
2002年F1世界選手権出場車 No.10 佐藤琢磨
最終戦で悲願の初入賞を果たした
期待の新人・佐藤琢磨のデビュー車
「Jordan Honda EJ12は、2002年のF1世界選手権シリーズ最終戦日本GPにおいて、ドライバーの佐藤琢磨とともに“勝利”したマシンである」
記録の面において正しい見解ではない。しかし、そう喩えてもいいだけの材料が揃っていることもまた、疑いのない事実ではある。2002年日本GPの真正なる優勝者ミハエル・シューマッハーは、レース後にこう語っている。
「今日のレースにはふたりの勝者がいたね。僕と、サトウだ」

高精度化を続ける風洞と解析技術の向上により、ますます空力指向を強めた形状をもつEJ12。以後2008年まで続く、小さなウイングが林立する“エアロ満載”ボディを纏っている。前年車のEJ11と比べ、曲線が多用されている印象だ。サイドポンツーンには排気用チムニーダクトが立つ。この時代のトレンドである。
ジョーダンというのは、のちのフォースインディアの祖にあたるチーム。1991年にF1参戦を開始し、当初は191というようにF1の1に西暦下二桁を組み合わせたマシン名を採用していたが、2000年を迎えた時、参戦10年目ということもあり、エディー・ジョーダン代表のイニシャルと10を合わせたものに変化させた。以降はこのかたちが引き継がれ、02年はEJ12に。01年からはHonda製エンジンを搭載しており、02年がタッグ結成2シーズン目だ。
02年のジョーダン技術陣には、ゲイリー・アンダーソンの復帰というトピックがあった。もともとジョーダンの技術的な礎を築いた人物だが、激しい“人事異動”が常のレース界にあって、90年代末からしばらくはジョーダンを離れていた。その彼が技術面を統べる立場に復帰したことは、チームにとってなにより心強い材料であったはずだ。
なぜかといえば、01年から02年にかけてのシーズンオフ、ジョーダンは資金難に陥ってしまい、チーム体制に混乱が生じていたからである。EJ12をデザインしたのはエグバル・ハミディとされるが、02年開幕時には彼がチームを去っていたともいわれるように、ジョーダンは大量のスタッフ削減を強いられた。そんななか、逆にチームに復帰したアンダーソンは、まさに救いの神。彼は残された技術陣を束ね、EJ12の改良というテーマに臨むこととなる。
EJ12のエンジンはHonda RA002E(3000ccV型10気筒、自然吸気)。タイヤは当時ワンメイクではなく、ブリヂストンとミシュランによるマルチコンペティションで、ジョーダンはブリヂストンユーザーだった。ドライバーは97年以来のチーム復帰となるジャンカルロ・フィジケラと、01年にイギリスF3チャンピオンとなってF3世界一決定戦のマカオGPも制した新人・佐藤琢磨という布陣である。

筐体自体がカーボンで成形され、ソリッドでクールな印象が漂うコクピット。前面にはいくつも調整用ダイヤルとスイッチ類が並んでいる。7速ATを搭載しており、変速はステアリング裏のパドルで行うため当然シフトノブは存在しない。この写真でも、ノーズがいかに高く持ち上げられているかが分かる。
当初のEJ12は姿勢変化による空力特性の変化が大きく、乗りづらいマシンだったとされる。当時F1界全体で増殖傾向を見せていたサイドポッド周辺の多種多様な空力付加物、チムニーダクトやリヤタイヤ手前の大型ウイングレットなども纏ってはいたが、EJ12が走る姿からは、それらが意味を成しているようには見えないくらいだった。
後年の琢磨の言葉を引けば、「テストで乗った前年型のEJ11は、すごく乗りやすいクルマでした。それに比べると初期のEJ12は、あらゆる面で“とんがったクルマ”だったんです。空力に関しても、風洞実験のデータはいいんだけど、実走すると曲がった途端にダウンフォースが抜けるような感じがありました」。潜在能力は高いのだが、チーム体制混乱の影響もあって真価を発揮できないまま停滞していた、それがEJ12の初期の状況であったのだろう。
シーズン前半、フィジケラと琢磨はある意味、予想通りに苦戦した。それでも名手フィジケラは第6戦から第8戦で3戦連続5位入賞を果たすなど、さすがの一面を見せる(当時の入賞は6位以内)。しかしルーキーの琢磨は、第6戦オーストリアGPで大きなアクシデントにも遭遇するなど、試練が続いた。
それでもアンダーソンを中心とした技術陣の努力の甲斐もあり、後半戦、ジョーダンには次第に光明が見えてくる。第13戦ハンガリーGPでは、フィジケラがシーズンベストの予選5位となり、決勝でも6位に入賞。琢磨も第12戦から第16戦はすべて8~12位で完走と、安定感を増してきていた。「EJ12もオトナになって、だいぶ乗りやすくなってきていましたね」(琢磨)
残すは最終第17戦、鈴鹿での日本GP。このタイミングでチームが敢行したイギリス・シルバーストンでのテストが、冒頭語った“鈴鹿勝利”への大いなる布石となる。「EJ12は鈴鹿パッケージになっていましたし、あのテストでクルマへの理解度が相当深まりました」(琢磨)。厳しいチーム事情で開幕したこの年、すでに最終戦前という段階になってしまったことは致し方ないだろうが、ジョーダンはついに好素材EJ12の実力を引き出す下地を整えることができたのである。
過去2年は日本人ドライバーの参戦がなかったこともあり、02年の日本GPは琢磨への期待で沸いた。多くの観客は鈴鹿に参集する時点で、琢磨とチームがEJ12に従来とは比較にならない手応えを感じていたことを知らない。それでも、若きニューヒーローの凱旋に鈴鹿サーキットは盛り上がった。
そして、その応援に琢磨とEJ12が応える。予選7位、もちろん琢磨のシーズンベストだ。フィジケラも予選8位とJordan Honda EJ12は鈴鹿で素晴らしい躍進を遂げる。母国で琢磨初入賞の期待も、急速に現実味を帯びてきたのだった。
迎えた決勝日。しかし好事魔多しというべきか、フィジケラがマシントラブルでスタート直前にスペアカー乗り換えを強いられる。フィジケラは1周目に11位まで順位を落とし、最終的にはやはりトラブルでリタイアに終わった。また、同じHonda製エンジン勢であるB・A・R Hondaの2台もレース中盤までにマシントラブルで戦列を去っており、その意味でも琢磨には大きな期待がかけられることとなっていく。
スタートで7位をキープした琢磨はこのレース、ルノー勢の2台、ジェンソン・バトン&ヤルノ・トゥルーリと争った。フェラーリ、マクラーレン、ウィリアムズという当時の3強6台から、デイビッド・クルサード(マクラーレン)が序盤のうちにマシントラブルで消え、入賞圏がひとつ空く。この段階で6位に上がった琢磨は21周目の自身最初のピットインまでその座をキープするが、先にピット作業を終えていたトゥルーリとバトンに先行を許し、レース中盤は8位を走行することに。

ワークス(B・A・R Honda)と同じ形式の3リッターV10、RA002E。前年型RA001EよりもVバンク角を大きくとって低重心化を図るとともに、エンジンカバーを低めてボディの空力向上にも貢献した。出力は公称800馬力以上とされている。

撮影個体のフロントウイング中央部分が台形状に角張ってえぐられていることからも判定できるとおり、マシンは2002年の序盤戦を戦った仕様となっている(中盤戦以降のフロントウイングのえぐれは緩やかな曲面形状になる)。モノコックに付けられたプレートによれば撮影個体のシャシーナンバーは「02」だ。
トゥルーリは33周目にトラブルでリタイアし、バトンは32周目に2度目のピットインを実施する。局面は琢磨6位、バトン7位と変化するが、琢磨には2度目のピットインが待っている。そこが入賞をかけた戦いの帰趨を左右する──。
琢磨は36周目にピットイン。そしてEJ12は、見事にバトンはルノーの前でコース復帰を果たした。熾烈な6位争いに琢磨とEJ12が打ち勝ったのである。そしてレース終盤にはウィリアムズのラルフ・シューマッハーがマシントラブルでストップ(11位完走扱い)。このレースではかなりのマシンがトラブルに遭遇していることが分かると思うが、当時のF1は全般的に、まだ今ほどには信頼性が高くなかったのだ。これで琢磨の順位は5位に上がる。恐いのはそれこそトラブルだったが、彼はトップと同一周回で53周を走り抜け、母国で初入賞を達成した。それも3強チーム以外の全車を予選、決勝とも実力で負かしての価値ある5位だ。
両手を挙げてゴールする琢磨、大歓呼で迎える観衆、日本GPのフィナーレは感動に包まれた。冒頭のミハエルの言の理由がこれである。そして琢磨は後年、「本当に忘れられないレース。ずっと走っていたいと思えたレースでした」と語り、さらにこう付け加えている。「鈴鹿でのEJ12は、僕の手足のように動いてくれました」。最終戦にしてようやく、EJ12はそのポテンシャルの高さを完全証明することができたのであった。
2002年10月13日の鈴鹿には、2台のウイニングマシンが存在した。1台は、ミハエル・シューマッハーが駆ったフェラーリF2002。そしてもう1台は、佐藤琢磨とともに戦ったJordan Honda EJ12であった。

シャシー
| 型番 | Jordan Honda EJ12 |
| デザイナー | エグバル・ハミディ |
| 車体構造 | カーボンファイバーモノコック |
| 全長×全高 | 4600×950mm |
| ホイールベース | 3140mm |
| トレッド(前/後) | 1500/1418mm |
| サスペンション(前後とも) | ウィッシュボーン&プッシュロッド式トーションスプリング |
| タイヤ(前/後) | ブリヂストン |
| 燃料タンク | 95リットル |
| トランスミッション | ジョーダン製横置き7AT |
| 車体重量 | 600kg(ドライバー含む) |
エンジン
| 型式 | Honda RA002E |
| 形式 | 水冷90度V型10気筒 |
| 排気量 | 3000cc |
| ボア×ストローク | ― |
| 圧縮比 | ― |
| 最大出力 | 800ps以上 |
| 燃料供給方式 | Honda PGM/FI |
| スロットル形式 | ― |