にとって初の無得点シーズンに。

成績やパフォーマンスの面を考えれば、RA107が失敗作であったという事実は否定できない。しかしそこには頂点に立とうとする決意と覚悟、それだけではなく環境問題にいち早く真剣に取り組んでいたHondaならではのチャレンジもあった。これもまた、真実である。アースドリーム計画は、Hondaの第3期F1活動終焉により翌08年限りで終了した。だが、環境問題がさらに重要視されるようになってきた昨今のことを考えると、アースドリーム計画、そしてそれを初めて背負って走ったHonda RA107というF1マシンの真価が認められる日が、いつか来るのかもしれない。Honda RA107は偉大な先駆けであった、と。

シャシー

型番 Honda RA107
デザイナー ヨルグ・ザンダー/ロイック・ビゴワ
車体構造 カーボンファイバーモノコック
全長×全幅×全高 4700×1800×950mm
ホイールベース 3165mm
トレッド(前/後) 1460/1420mm
サスペンション(前後とも) プッシュロッドトーションスプリング
タイヤ(前/後) ブリヂストン製
燃料タンク ATL製
トランスミッション Honda製7速セミオートマチック
車体重量

エンジン

型式 RA807E
形式 水冷90度V型8気筒NA
排気量 2400cc
ボア×ストローク
圧縮比
最高出力 700ps以上
燃料供給方式 Honda PGM-FI
スロットル形式 電子油圧制御