デイモン・ヒル

1998-1999 Powered by Mugen Honda
Damon
Hill

F1モナコGP、インディ500、
ル・マン24時間の世界3大レースすべてを制したレジェンド・ドライバーである
グラハム・ヒルの長男として生まれたデイモン・ヒルは、
自身もF1でワールドチャンピオンに登り詰めた名ドライバーです。

しかし、そのキャリアは遅咲きの苦労人と言えるもので、F1デビューは異例の31歳と、
エリート家系のイメージとはかけ離れた道を歩み続けました。

1996年にウイリアムズで念願のワールドチャンピオンに輝くものの、翌年にはチームから放出されます。
1998年に無限Hondaエンジンを搭載するジョーダン・グランプリに加入したヒルは、
この年チームに初優勝および無限HondaにとってはF1で2勝目となる勝利をもたらしました。

1999年、ジョーダン・無限Hondaでシーズンを戦い切り、
ヒルはレーシングドライバーとしてのキャリアを終えています。

1992年のF1デビューから8年間、
冷静でクレバーなドライビングを持ち味としたヒルは、
努力を積み重ねてチャンピオンを獲得したドライバーとして高い評価を得ています。

Profile
DamonHill

Profile

名前
デイモン・ヒル(Damon Graham Devereux Hill)
チーム
Benson & Hedges Jordan Mugen Honda(1998-1999)
United Kingdom
生年月日
1960年9月17日

主な戦績

1988年
イギリスF3選手権 3位
1991年
国際F3000選手権 7位
1992年
F1世界選手権 NC(ブラバム・ジャッド)
1993年
F1世界選手権 3位(ウイリアムズ・ルノー)
1994年
F1世界選手権 2位(ウイリアムズ・ルノー)
1995年
F1世界選手権 2位(ウイリアムズ・ルノー)
1996年
F1世界選手権 チャンピオン(ウイリアムズ・ルノー)
1997年
F1世界選手権 12位(アロウズ・ヤマハ)
1998年
F1世界選手権 6位(ジョーダン・無限ホンダ)
1999年
F1世界選手権 12位(ジョーダン・無限ホンダ)

Career

デイモン・ヒルは、F1で2度のタイトルを獲得し、世界3大レースと言われるモナコGP、インディ500マイル、ル・マン24時間のすべてで優勝経験をもつ唯一のドライバーであるグラハム・ヒルの長男として、1960年に生まれました。
しかし、少年時代のヒルはレースに興味を持たず、音楽の道に関心が高かったと言われています。

1975年、ヒルは2輪のトライアル大会に出場、これが初めてのモータースポーツ競技会への参加となりました。この年、父親のグラハム・ヒルが飛行機事故で死亡。巨額の賠償金を負ったヒル家は、それまでの華々しい生活から、窮乏生活を強いられることになります。それでも2輪レースを続ける決意をしたヒルは、アルバイトに追われながらもレース活動を続けました。

4輪レースを始めたのは23歳の時で、本格的に2輪から4輪に転向したのはフォーミュラ・フォード1600に参戦した1985年のことです。1986年からはイギリスF3にステップアップし、1988年には2勝を挙げてランキング3位とキャリアを重ねました。1988年シーズン終盤に国際F3000選手権に出場し、1991年シーズンまで同選手権に参戦しました。
1990年、ミドルブリッジ・レーシングへ移籍したことが、F1への道を開く転機となります。ミドルブリッジがF1のブラバムを買収したため、ヒルはブラバムのテスト&リザーブドライバーの座を獲得したのです。
翌1991年には、当時トップチームだったウイリアムズのテストドライバーとして起用され、ヒルのF1昇格が現実的になってきました。

1992年の第4戦スペインGPからブラバムのレギュラーシートを得てF1参戦を開始するも予選落ちが続き、初の決勝進出は第9戦イギリスGPとなりました。しかし、チームの苦境は続き、2回目の決勝レースとなった第11戦ハンガリーGPが、ブラバムにとってF1最後のレースとなってしまいます。

1993年、ふたりのトップドライバーがチームを離れたウイリアムズが、テストドライバーだったヒルをレギュラードライバーに昇格させます。チームメイトとなったチャンピオン経験者のアラン・プロストと対等に渡り合ったヒルは、第11戦ハンガリーGPでF1初優勝を挙げると、第12戦ベルギーGP、第13戦イタリアGPと3連勝し、タイトル獲得の可能性まで浮上。最終的にランキングは3位に終わりましたが、トップドライバーとしてのポジションを得ることに成功したシーズンでした。

1994年、ウイリアムズに激震が走りました。ヒルのチームメイトとしてチームに加入したアイルトン・セナが第3戦サンマリノGPで事故死し、ヒルは突然エースドライバーの立場となります。一躍チャンピオン候補となったヒルは、頭角を表してきたミハエル・シューマッハーとのタイトル争いを展開。1995年もシューマッハーとタイトルを争ったヒルでしたが、最終的にシューマッハーが2連覇を成し遂げ、ヒルは両年ともランキング2位に終わっています。

1996年、チームメイトにジャック・ビルヌーブが加入。2世ドライバー同士のラインアップは大いに話題となりました。ウイリアムズはトップチームとしてのポジションをキープし、タイトル争いはヒルとビルヌーブのチームメイト対決となります。開幕3連勝を果たし、第9戦フランスGPまでに6勝を挙げて先行したヒルを、ビルヌーブがシーズン後半猛追。タイトル争いの決着は最終戦日本GPに持ち込まれ、ビルヌーブがトラブルで脱落し、ヒルのチャンピオン獲得が決まりました。しかし、遡ること第14戦イタリアGP直前の段階で、ウイリアムズはヒルとは翌年の契約を行わないと発表していました。このヒル解雇の理由は未だに明らかになっておらず、今も不可解な出来事とされています。

1997年、ヒルはアロウズに移籍しましたが、前年チャンピオンに見合う活躍ができるチームではなく、1998年にジョーダンに移籍。ジョーダンは同年からF1参戦6年目となる無限Hondaを搭載し、上位進出を狙いました。シーズン前半戦は苦戦を強いられたジョーダンでしたが、後半はマシンが進化を遂げ、第13戦ベルギーGPでヒルは優勝を飾りました。最終戦日本GPでも4位に入賞し、ヒルはランキング6位、ジョーダンはコンストラクターズ・ランキング4位と躍進を果たしました。
1999年、レース結果に精彩を欠いたヒルは、シーズン途中で引退を表明。引退レースとなった最終戦日本GPでは、コースアウトしてノーズを傷め、その後にリタイアしています。

引退後、ヒルはテレビ解説やイギリスでレーシングクラブの要職を務めるなどしており、F1会場にその姿を見せ続けています。

Career
Records

Records

Profile

名前
デイモン・グラハム・デヴァルー・ヒル
生年月日
17/09/1960
出身地
イギリス・ハムステッド(ロンドン)
体重
76.5kg
身長
182cm

Race Wins

  • Total
    0
  • Honda*
    0

Pole Positions

  • Total
    0
  • Honda*
    0

Races ※1

  • Total
    0
  • Honda*
    0

Podiums

  • Total
    0
  • Honda*
    0

Retirements ※2

  • Total
    0
  • Honda*
    0

Laps Raced ※3

  • Total
    0
  • Honda*
    0

Laps Led ※3

  • Total
    0
  • Honda*
    0
  • *無限ホンダ
  • ※1 レース数は、失格を含む。※2 リタイア数は、完走扱いと失格を含まない。※失格時の周回数は除外。

Formula 1.com、他リザルトデータより