BAR003

BAR003

2001
継続と改善で初表彰台獲得

Hondaの技術協力により33㎏もの軽量化
第3期初の表彰台を獲得

Honda F1第3期2年目のシーズンとなった2001年は、継続と改善の年となった。BARは2000年にチーム内で経営陣同士の対立が起きたもののほどなくして沈静化し、創設時からマネージング・ディレクターだったクレイグ・ポロックが引き続きチーム代表として指揮を執ることとなった。マシンを開発・製造する技術部門もテクニカルディレクターのエイドリアン・レイナードの下、マルコム・オスラーが引き続き設計開発を行う任に就いた。

Hondaにとって、この体制継続は朗報だった。1980年代から1990年代にかけて、マクラーレンやウィリアムズ、そしてロータスという名門チームと数々の実績を残してきたHondaが、参戦2年目の若いチームであるBARとパートナーシップを組んだのは、第3期F1活動がエンジン供給だけでなく車体の共同開発という新たな挑戦を目指していたからである。体制継続による知見の蓄積がHondaには必要な時期だった。2001年も引き続きHondaはオスラー率いるBARの技術陣と協力して共同で車体の開発に携わった。

Hondaの協力を得たBARの技術陣が取り組んだのは、2000年に課題となっていた車体のグリップ不足を改善することだった。その対策としてBAR003では懸案だったフロント車軸重量配分が見直され、45%を達成した。またサスペンションアームのカーボン化などにより33㎏の軽量化を実現。空力パーツはHonda製がいくつか採用されて空力性能も向上し、その恩恵によりスプリングレートを低減。コーナーの入り口アンダーステアからの出口スナップオーバーステアといった挙動の不安定さに対しては、電子制御デファレンシャルの制御を変えることで対策した。

チーム首脳陣に変更はなかったが、ドライバーは変更した。1997年のチャンピオンでチーム創設時からBARをドライブしてきたジャック・ビルヌーブは契約を延長して残留。その一方でリカルド・ゾンタはチームを離れ、代わって加入してきたのは1996年無限ホンダ・エンジンを搭載したリジェでモナコGPを制した経験を持つオリビエ・パニスだった。

また、テストドライバーにも変更があった。すでに決まっていたイギリス人ドライバーのダレン・マニング、フランス人ドライバーのパトリック・ルマリエに加え、新車発表会でふたりのドライバーの新加入が発表された。ひとりは、2000年にマクラーレン・ヤングドライバー・オブ・ザ・イヤーを受賞したアンソニー・デビッドソン。もうひとりは、イギリスF3で2000年に選手権3位となった佐藤琢磨だった。佐藤は2000年12月に行われたBARのドライバー開発プログラムのテストに合格。鈴鹿レーシングスクール(現ホンダ・レーシング・スクール・鈴鹿)卒業生として初のF1テストドライバーとなった。

成績としては、ビルヌーブがスペインGPで3位に入り、BARにとって初めての表彰台を手にしたものの、全体的に前年よりも厳しい1年となった。その最大の要因は開発の方向性と信頼性不足だった。オスラーが開発したBAR003は、基本的に前年のBAR002のコンセプトを発展させたもので、アップデートによる性能向上が不可欠だった。しかしF1での経験が少ないBARの技術陣の開発は保守的になる傾向があり進化は滞った。Hondaとの技術協力でBAR003は前年型よりも細かな部分でシェイプアップし、軽量化に成功したものの、トップチームに比べると全体的にオーソドックスなものだった。そのため、シーズン中のマシンの開発が頭打ちとなり、シーズンが進むにつれてライバルから後れをとることとなった。このシーズンBARはふたりで6回入賞したものの、そのうち4回はシーズン前半で、シーズン後半の成績は伸び悩んでいる。

ビルヌーブが後半戦のドイツGPで2度目の表彰台を獲得したものの、開幕前に目標に掲げていたコンストラクターズ選手権3位の座には手が届かなかった。年間獲得ポイント17点とコンストラクターズ選手権6位は、いずれも前年の20点と5位を下まわる悔しいシーズンに終わっている。

BAR002に対して徹底的に車体を見直した003。サスのカーボン化以外にもギヤボックスの構造見直し、熱交換器のチューブやフィンの改良、モノコック素材の最適化、シートベルトバックルのチタン化など細部まで軽量化を徹底した。

BAR002に対して徹底的に車体を見直した003。サスのカーボン化以外にもギヤボックスの構造見直し、熱交換器のチューブやフィンの改良、モノコック素材の最適化、シートベルトバックルのチタン化など細部まで軽量化を徹底した。

この年の1月、テストドライバーとして佐藤琢磨が起用されローンチパーティに出席。その後イギリスF3選手権王座に就き、マールボロマスターズ、マカオGPでも優勝。翌年ジョーダンからフルシーズン参戦を果たす。

この年の1月、テストドライバーとして佐藤琢磨が起用されローンチパーティに出席。その後イギリスF3選手権王座に就き、マールボロマスターズ、マカオGPでも優勝。翌年ジョーダンからフルシーズン参戦を果たす。

2001年は第5戦スペインGPでビルヌーブが3位入賞し、BARにとって初表彰台を射止めた。Hondaにとっては1992年最終戦オーストラリアGP優勝以来の9年ぶりの表彰台。このシーズンは第12戦ドイツGPでも3位表彰台を獲得。

2001年は第5戦スペインGPでビルヌーブが3位入賞し、BARにとって初表彰台を射止めた。Hondaにとっては1992年最終戦オーストラリアGP優勝以来の9年ぶりの表彰台。このシーズンは第12戦ドイツGPでも3位表彰台を獲得。