Cub Stories

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Special生産累計1億台達成記念
特別寄稿

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「手のうちに入るものをつくれ」その真意とは?

「手のうちに入るものをつくれ」その真意とは?
「手のうちに入るものをつくれ」その真意とは?
「手のうちに入るものをつくれ」その真意とは?

この8つの試案から、3種類の試作を仕上げた。スーパーカブの大きな特色のひとつである自動遠心クラッチの完成に辿り着いた。左手操作がフリーの、まさに二輪革命ともいえる開発は、幹部と社員が一丸となった結果。目の前の問題に没頭して、意識を共有しながら個々のアイデアを積み重ね、取捨選択を進める。これが、当時創業10年を経たばかりの若いホンダの社風であり、今日につながるホンダの深層底流であるとも言い切れる。

こうしてエンジン、トランスミッション、車体設計と進むにしたがって、4月からは車体のデザインが始まった。

「親父さんが繰り返し言っていた『手のうちに入るものをつくれ』ということ。最初、この言葉の正確な意味がつかめず、たぶん親父さんの郷里の遠州の方の言葉なのだろうと思って、エンジン設計の河島さん(河島喜好・2代目ホンダ社長)が浜松出身なので、教えてもらいました。『それは小さいものを作れってことだ。自分の身体のなか、手のなかで持てるものってことだよ』つまり誰でも簡単に扱えるコンパクトなものをつくれ、ということなのですね」(木村)

デザインをまとめるうえで、本田宗一郎がこだわったのは、タイヤのサイズだった。低速でも安定した力を出せる新しいエンジンを活かすためのタイヤサイズとは? つきつめればタイヤのサイズにより車格が決定されて、それは日本人の体格にマッチするというもっとも重要な『手のうちに入るもの』の実現につながる。

「タイヤの研究陣が小径車輪の研究をしていて、タイヤのサイズは外径で21インチがいいと言うのです。ヨーロッパのモペッドは24インチから26インチで自転車並みの大径タイヤだったのですが、日本人の体格を考えれば、乗り降りがしやすく、足つきがよく、それでいて走破性を良くすることを考えれば、21インチだという。そこで私は、タイヤの太さ2.25、リム径17インチの小径タイヤに注目しました。2.25-17だと外径は54.5センチ(約21.5インチ)ぐらいになるのかな。その時点でエンジンの木製模型が届いていて、遠心クラッチとミッションが一体になっているから大きくて、幅が124ミリ、長さ450ミリぐらいあった。図面に2.25-17のタイヤを2本描いて、エンジンを水平に置いて、跨ぎ空間を大きくとり、1200ミリぐらいのホイールベースをとると、無駄なくピタっとおさまる。それでハンドルの位置をだいたい見当つけて、同じようにシートを描いてみれば、スーパーカブに近い格好です。ようするに、タイヤの大きさからスーパーカブのスタイルが生まれてきたということです」(木村)

ところが、この2.25-17インチというタイヤは当時日本国内では生産されていない未分野のサイズだった。既存のモノがないわけだから、モックアップのためにはめこむ実物大が手に入らず、これでは全体像が見えない。そこで担当スタッフたちは骨を折ったのである。なんと既成の18インチタイヤから1インチ分を切り取り、そこを詰めて、貼付けるようにして17インチ分の内径と外径を確保したのだ。モックアップ製作と同時に、量産に向けて働きかけが必要なタイヤとなった。

ないモノはない。生みの苦しみがつきまとう。

当初は写真の大和工場(埼玉県)で生産されたが、爆発する需要に対応するため鈴鹿製作所が作られた。
当初は写真の大和工場(埼玉県)で生産されたが、爆発する需要に対応するため鈴鹿製作所が作られた。

当初は写真の大和工場(埼玉県)で生産されたが、爆発する需要に対応するため鈴鹿製作所が作られた。

「大手タイヤメーカーさんであっても、たった1機種のバイクのために新しいタイヤの規格は作ってくれません。断られ続けて困っていたとき、やっと引き受けてくれた小さなタイヤメーカーさんが現れました」(車体設計担当・原田義郎)

こうした試作の段階から、つねに現物主義、実物主義を徹底していた。タイヤひとつといえども、実車と同じ大きさや形をあてはめるという手技と手法。

デザイン開発には、いわゆるデザイン検討の絵がなかったという。『机上の選択肢』を作らず、イメージが出来たらドンと作ってみようという思想と行動力が、本田宗一郎はじめスタッフたちにすでに根付いていたようだ。

「現物と同じ大きさの粘土モデル、つまり本物に近いもので真実を掴むというのが親父さんの哲学です。1分の1の粘土モデルならば、瞬間的に三次元的にも四次元的にも検討が出来て、計算や試作がいらない。しかも誰が見たって、その場でわかる。例えば私がスーパーカブの粘土モデルを作っていると、私はオートバイというものがまだよくわかっていませんでしたから、親父さんがやってきて『風はこう来て、こう飛ぶのだ』と言って、フロントカバーの幅が小さくなるようバサバサと削ってくれる。そのうちモデルの芯になっている金網が出てきて親父さんの指に刺さって『痛て!』となる。それでもまだバサバサ削っているから、私が診療所へ飛んでいって絆創膏をもらって来たりしました」 (木村)

従業員を背負いつつ、自身の夢も体現したかった創業者の気概あふれるエピソード。追随するスタッフたちも、苦労はあるけれど、新次元へ加速する手応えを感じていたはずだ。いち個人消費者を納得させる工業製品は、とにかくデザインが重要と本田宗一郎はつねに説いていたという。

「たとえばフロントフォークのデザインは、ディズニー映画『バンビ』を観ていて、疾走しているバンビが急停止するときの前脚が伸びた感じが頭に残っていて、そのイメージでまとめました。もうひとつ自信を持っているのは翼の形のプレス・ハンドルですね。これは他にはないオリジナル・デザインです。実はスーパーカブの開発中に、同時にベンリィのプレス・ハンドルも私が手伝ってデザインしています。だからスーパーカブのハンドルは、最初はパイプ・ハンドルだったのですが、私は絶対にプレス・ハンドルがいいと言って、それをベンリィでやって見せて、みんなの賛成をもらったわけです」(木村)

こうして、デザインの骨子が確立されていくなかで、スーパーカブの特色として目に映るレッグシールドやフロントフェンダーには、ポリエチレン樹脂が使われたことも特筆したい。従来のFRP樹脂に対して、車体重量を大幅に軽量化した。またポリエチレンのもつ柔らかい特性によって、割れにくく、あたたかみのある質感をもたせることにも寄与した。

「樹脂部分は材質がソフトなので色を変えて、柔らかさと明るさをもった配色構成にしました。ブルーという色は、海や空の色で、日本人に親しみのあるポピュラーな色です。スーパーカブは大衆の乗り物だから、凝った色を使うより、親しみのある色にしたかった。シートの紫がかった赤は、アクセントですね。当時、親父さんは赤いシャツを着たり、赤いスポーツカーに乗っていたので、それがひとつのヒントになった。キャサリーン・ヘップバーンが主演した映画『旅情』を観ていると、イタリアのヴェネチアガラスの紫がかった赤に光があたって美しく輝くシーンがあった。すこし青みが入った赤ならば、車体のブルーとマッチングがよくなるだろうと思いましてね」(木村)

ところで、このポリエチレン樹脂。当時の専門のメーカーは、これほど大きな成形をしたことがなかった。そこでホンダ側が金型を用意することを条件に注文を受けてもらったという経緯がある。社内のみならず、部品を頼まれる会社もともに、まだ見たことのない新機軸の二輪車を一日も早く実現したいという想いが募っていったのだろうか。

「どんな面倒なお願いをしても、嫌な顔ひとつ見たことはない。『頼むよ!』と言えば『よしわかった』と誰もが協力しあっていました。親父さんはよく『みんな、よく考えてくれ』と言っていましたが、スーパーカブはまさに『みんなして』力をあわせてつくったクルマなんです。スーパーカブをお客様にお届けするまでには、研究開発も頑張りますが、生産や営業、プレス部品や樹脂部品、あるいはシートなどを作ってくれる協力メーカーさんたちが私たちの意を汲み、一丸となって非常な努力をしてくれました。研究開発だけでは絶対にいいものは作れません」(木村)