RA302

Honda RA302

1968
空前絶後の3ℓ空冷F1マシン
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当時のF1に衝撃を与えた先進アイデアの数々

Hondaは1968年のF1グランプリにRA302を投入した。Hondaが独自に設計製造した車体に、空冷V型8気筒2987.5ccのRA302Eエンジンを搭載したF1マシンである。

RA302は、F1グランプリの歴史において非常に特徴的なレーシングマシンだった。それはひとえにRA302Eエンジンが、3ℓF1規定における史上初の完全な自然空冷式を採用した大排気量レーシングエンジンだったからである。

したがってその車体構造とデザインは、自然空冷のエンジンを搭載するために特別な設計となり、水冷エンジンを搭載する同時代のF1マシンとは大きく異なるものとなった。

一例を挙げれば、水冷エンジンのF1マシンに必要なフロント大型ラジエターとエアインテークや水路配管など水冷の冷却機構を必要としない。そのためにきわめてコンパクトで軽い車体が実現可能だったが、大排気量の空冷エンジンを自然の走行風で冷却するためには、設計上の大いなる工夫が必要だった。

また、その研究開発が長期化する見通しから、RA302の設計に多くの先進的なアイデアを盛り込む計画が可能となった。エンジン開発の技術進化を待つ間に、車体設計に盛り込んだ先進的なアイデアを実戦的な技術に仕上げていくことができるからだ。

こうしてRA302は、近未来的な前衛F1マシンとしてデビューした。

RA302の初号機は、マグネシウム合金製のモノコックボディであった。それまでのHonda F1マシンはすべアルミニウム合金製で、マグネシウムの採用は先進的な技術による材料選択だった。またこのモノコックの構造設計は、エンジン搭載方法からしてきわめて独創的な設計になった。自然空冷エンジンをミッドシップしながらなるべく大量の走行風を当てるため、モノコック後端上部から120度V8のVバンク間にエクステンションフレームを伸ばし、エンジンを吊り下げた。エンジン下半分の空冷フィンに大量の走行風を直接当てるためだ。そしてこのエクステンションフレーム後端にリヤメンバーを接合し、エンジン後部とリヤサスペンションのアッパーアームを支える構造を採った。リヤサスペンションのロワアームは、エンジンのクランクケースに固定された短いサブフレームによって支えられている。

こうした斬新なエンジン搭載方法を実現するために、モノコックボディの後端セクションを頑丈な箱形構造にする必要があり、そのなかに燃料タンクを仕込むことで車体中央部にエンジンと燃料タンクを集中して置くことができた。そのためコクピットは、燃料タンクを背負うように車体前方に配置し、ステアリングホイールの位置はフロントタイヤに近づけられた。

当時のF1マシンは、水冷ゆえフロントノーズに大型ラジエターを置き、鯉のぼりのようなエアインテークを配した「葉巻型」シルエットであったが、RA302はラジエターがないので尖ったフロントノーズデザインになった。当時は「クサビ型」もしくは「ジェット戦闘機型」と呼ばれ、ボディとエンジンの両サイドに装備されたエアインテークや前進したコクピット位置とともに、精悍かつ斬新なシルエットはマシンデザインを大きく先取りするものだった。

この構造設計を担当したHondaの技術者は、弱冠26歳で1964年型Honda RA271の構造設計を担った者である。もちろんこの時がF1マシン構造設計初挑戦であり、その後は1966年型RA273の構造設計担当、そして1967年型RA300および1968年型RA301の設計チームメンバーを経て、30歳でRA302を担当した。

RA302の実戦デビューのスケジュールはハイスピードで進行した。

本田技術研究所で完成したRA302は、Honda荒川テストコースでシェイクダウン・テストを済ませるとただちに羽田空港へ運ばれ、空港隣接のホテルで慌ただしく記者発表を行いその場からイギリス・ロンドンへ飛ぶエアカーゴに載せられた。1968年6月29日のことだった。

RA302を受け取ったロンドンのHonda F1現地チームは、フロントノーズにオイルクーラーを装着し、シルバーストン・サーキットでテスト走行を行った。担当したドライバーはナンバーワン・ドライバーのジョン・サーティースで、二輪と四輪の両方でワールド・チャンピオンを獲得している唯ひとりのF1ドライバーである。しかし、RA302Eエンジンは、走行開始1周ないし2周でオーバーヒート状態になってしまった。現場チームでは修復改善できないレベルのトラブルでテスト走行を終了した。対策を施し、7月7日のフランスGPにフランス・HondaはRA302でエントリー。予選を参加18台中17番手で通過したが、決勝レース序盤でアクシデントに見舞われ焼失した。

日本の本田技術研究所は急遽RA302の2号機を製作し、Honda F1チームは9月8日のイタリアGPで、この2号機をカーナンバー14の水冷V12気筒を搭載するRA301のTカー(スペアマシン)としてエントリーした。9月6日の公開練習にRA302は「14T」のカーナンバーをつけて出走したが、「オーバーヒートによる出力低下が著しく、実戦参加は尚早」と判断し、予選および決勝レースへの出走を見送らざるを得なかった。

この2号機は、アルミニウム合金製のモノコックボディに変更され、フロントノーズ左右に小型スポイラーを装備し、コクピット後方にオイルクーラーを追加していた。

Hondaはこの1968年シーズン終了後に「F1活動の一時休止」を発表した。そして、RA302の研究開発もこの時点でストップしている。