栄光を飾ったマシン

栄光への序章

1983Spirit Honda 201C

第13戦イタリアGP出場車 No.40 S.ヨハンソン

HondaのF1活動第2期の口火を切った記念碑的マシン
好成績は残せずも、さらなる飛躍の契機となった

よく知られたHondaのF1活動第2期における実戦デビュー車、それがこの1983年のスピリット・ホンダ 201Cである。真四角なサイドポンツーンと巨大なリアウイングが特徴的なマシンだが、もしもHonda製エンジンを搭載していなければ、このマシンがここまでスポットライトを浴びることはなかっただろう。当時のHondaはエンジンとシャシーのマッチング、言い換えればマシンパッケージングを気にしないというきらいがあったのかもしれない。細身で華奢なフロントセクションと、逆にセンターバルクヘッドから後方はやたらと巨大なこのマシンを見ているとそんな思いに駆られてしまう。

スピリットとのタッグはわずか6戦(最高位は7位)。当時の2輪チームに倣ったようなトリコロールカラーは途中から施された。

スピリットとのタッグはわずか6戦(最高位は7位)。当時の2輪チームに倣ったようなトリコロールカラーは途中から施された。

Hondaが復帰した当時のF1はエンジン至上主義であった。エンジンのためならシャシー側がハンデを背負うことはやむなしという姿勢だ。こういった背景の中、F1再参戦を企図したHondaが“エンジンのみ”でいきたい、と考えたのはごく自然な思考プロセスと言えるだろう。しかし、いかにHondaといえども一朝一夕で一線級のF1エンジンに仕上げることは至難の業。メイク&トライを繰り返しながら、ある程度の時間が必要なことは過去の経験からも承知していたはずである。一方で強力なエンジンパフォーマンスを活かすことができる優秀なシャシーの必要性も認めていた。そもそもHondaは第1期の時代にローラ・カーズのノウハウを欲して、陣営にローラのシャシーテクノロジーに精通したジョン・サーティースを招聘している。そこで自らはエンジン開発に集中しつつシャシーとのマッチングも進めるため、Hondaは身近なシャシーコンストラクターを興すことを選択した。マーチ・エンジニアリングからゴードン・コパックとジョン・ウィッカムをスカウトし、82年にスピリット・チームを創設。出資はHondaが受け持った。

スピリットは手始めにオリジナルシャシーによる欧州F2参戦を行なうことになるが、この時期、Hondaはラルトを主体にF2活動を展開していた。少なくとも81年に欧州F2を席巻したHondaが新コンストラクターを興してまでF2を戦う理由はなく、このことからもスピリットのF2参戦はタイトル狙いではなく、F1復帰への足固めとして機能させるつもりだったことは明白である。

F1第2期デビュー機となったRA163Eエンジン。参戦前のオフテスト時から、排気の取り回し方式はいくつかの仕様が試されている。

F1第2期デビュー機となったRA163Eエンジン。参戦前のオフテスト時から、排気の取り回し方式はいくつかの仕様が試されている。

82年こそHondaはコラード・ファビのマーチ・BMWに欧州F2タイトルをさらわれたが、スピリットのティエリー・ブーツェンが3勝をマーク。F1のテストベッドとなるシャシー開発を行なったと考えれば、それなりに有意義なシーズンであったと見ることもできる。そして翌83年、F2の201をF1用に仕立て直した201Cというシャシーに1.5リッターV6ターボエンジン(RA163E型)を搭載し、第9戦イギリスGPでF1公式戦デビューを果たすことになる。

当初Hondaが投入したRA163EはF2用と同じボア値であったというから、超オーバースクエアタイプとなり、F1本来の排気量値に見合ったボア×ストローク値ではなかったようだ。またロッカーアーム方式による動弁形式もF2用の機構を流用している。ターボは当初KKK製、エンジンマネージメント関係には日立製を使っていたが、すぐに専用品(IHI製)へと換えられることになる。

ステアリングを握ったのは全日本F2への出走経験もあるステファン・ヨハンソン。その後フェラーリ、マクラーレンへ移籍した。

ステアリングを握ったのは全日本F2への出走経験もあるステファン・ヨハンソン。その後フェラーリ、マクラーレンへ移籍した。

この年ブラバムのネルソン・ピケが自身2度目のF1ドライバーズタイトルを獲得。ターボエンジン車が初めて選手権を制した年でもあった。こうした状況のなか、ドライバーにステファン・ヨハンソンを起用したスピリット・ホンダ 201Cは6戦して7位(第12戦オランダGP)が最高位という成績でこの年の活動を終えた。結果はともかく、シャシー性能の低さは隠しようがなかった。もちろん開発途上のエンジンもレースごとにトラブルを抱え、未成熟な域を脱することはできていなかったが、エンジンを熟成するうえで必要不可欠な、安定した性能のシャシーに事欠いていたのだ。所詮と言っては語弊があるが、やはりF2を改造したシャシーでは600馬力オーバーというF1パワーを支えるには力不足で、Hondaも新たな専用シャシーの必要性に気付いていた。スピリットは84年用に101という新シャシーを準備したものの、結局Hondaは新パートナーとしてウィリアムズ・グランプリ・エンジニアリングを迎え入れることとなる。Hondaがスピリットを見限ったかたちだが、この決断が間違いでなかったことは、それほど待たずに証明される。

短いノーズと無個性なスタイリング。ベースであるF2の面影を色濃く残したマシンで、テスト参戦車とはいえ“急造”感は否めない。

短いノーズと無個性なスタイリング。ベースであるF2の面影を色濃く残したマシンで、テスト参戦車とはいえ“急造”感は否めない。

シャシー

型番 Spirit Honda 201C
デザイナー ゴードン・コパック
車体構造 アルミハニカムモノコック
全長×全幅×全高 未発表
ホイールベース 2540mm
トレッド(前/後) 1753/1626mm
サスペンション(前後とも) ロッカーアーム/ウイッシュボーン
タイヤ(前/後) 11-13/15-13インチ
燃料タンク 125リットル
トランスミッション 縦置き5MT
車体重量 590kg

エンジン

型式 Honda RA163E
形式 水冷80度V6DOHC+ツインターボ
排気量 1496cc
ボア×ストローク 90.0mm×39.2mm
圧縮比 6.6
平均ピストンスピード 14.37m/sec
最高出力 600ps以上/11000rpm
カムシャフト駆動方式 ギアトレイン
燃料供給方式 PGM-FI 1インジェクター
点火装置方式 CDI
スロットル形式 6連バタフライ式スロットルバルブ
過給機 ターボチャージャー×2基
潤滑方式 ドライサンプ

RA163E