「プロフェッサー(教授)」と呼ばれ、1980年代から1990年代にかけてF1のトップに君臨し、
その知的で緻密な戦い方で4度のチャンピオンを獲得したのがアラン・プロストです。
特に1988年にマクラーレン・ホンダで、
チームメイトのアイルトン・セナと繰り広げた激闘は、
F1史に残るものとして語り継がれています。
チームの16戦15勝という圧倒的な強さを支えるなかで、
プロストのライバルはチームメイトのセナただひとりでした。
ふたりの戦いはエスカレートし、チャンピオン争いは死闘へと変わります。
最終的に優勝7回、2位7回という安定した成績を重ねたプロストがポイントで上回るものの、
当時の有効ポイント制度によってタイトルはセナが獲得。
この結果は後に両者の対立を決定的なものにする要因となりました。
性格もスタイルもまったく異なるプロストとセナが同じチームで戦い、
ともに譲らない誇りと意地をかけた死闘は、プロストがチームを去った後も続きました。
1988年から1990年の3年間、F1の主役は常にこのふたりで、
「セナとプロストの時代」としてF1史に刻まれています。

Profile
- 名前
- アラン・プロスト(Alain Prost)
- チーム
- Honda Marlboro McLaren(1988-1989)
- 国
- France
- 生年月日
- 1955年02月24日
主な戦績
- 1979年
- ヨーロッパF3選手権 チャンピオン
- 1980年
- F1世界選手権 16位(マクラーレン・フォード)
- 1981年
- F1世界選手権 5位(ルノー)
- 1982年
- F1世界選手権 4位(ルノー)
- 1983年
- F1世界選手権 2位(ルノー)
- 1984年
- F1世界選手権 2位(マクラーレン・TAGポルシェ)
- 1985年
- F1世界選手権 チャンピオン(マクラーレン・TAGポルシェ)
- 1986年
- F1世界選手権 チャンピオン(マクラーレン・TAGポルシェ)
- 1987年
- F1世界選手権 4位(マクラーレン・TAGポルシェ)
- 1988年
- F1世界選手権 2位(マクラーレン・ホンダ)
- 1989年
- F1世界選手権 チャンピオン(マクラーレン・ホンダ)
- 1990年
- F1世界選手権 2位(フェラーリ)
- 1991年
- F1世界選手権 5位(フェラーリ)
- 1993年
- F1世界選手権 チャンピオン(ウイリアムズ・ルノー)

Career
1955年、フランスで生まれたアラン・プロストは、少年時代はサッカー少年で、プロ選手になることを目指していました。転機は14歳の頃、たまたま出会ったレーシングカートが、プロストの将来を大きく変えることとなります。
その後カートレースに打ち込んだプロストは、1972年にヨーロッパ・ジュニアカート選手権を制覇すると、翌年以降、より上位クラスのカート選手権でタイトルを獲得し、4輪レースにステップアップしました。
1976年、フォーミュラ・ルノー・フランス選手権に出場し、13戦12勝の圧倒的強さでチャンピオンを獲得すると、1977年はフォーミュラ・ルノー・ヨーロッパ選手権に進出し、ここでも6勝を挙げてチャンピオンとなっています。
1978年、ヨーロッパF3選手権に参戦。初年度はあまり結果を残せませんでしたが、2年目となる1979年は13戦9勝でチャンピオンを獲得し、F1への道が開けました。
当初、フランスチームであるリジェへの加入を望んでいたプロストでしたが、交渉がうまくいかず、1980年マクラーレンに加入し、F1デビューを果たします。デビュー戦で入賞するなど好結果を残したものの、当時のマクラーレンは低迷期で、プロストはフランスチームであるルノーへの移籍を決断しました。
1981年、ワークスチームであるルノーで戦い、第8戦フランスGPでF1初優勝を飾ります。シーズン3勝を挙げ、これを含めて表彰台6回でしたが、それ以外はすべてリタイアという、マシンの信頼性に悩まされたシーズンでもありました。1983年まで3年間ルノーに在籍し、タイトル争いをするトップドライバーとしての地位を確立しましたが、チャンピオンにはあと一歩、手が届きませんでした。一方、チーム内での確執にも直面。さらに親友だったジル・ヴィルヌーヴとディディエ・ピローニがフェラーリ内で争い、ともに大事故を起こしてヴィルヌーヴは死亡、ピローニは再起不能に陥るという悲劇が起きます。この経験がプロストのその後の人生観、レース観に大きな影響を与えたと言われています。
1884年、マクラーレンに復帰したプロストは、2度のワールドチャンピオンを獲得していたニキ・ラウダのチームメイトとなり、タイトル争いは圧倒的な速さを見せるこのふたりの一騎打ちとなりました。速さを武器に攻めるレースを展開するプロストに対し、安定したレース運びでポイントを重ねるラウダとの争いは、最終的にラウダに軍配が上がり、プロストは僅差でタイトルを逃します。この年の教訓がプロストのレーススタイルに影響し、より緻密で戦略的なドライバーへと変貌することになります。
1985年、知的で戦略的なレースを実践したプロストは、フランス人として初のワールドチャンピオンに輝き、翌1986年も王座に就いて連覇を果たしました。タイトル連覇はジャック・ブラバム以来26年ぶりとなる快挙で、プロストはそのレース運び、タイトル獲得術から「プロフェッサー(教授)」と呼ばれるようになりました。1987年、3連覇に挑んだプロストでしたが、圧倒的な速さを見せたウィリアムズ・ホンダに対しては劣勢が続きます。それでも持ち前の戦略性の高さで着実にポイントを重ねたプロストは、シーズン終盤までタイトルの可能性を残しましたが、ランキング4位に終わりました。この年の9月、マクラーレンは翌年Hondaエンジンを搭載することと、アイルトン・セナの加入を発表しています。
1988年、Hondaエンジンを搭載したマクラーレンMP4/4は、圧倒的な速さを見せました。16戦15勝の伝説的なシーズンを送るチーム内では、プロストとセナの激しい戦いが繰り広げられました。ジョイントナンバー1という体制を採ったマクラーレンは、この状況をコントロールすることに難航し、ふたりの戦いは激しさを増していきます。シーズン15勝のうち、セナが8勝、プロストが7勝という優勝数でしたが、2位7回と着実にポイントを重ねたプロストが、獲得ポイントでは上回る結果となりました。しかし、当時の有効ポイント制によってプロストはタイトルを得られず、セナが初のワールドチャンピオンに輝きました。
1989年、ターボエンジンから自然吸気エンジンへ変更されましたが、マクラーレン・ホンダの優位は揺るぎませんでした。16戦10勝の速さを堅持したシーズン、プロストとセナの争いはさらに激しさを増していきました。第2戦サンマリノGPでは、好スタートを決めた方がトサに先に侵入するという紳士協定を結んでいたにもかからず、プロストはセナがこれを破ったと激怒。チームも仲介に入り、いったんはセナが謝罪することで収めましたが、ふたりの争いはより深刻な確執へと発展。タイトル争いが激化するなか、プロストはシーズン中盤に翌年からのフェラーリへの移籍を発表し、その後のタイトル争いに大きな影響を与える事態となります。タイトル争いのクライマックスは日本GPでした。ともに譲らない両者はシケインで接触し、ストップ。プロストはすぐにマシンを降り、コントロールタワーに抗議に向かいました。一方のセナはマシンを立て直して走行を再開し、トップチェッカーを受けます。セナに失格の裁定が下されましたが、これを不服とした騒動は、最終的に年を超えるまで続きました。最終戦オーストラリアGPは大雨となり、危険と判断したプロストはレースを棄権し、セナはアクシデントでリタイア。プロストは3度目のワールドチャンピオンの座を得ました。
1990年、フェラーリに移籍したプロストは、マクラーレン・ホンダのセナと再びタイトル争いを展開します。シーズン5勝を挙げて、セナとのタイトル決戦に臨んだ第15戦日本GPで、再び両者は激突します。スタート直後の1コーナーでプロストとセナは接触し、ともにコースアウトしてストップ、リタイアとなりました。この瞬間、セナのタイトル獲得が決定しています。
1991年、低迷するフェラーリでプロストは勝利から遠ざかり、タイトル争いから脱落。シーズン中にチーム批判を重ねていたプロストの口撃は収まらず、最終戦を前に契約解除が発表され、オーストラリアGPには出走しませんでした。
プロストは自らチームを起こす動きを見せますが、結局まとまらず、1992年は休養の年となりました。1993年は当時圧倒的な速さを見せていたウィリアムズへ移籍し、4度目のタイトルを手にします。しかし、トップの座にいるうちに退きたいという思いやモチベーションの低下から引退を決意、プロストの現役生活は幕を閉じました。
以降、チーム設立に意欲を燃やしたプロストは、リジェを買収して1997年プロスト・グランプリでF1に参戦しました。参戦初年度は日本人ドライバーの中野信治を起用し、話題を呼びました。当初は上位成績を上げるなどの活躍を見せましたが、その後は低迷を続け、2001年でその活動を終えています。

Records
Profile
- 名前
- アラン・マリー・パスカル・プロスト
- 生年月日
- 24/02/1955
- 出身地
- フランス・ロレット
Race Wins
-
Total
0
-
Honda
0
Pole Positions
-
Total
0
-
Honda
0
Races ※1
-
Total
0
-
Honda
0
Podiums
-
Total
0
-
Honda
0
Retirements ※2
-
Total
0
-
Honda
0
Laps Raced ※3
-
Total
0
-
Honda
0
Laps Led ※3
-
Total
0
-
Honda
0
- ※1 レース数は、失格を含む。※2 リタイア数は、完走扱いと失格を含まない。※失格時の周回数は除外。
Formula 1.com、他リザルトデータより