
HondaとF1とは?挑戦を続ける日本メーカーの歴史
「勝つために挑み続ける」Honda F1のヒストリー
HondaとF1の歴史は1964年に遡る。創業者である本田宗一郎は年頭会見の場で、「今年のモナコグランプリにHonda F1をデビューさせる」と発表。当時、F1グランプリが4輪レースの最高峰であることを知る日本人は少なく、あまり大きなニュースにはならなかったが、本田のF1に対する並外れた情熱が世に表れた第一歩となった。Hondaの4輪生産はその前年に始まったばかりだった。2輪車メーカーとしては世界最大規模に成長し、2輪レースでは世界選手権を始め成果を誇っていたため、4輪レース最高峰への挑戦にF1関係者や欧米メディアは大いに関心を示したが、無謀な挑戦に見えたことも事実だった。
1965年、独自の技術で作り上げたRA272がF1で初優勝を成し遂げる。Hondaの「勝つために挑み続ける」歴史が、最初に結実した時だった。不可能と思われた挑戦にもがき苦しみながらも努力を重ね、目標を達成することで感動を生み出すHondaのモータースポーツの原点を再確認した勝利でもあった。その後1968年に2勝を挙げる結果を残し、HondaはF1から一旦その身を引いた。

1980年代に入り、Hondaは再びF1への強い情熱を燃やし始める。後に第4代本田技研工業代表取締役社長に就任する川本信彦を中心に、エンジンサプライヤーとしてF1復帰を実現。当初は苦難に見舞われたが、パワー至上主義となったF1はHondaにとって格好の舞台となった。1988年にはマクラーレンとともに16戦15勝という空前の記録を作り、Hondaは最強エンジンの座に登り詰めた。そして1992年シーズンをもってF1活動を休止した。

再びF1への挑戦は2000年から始まる。当初は車体も自社開発で行うフルワークス体制を目指したが、実際はその道を断念してエンジンサプライヤーとしてF1に復帰。F1活動のブランクと新興チームとのジョイントが、なかなか成果を出せない状況が続いた。F1はかつてのパワー至上時代から、空力をメインとした車体性能が重要視される総合力の時代へと変わっていたのだ。2006年HondaはBARを買収しHonda F1 Teamとしてワークス参戦の道を選んだ。車体製造も行うワークス体制は1968年以来のことだった。この年のハンガリーグランプリで2000年復帰以来の初優勝を果たすが、2008年シーズンでF1活動を終了と発表した。

2013年、Hondaは4度目のF1活動開始を発表した。2015年からマクラーレンとのパートナーシップで参戦。2014年からF1は大幅なルール変更が実施され、かつてのエンジンはパワーユニットと呼ばれる電気モーターを併用したハイブリッドシステムに変わっていた。この新しいシステムは、特に耐久信頼性の面でHondaを苦しめ、成果を出せないまま2017 年いっぱいでマクラーレンとは契約を解除。苦境のなかでもF1活動継続を決意したHondaは、トラブルシュートと開発の進捗により、レッドブルとのパートナーシップ締結に辿り着き、2021年念願のタイトル獲得を果たした。一方で、前年には将来的なカーボンフリー社会に対応するために、F1活動の終了を宣言していた。2021年はHondaとしての活動のラストイヤーだった。

そして2023年、Hondaは2026年からの活動再開を宣言。アストンマーティンとのパートナーシップで、2026年から採用される新たな時代のパワーユニット開発と製造を行うこととした。再開の理由は、F1の新たなルールがHondaの目指すカーボンフリー技術と同じ方向性であることが挙げられる。また、HondaにとってF1ブランドの重要性を改めて深く認識した結果でもあった。
HondaのF1史は、撤退と再開の繰り返しだった。その時々の環境や状況によって合理的判断で活動を辞め、それでも情熱は保ち続け、機を見てその発露として再開を決める。HondaがF1活動に情熱を燃やす理由は「世界最高峰への技術的挑戦」「困難に立ち向かい高い壁を乗り越える技術者の育成」「Hondaのファンとユーザーが抱く信頼と期待に応えるブランド価値の維持」である。そして、それらは勝つことによってのみ得られるという信念がある。一方で「F1が好きで、挑戦することが好き」という根源があり、それが不可能と思える目標に立ち向かうモチベーションとなり、必ず勝利を得て多くのファンとともに感動を共有する、それが「F1はHondaのDNA」と自他ともに認める信条なのである。
