1988

奇跡の大逆転 セナ悲願の初戴冠

1987年に鈴鹿サーキットでのF1グランプリが初めて開催され、2年目となる1988年、第15戦となる日本GPを迎えるまで、にマクラーレン・ホンダは14戦中13勝を挙げる圧倒的強さを見せていました。そのマクラーレン・ホンダを駆るアイルトン・セナとアラン・プロストのふたりは、予選でグリッド1列目を独占します。

曇天の決勝日、12万人の観客が見守るなか、26台(ターボ車10台とNA車16台)がスタートを切ります。その時一瞬ストールしたマシンが2台、ポールポジションのセナと中嶋悟(ロータス・ホンダ)でした。幸い鈴鹿のストレートは下っているため、2台はなんとかスタートできたものの、大きく出遅れてしまいます。これでトップに立ったプロストが断然有利にレースを運ぶかと思われましたが、イバン・カペリ(マーチ・ジャッド)が16周目に一瞬プロストを抜いて首位を奪うなど、劇的なシーンに場内は沸きました。一方、1周目を8番手で終えたセナは怒涛の追い上げを見せ、20周目には2番手に上がると、首位のプロストを猛追し、その差を詰めていきます。

折しも空からポツリと小雨が降り始め、レースに変化が起こり始めました。プロストの前方にはタイミング悪く周回遅れが次々に現れ、タイムロスを強いられます。53周レースの28周目に入るメインスタンド前、セナは遂にプロストの背後に迫り、そしてターン1で一気に抜き去り首位に立ちました。その後もペースを緩めないセナは、チェッカー時にはプロストに約13秒もの差をつける圧倒的な速さを見せつけ、F1挑戦5年目にして自身初のワールドチャンピオンの座を射止めたのです。

スタートで出遅れた中嶋もまた、1周目に20番手まで後退したものの驚異の追い上げを披露し、18周目には10番手、最終的に7位でフィニッシュし、多くのファンを沸かせました。この大会にスポット参戦した1998年の全日本F3000チャンピオン鈴木亜久里(ラルース-ローラ・フォード-コスワース)は、16位完走という結果でした。

レース後、パドック内ではHondaの創業者である本田宗一郎がセナを祝福し、その2ショットは大きな話題となりました。