B・A・R Honda
005

B・A・R Honda 005

2003
新体制下でランキング5位を獲得

Hondaエンジン供給をBARに一本化
車体の共同開発を進化させる

2003年からHondaはエンジン供給先をBARに一本化。エントリー名も「ブリティッシュ・アメリカン・レーシング(BAR)」から「B・A・R Honda」へと変更された。それにともない、車体名も「B・A・R Honda」に改称、新車は「B・A・R Honda 005」となった。

新しいチーム名が示す通り、Hondaの積極的な関与が始まっていた。実際にB・A・R Honda 005には、Hondaの技術がこれまで以上に取り込まれている。2002年に第3期Honda F1活動の車体技術開発総括責任者となった橋本健は、栃木研究所にあったMSD(モータースポーツデビジョン)をMSD1(エンジン部門)とMSD2(車体部門)に分け、それぞれの専門性と責任ある役割分担を追求した組織に変革。F1プロジェクトリーダー(PL)に指名されたのは木内健雄。木内は第2期F1時代にはエンジンの電子制御開発、所属ドライバーの担当エンジニアを務め、第2期F1活動休止後は研究所に戻り、ハイブリッドエンジンの開発に携わっていた実績あるエンジニアだった。イギリスのB・A・RのファクトリーにはMSD2に所属していたHondaのスタッフが増員され、車体の軽量化、サスペンションのジオメトリー設計、ギヤボックスケーシングの剛性強化など、多岐に渡ってHondaは共同開発を主導した。

B・A・R Honda 005の開発を指揮したのは、前年からテクニカルディレクターとしてチームをまとめてきたジェフ・ウィリス。ウィリスにとってはこのB・A・R Honda 005がテクニカルディレクターとして製作した初めてのF1マシンだった。ウィリスがB・A・Rホンダ005で重視した改良ポイントはふたつで、まずは軽量化、そしてエアロダイナミクスの見直しである。

軽量化はインターナル・バルクヘッドから見直され、強度を損なうことなく軽量化を実現。燃料タンクは、この年から導入される1アタックのみという新予選方式を念頭にダウンサイジングした。さらにパーツのデザインを見直し製造方法を変更したことで、部品点数を約10%削減するなどして大幅な軽量化に成功した。3ℓV10エンジンは単体で16㎏の軽量化を果たし、ギヤボックスの小型化にともなうリヤ車軸上の軽量化と全体の重心高低下を達成したことにより、前年まで悩まされていたメカニカルグリップ不足は大きく解消された。

エアロダイナミクスの変更は、スリムになったノーズからも容易に確認できる。ノーズは前年のBAR004がなだらかに下向きとなっていたのに対して、B・A・R Honda 005はほぼ直線的に前方へ伸びている。前年までコクピット開口部とほぼ同じ高さにあったサイドポンツーンが、若干下げられている。これには冷却系のデザインも見直しが必要で、BARとHondaの協力度を進化させて新車を開発した成果といえる。このようにウィリスらBARの技術陣とHondaによって共同制作されたB・A・R Honda 005は、これまでのBARマシンとは大きく変わり、そのフォルムからも進化を印象つけるものだった。

こうして完成したB・A・R Honda 005をドライブしたのはジャック・ビルヌーブと、この年に移籍してきたジェンソン・バトン。4年目のシーズンとなったバトンはウィリアムズとルノーでの経験を生かし安定感抜群の走りを見せ、16戦中7回入賞しチームのポイントゲッターとなった。対照的にビルヌーブは入賞2回にとどまり、最終戦を待たずしてチームを離脱した。最終戦日本GPでビルヌーブの代役として出場したのは、この年リザーブ兼テストドライバーとしてチームに帯同していた佐藤琢磨だった。この最終戦で佐藤は4位入賞したバトンに続いて6位入賞を果たし、新生B・A・R Hondaのコンストラクターズ選手権5位躍進に貢献した。

11戦イギリスGP以降、大幅アップデートを受けた後半戦仕様。インダクションポッドの開口部が五角形となり、リヤのフェアリングはボリュームアップなど空力的にリファイン。バトンは第15戦アメリカGPで一時トップを走った。

11戦イギリスGP以降、大幅アップデートを受けた後半戦仕様。インダクションポッドの開口部が五角形となり、リヤのフェアリングはボリュームアップなど空力的にリファイン。バトンは第15戦アメリカGPで一時トップを走った。

この年からHondaは栃木研究所のメンバーをB・A・Rに常駐させ、車体の共同開発体制も強化。ユニフォームデザインも統一化を図り、チームの一体感を高めた。そして栃木スタッフのノウハウが徐々に車体開発に役立っていく。

この年からHondaは栃木研究所のメンバーをB・A・Rに常駐させ、車体の共同開発体制も強化。ユニフォームデザインも統一化を図り、チームの一体感を高めた。そして栃木スタッフのノウハウが徐々に車体開発に役立っていく。

最終戦日本GPではビルヌーブに代わって出走の佐藤琢磨が6位入賞し、バトン4位とともにB・A・R Hondaの2000年以来コンストラクターズ5位返り咲きに貢献。佐藤自身もシート喪失後、約1年ぶりの復帰戦で、フィニッシュ後は歓喜の渦に。

最終戦日本GPではビルヌーブに代わって出走の佐藤琢磨が6位入賞し、バトン4位とともにB・A・R Hondaの2000年以来コンストラクターズ5位返り咲きに貢献。佐藤自身もシート喪失後、約1年ぶりの復帰戦で、フィニッシュ後は歓喜の渦に。