ジェンソン・バトン F1初勝利20周年

この時間が永遠に続いてほしい

2006年ハンガリーGPでチェッカーフラッグが振られた瞬間、当時のHonda Racing F1 Teamのドライバーであったジェンソン・バトンは子どもの頃からの夢を叶え、F1グランプリの勝者として歴史にその名を刻んだ。ホンダにとっても、この勝利はワークスチームとして表彰台の頂点への歓喜の帰還を意味するものだった。それは、ドライバーとメーカー双方の諦めない心、決意、そして不屈の精神が報われた金字塔とも言える瞬間だった。

それから約20年。鈴鹿のHonda RACING Galleryに座り当時の出来事を振り返るバトンの言葉からは、その初勝利の重みとそれに伴う感情が、この英国人ドライバーと日本のメーカーとの間にいかに揺るぎない絆を築き上げたかが明確に伝わってくる。「これまでのキャリアの中で、僕自身にとって重要であり、同時にホンダにとっても大きな意味を持つ瞬間が数多くあった」とジェンソンは語り始め、こう付け加えた。「だから、ホンダや日本の人々とのつながりはとても大きかったし、今でも強くそう感じているんだ」

もちろん、絆というものは歓喜や勝利の瞬間にのみ生まれるわけではない。逆境や失敗の時期にも育まれるものだ。F1で勝利を追い求めるすべてのドライバーやメーカーにとって、表彰台の頂点へ至る道のりは困難の連続である。

それまでの112戦、さまざまな理由からバトンには勝利の女神が微笑まなかった。これまでにも、驚くほど勝利の近くまで迫ったことはあった。ホンダエンジンを搭載したBAR 006を駆った2004年はバトンにとって間違いなく飛躍のシーズンとなり、それまで空っぽだった彼のトロフィーケースは、10度もの表彰台獲得により溢れんばかりになった。困難なシーズンとなった2005年にもさらなる銀杯を手にしたが、それでも最終的な「勝利」には手が届かないように思えた。バトン自身でさえ、「一生勝てないのではないか」と疑い始めていたほどだ。

だからこそ、2006年シーズンの第13戦、ブダペスト近郊のハンガロリンクでパドックが活気を取り戻し始めたとき、F1史上最も記憶に残るレースのひとつがこれから始まろうとしているとは、誰も予想していなかった。今振り返って、ジェンソンはこう認める。「あのコースはいつも大好きだった。タイトでツイスティで、『壁のないモナコ』のような場所だったからね」

レーシングカートのコースに例えられることも多いハンガロリンクは、実際に息をつく暇もないほどツイスティで、ドライバーとマシンの双方に同等の試練を与える。ステアリングを握るドライバーは、リズムと精度が求められる1ラップをまとめ上げる難しさを楽しむ。一方でマシンの面では、バランスの取れたシャシーとダウンフォースが要求される。バトンは「あの週末、僕らのマシンは最高の仕上がりだった」と断言する。

このコースの大ファンであり、自らのマシンに自信を持っていたとはいえ、その週末の滑り出しはバトンの成功を予感させるものではなかった。金曜日のフリー走行でのマシントラブルにより、ホンダ RA106が高い競争力を示し予選で2列目を独占(3、4番手)したにもかかわらず、10グリッド降格ペナルティを受け、中団に沈む14番手からのスタートを強いられたのだ。しかし、その週末にペナルティを受けたのは彼だけではなかった。当時のチャンピオンシップを争っていたミハエル・シューマッハとフェルナンド・アロンソも、フリー走行での別々の旗無視違反によりペナルティを受けていた。彼らもそれぞれ11番手と15番手からスタートすることになり、波乱含みのレースになることは必至だった。

さらに予測を困難にしたのは、スタート数時間前にサーキットを襲った豪雨だった。マシンがグリッドに並ぶ頃には雨は弱まっていたものの、路面は全体が濡れたままだった。レースが始まればすぐにレコードラインは乾き始めると予想されたが、さらなる雨の予報もあり、しかもどのチームもウエットコンディションでの走行を行っていなかったため、完全な未知の領域へと踏み出すレースとなった。

後知恵にはなるが、2009年のワールドチャンピオン獲得、通算306戦での15勝、50回の表彰台という彼が残したF1の記録を振り返れば、これこそがまさにバトンが真価を発揮するコンディションだったことは明らかだ。天性のマシンコントロール、頭脳的なタイヤマネジメント、そして変化する路面状況を読み取る類まれな能力により、彼はウエットや変わりやすい天候下において間違いなく世界最高のドライバーの一人であった。そして、そのすべてが2006年のハンガリーで遺憾なく発揮されたのである。

14番手からのスタート後、わずか4周でバトンは7位まで順位を上げた。7周目には4位となり、最初のピットストップを迎える頃には、完全に表彰台争いの中心にいた。この難しいコンディションの中では、コックピットの中と同様に、ピットウォールでも冷静さを保つことが極めて重要だった。レース中盤のセーフティカー導入時にあえてピットインしないという大胆な決断を下したことで、バトンはライバルに対してコース上のポジションを稼ぎ、首位のアロンソに次ぐ2位の座を確保した。

レースの残りが3分の1となったところで、バトンは給油のために2度目のピットストップを行った。ここで彼はタイヤを交換せず、同じ中古のウエットタイヤのまま走り続けるという選択をし、首位のアロンソを追撃すべくコースに復帰した。

後方からのバトンのプレッシャーと乾き始めたレコードラインに急かされるように、アロンソは51周目にドライタイヤへ交換するためピットに入った。しかし、ピット作業中のトラブルにより、ホイールが完全に締まっていない状態でコースに復帰してしまい、これが最終的に彼のリタイアにつながる。残り19周でトップに立ったバトンは、その圧倒的なペースにより、後続に20秒もの大差をつけていた。トップを快走し、勝利が現実のものとなりつつあったその瞬間のことを、バトンは他のドライバーとは違う感覚だったと振り返る。

「よく『初優勝に向けてトップを走っているときは、時間が永遠のように感じる。マシンのちょっとした異音にも敏感になる』と言うけれど、僕にとっては最高だった。ただ、この時間が永遠に続いてほしいと思ったよ」。さらに彼は続ける。「自分がトップを走っていて、初めてのレースに勝とうとしていると実感したあの瞬間。それは本当に特別なものだった」

まさに特別な瞬間だった。彼の無線に歓喜の叫びと歓声が響き渡ると同時に、ピットレーン、ガレージ、そしてファクトリーで、ホンダはメーカーとして約40年ぶりとなる勝利の喜びに沸いた。レース後の記者会見で、歓喜のあまり少し嗄れた声で、ジェンソンは世界に向けてこう宣言した。「ワオ、なんて一日だ、本当に素晴らしい!天候のせいで誰にとっても非常に難しいレースだったけど、14番手から追い上げて勝てるなんて、これ以上最高の勝ち方はないと思うよ」

そして現在、彼はその功績の意義についてさらに明言している。「日本人の勤勉さには本当に驚かされる。大小にかかわらず、問題を解決するためなら昼夜問わず働くんだ。その結果として得られるのはパフォーマンスだけではない。彼らは自分自身のベストを引き出し、共に働くチームのベストを引き出すために人生を懸けているから、そこには膨大な感情が伴う。だから、最後に溢れ出る感情はとても純粋なものになる。ハンガリーで僕らが一緒に初勝利を挙げてフィニッシュラインを越えたとき、あんなにたくさんの大人の男たちが泣いているのを見たのは初めてだった。本当に感動的な瞬間だったよ」

20年が経った今も、ホンダにとってF1通算72勝目となったこの勝利は、チームワーク、忍耐、そして困難な挑戦に立ち向かう勇気によって何が成し遂げられるかを、力強く私たちに思い起こさせてくれる。