MotoGP

MotoGP初代チャンピオンマシン RC211V 2002年モデルの思想と技術

MotoGP初代チャンピオンマシン RC211V 2002年モデルの思想と技術

車両コンセプト──NSR500路線を継承せず、まったく新しいロードレーサーを

2002年にロードレース世界選手権の最高峰クラスのレギュレーションが一新され、MotoGPとなった。とはいえ、行われるレースの長さは変わりなく、それを誰よりも速く走るというターゲットも不変。また、一新されたのは主にエンジンに関するところであり、車体については従来のGP500レーサーの技術をそのまま使える内容だった。

したがって、従来の最高峰クラスである500ccクラスの時代から継続参戦したバイクメーカーには、2ストロークエンジン車であったGP500レーサーの車体に4ストロークのMotoGPエンジンを積み替えた、というような成り立ちの車両を投入してきたところもあった。だがHondaは違った。これを機に、まったく新しいロードレーサー(舗装路用の二輪レーサー)の実現を目指した。

Hondaの従来のトップカテゴリー車両であるNSR500は、500ccクラスにおける最強マシンであった。特に1994年から2001年までの間における強さは圧倒的で、この8シーズンのうち7シーズンで個人(ライダー)とメーカー(コンストラクター)の双方の世界タイトルを獲得した。したがって、NSR500の車体に新開発の4ストローク・990ccエンジンを積むということでも、勝ち続けられるであろうと思われた。だが、Hondaはその選択をよしとしなかった。そして、レギュレーションの一新を、ロードレーサーの新しい方向性へ踏み出す絶好の機会と捉えたのだった。

NSR500 1997年モデル(シリーズ15戦全戦で優勝)

NSR500 1997年モデル(シリーズ15戦全戦で優勝)

新開発のMotoGPマシンにおいてHondaが立てたコンセプトは「乗りやすいこと」だった。それは当たり前と思われるかもしれないが、従来車のNSR500は2ストローク時代最強ではあったが決して乗りやすいマシンではなかったのだ。また、トップカテゴリーのレーシングバイクが乗りやすくはないことも当然のように思われるかもしれないが、本当に乗りにくいマシンでは、いくら世界随一のレーシングライダーたちであるとしても、その性能を引き出し切れるものではない。4ストローク化によりエンジン出力のコントロールを一層シビアに行えるようになるMotoGPでは、乗りやすく、車両性能を引き出し切って競争相手と戦えるバイクにすることが重要とHondaは考えた。

具体的には、4ストローク・990ccエンジンの導入によりパワーはNSR500より約30%も増大するが、その出力特性はライダーのスロットル操作に対してできるだけリニアで扱いやすいものとすること。そして、ハイパワーながらも、ひらひらと操れるハンドリングを実現することを大きなテーマとした。

なお、この新開発MotoGPマシンの名は「RC211V」となった。「RC」は、1950年代に始まるHondaの二輪ワークスレーサーの系譜であることを語る名前である。そして「211」は21世紀に入って最初のHondaトップカテゴリーロードレーサーであることを示し、「V」にはV型エンジン、5気筒の5を表すギリシャ文字、そして勝利(Victory)の意味を込めていた。

RC211V 2001年プロトタイプ

RC211V 2001年プロトタイプ

車体──マス集中化の徹底、しなりを持たせたフレーム

舗装されたコースでのレースを戦うためのロードレーサーは、ライダーの着座位置が比較的後方で、上体が強い前傾姿勢となるポジションを取らせるのが長年のスタンダードだった。一方、モトクロッサーのようなオフロードバイクでは、ライダーの着座位置はずっと前寄りで、上体は立ち気味。そのほうが、不整地で減速しながらコーナーへ進入する際に重要なハンドリングの自由度が大きいからである。この場合、コーナー脱出時に必要な後輪荷重は、ライダーが着座位置を自ら後方へずらすことで高める。オフロードバイクではそのような体重移動を行いやすいようにポジションが設定されており、シートの形状もフラットになっている。

このオフロードバイクのポジションの思想を、HondaはRC211Vに採り入れた。従来のロードレーサーよりもライダーの着座位置は前寄りにし、前輪荷重を上げやすくすることで、コーナリング時の高いコントロール性を実現させた。なお、RC211Vの初めての実戦車である2002年モデル(類別記号NV5A)の操縦安定性開発担当のリーダーは、全日本ロードレース選手権の大排気量カテゴリーに出場していた元レーシングライダーであり、彼は自らテスト車を乗り込みながら、「乗りやすいロードレーサーとは何かを考え続けた結果、RC211Vではライダーがどこまで前の位置で乗れるようにするかを意識しました」と語っている。

RC211V 2002年モデルを駆るバレンティーノ・ロッシ選手

RC211V 2002年モデルを駆るバレンティーノ・ロッシ選手

Hondaは、乗りやすさに対するアプローチを物理的な面でも当然行った。ロール(前後方向の軸まわりの回転)、ピッチ(左右方向の軸まわりの回転)、ヨー(上下方向の軸まわりの回転)という3方向の慣性モーメントを、マス(質量)の集中化によって小さく抑えることに徹底的に取り組んだのだ。モーターサイクルにおける最大の質量物はエンジンである。RC211Vではそれをできるだけ『球体』に近づけ、ロール、ピッチ、ヨーの慣性モーメントを同じような値に近づけることをエンジンに課した(※このRC211Vエンジンの仕様については後述)。

また、燃料タンクも大きな質量物だ。4ストロークエンジンのMotoGPマシンの燃料タンク容量の上限は、2002年シーズンでは24ℓと規定されており、フルタンク状態では燃料だけで約18kgにもなる。レースが進むにつれてそれが減っていくのだ。そんな燃料を納めるタンクについても、HondaはRC211Vで創意工夫を凝らした。

世の中の大半のモーターサイクルでは燃料タンクはエンジン上方・ライダー前方に位置しているが、RC211Vでは24ℓのタンク容量の半分程度はライダーが座るシートの下に来るようにした。そのために、馬の鞍のような特殊な形状のタンクを開発した。これにより、通常タンク車に対して車両の重心高を低めたほか、燃料消費にともなう重心高の変化とそれによるハンドリングへの影響を抑えた。この低重心タンクレイアウトは、後年に他のバイクメーカー各社がこぞって採用してMotoGPマシンのスタンダードとなったが、先駆けとなったのがRC211Vの2002年モデル(NV5A)であった。

RC211V 2002年モデルの燃料タンク

RC211V 2002年モデルの燃料タンク

RC211Vの車体が従来車両であるNSR500と最も大きく異なるのは、車体剛性の設定である。高いエンジン出力と、それを受け止めるレーシングタイヤの強大なグリップ力に対応するためには、車体剛性は高くなければならない。ただし、車体の剛性というものには、縦方向の曲げ剛性と横方向の曲げ剛性だけでなく、車体がねじれるモーメントに対する剛性がある。そして従来のトップカテゴリー車両であるNSR500では、エンジン出力とタイヤ性能の向上にともなって、いずれの剛性も例外的なく引き上げてきていた。

しかし、モーターサイクルの場合、どの方向に対しても硬い、いわば剛体のような車体では、高い旋回性能を得にくいのである。そこでRC211Vでは、横方向の曲げ剛性を大幅に落とした。フレームボディで17%、スイングアームで12%もNSR500より低い横剛性に設定。つまり、横方向に“しなる”車体とした。

それでいて、ねじり剛性は、フレームボディで23%、スイングアームで29%もNSR500より高めた。コーナーの中で加速モードに入ったときのロードレーサーは依然として車体が傾いた状態にあり、エンジン出力とタイヤのグリップ力を高い効率でつないでトラクションとするためには、車体のねじり剛性は高くあってほしいからである。具体的にいえば、ステアリングヘッドパイプとスイングアームピボットとリヤアクスルの各座標の位置関係は、車体が傾いた状態での加速時ではできるだけ動かないようにしたいのだ。そのための車体ねじり剛性の引き上げである。特にRC211Vは、NSR500より約30%も高いエンジン出力と15kgも重い車両重量であるため、ねじり剛性はNSR500より高めたかった。

NSR500とRC211Vのフレームボディ剛性FEM解析(有限要素法)

NSR500

NSR500

RC211V

RC211V

フレームボディやスイングアームのねじり剛性を高めた場合、それまでの標準的な作り方では横剛性も上がってしまった。そこでHondaはRC211Vにおいて、フレームボディとスイングアームに新しい考え方による形状や構造を採用した。時代はすでに2000年代に入っており、それらの設計はCAE(コンピュータ支援エンジニアリング)による解析を全面的に採り入れて行った。

RC211Vのユニットプロリンクリヤサスペンション

RC211Vのユニットプロリンクリヤサスペンション

リヤサスペンションにユニットプロリンクを採用したことは、RC211Vの大きな特徴のひとつである。

モーターサイクルのリヤサスペンションは、後輪を支持しながら上下動するリヤアーム(スイングアーム)と、その上下動を制御するダンパーとスプリング(まとめてクッションユニットと呼ぶことが多い)からなる。クッションユニットの上側は車体(フレームボディもしくはシートレール)に取り付けるものがほとんどだが、下側の取り付けには大きく分けて2種類ある。ひとつはスイングアームに直付けするもの、もうひとつはリンクにつなげるものだ。後者の形式のリヤサスペンションは「リンクサス」と通称される。そしてHondaは1981年モデルのモトクロッサーであるCR250RおよびCR125Rで初めてリンクサスを採用。「プロリンク」という技術名とした。サスペンションストロークに応じて荷重がプログレッシブに変化するリンク式サスペンションであることからの命名である。

1980年代前半以降のHondaのモーターサイクルは、一般のストリート用か競技用かを問わず、大半がリヤサスペンションにプロリンクを採用した。そして、そのすべてがボトムリンク式であった。これは、左右のフレームボディをつなぐクロスパイプと呼ぶ部品にクッションユニット上側の取り付け点を設ける形態である。

しかし、RC211Vではその形態を取りたくなかった。リヤの入力荷重が直接伝わると、横方向の曲げ剛性を落とした車体全体がねじれてしまうからだ。そこで採用したのが、フレームボディ側にクッションユニットの上側取り付け点を持たせないサスペンションであるユニットプロリンクだった。

ユニットプロリンクは、クッションユニット上側取り付け点をスイングアーム基部の近くの補強構造体に設ける形態で、スイングアーム側で自己完結するリヤサスペンションとなっている。そもそもはHondaにおいてストリートバイクのために開発されていた技術であり、その情報がRC211Vの開発チームにもたらされ、採用が決まった。これにより、リヤからの荷重が入らない車体構造となり、リヤサスペンションと直接つながらないフレームボディの設計自由度は飛躍的に高いものになって、RC211Vでの低重心燃料タンクレイアウトの実現にもつながった。

標準的なプロリンク

標準的なプロリンク

ユニットプロリンク

ユニットプロリンク

エンジン──V型5気筒という独創的な選択

2002年からロードレース世界選手権の最高峰クラスとなったMotoGPでは、車両の最低重量はエンジンの気筒数によって異なる数値が設定された。3気筒以下は135kg、4気筒と5気筒は145kg、6気筒以上は155kgというものだ。そのうえでHondaは、ロール、ピッチ、ヨーの3方向の慣性モーメントが同じような値になり、コンパクトで、車両への搭載性が高いものとすることをエンジンの命題とした。

HondaはRC211Vのエンジン形態の検討を入念に行った。単気筒から6気筒までのすべての気筒数のエンジンを、直列(二輪では「並列」と呼ぶことが多い)とV型の双方のシリンダーレイアウトを採った場合の、振動、エンジンのジオメトリー、エンジン重量という3つの大きな要件を鑑みての考察を重ねた。

モーターサイクルではほとんどの場合、エンジンは横置き(クランクシャフトが横方向になる配置)である。そのうえで、RC211VではV型4気筒(V4)がHonda的に最も順当なレイアウトと思われるところだった。しかし、一次振動(クランクシャフトの回転数と同じ周期の振動)をキャンセルできる90°のVアングル(2列あるシリンダー列の挟み角)では縦方向のエンジン長が長くなるため、RC211VではV4案は却下した。では並列4気筒はというと、縦方向のエンジン長は短いが、横方向に長く、バランサーをつけても二次振動(クランクシャフトの回転数と2倍周期の振動)は残るため、やはり却下であった。なお、気筒数が多いほど高いエンジン出力を確保しやすいが、6気筒では最も重いランクの車重となり、タイヤの摩耗が一層早く進行してしまうなどの弊害が大きいため、検討の初期段階から見込みなしとしていた。

車重との相関からのエンジン気筒数の検討

車重との相関からのエンジン気筒数の検討

では3気筒は? V型3気筒については、エンジンサイズ的にはV4とさほど変わりなく、また、振動を打ち消すためのバランサーが必要になるため、エンジン開発者側の検討の段階で却下。車体開発者側での検討の俎上には載らなかった。一方、並列3気筒は有力だった。RC211Vのエンジン開発者が初期段階で最も可能性が高いと考えていたエンジン形態は並列3気筒であった。出力では4気筒にかなわないかもしれないが、車両の規定最低重量が135kgと4気筒車より10kg軽く、パワーウェイトレシオでは互角にできる。そして10kg軽いこと自体は、タイヤを長持ちさせることにストレートに寄与する。ただし、並列3気筒には振動の問題があった。バランサーをつければキャンセルできるが、バランサーとはつまり重りであり、レーシングエンジンをむざむざ重く作ることはしたくなかった。

そうしてエンジン開発者が悩んでいたところへ、思わぬ言葉が寄せられてきた。それは「V型5気筒なんかできると、Hondaらしくて面白いんだけどな」というもの。それは、Hondaの二輪商品企画部門のリーダーが発した、なにげないひと言だった。

その言葉を耳にした当初は本気で取り合わなかったRC211Vのエンジン開発者だったが、念のためにV型5気筒の構成図案をラフに引いてみると『意外にいけそう』と感じるものがあった。そこで改めて検討を行ったところ、一次振動もカップリング振動(クランクピンが位相した気筒間に生じる振動)も、バランサーなしでキャンセルできることが分かった。具体的には、各気筒に往復運動部重量の50%のカウンターウェイトを持たせ、1番(前列左端)シリンダーと2番(後列左端)シリンダー、4番(後列右端)シリンダーと5番(前列右端)シリンダーの各々で25%ずつの不釣り合いを相殺し、3番(前列中央)シリンダーで残った50%(25%+25%)を相殺することで、一次振動を解消。また、V型5気筒では3番シリンダーを中心に左右対称のシリンダー配置となるため、カップリング振動も理論上ゼロとなるのだった。

RC211V V型5気筒エンジンの透視図

RC211V V型5気筒エンジンの透視図

かくして、形態はV型5気筒に決まった。RC211Vは、V型5気筒エンジンを採用した史上初の二輪車となった。この独創的な技術が、商品企画部門からのひと声をきっかけに作り出されたものであるところが、いかにもHondaらしいのである。

形態をV型5気筒に決めたところで、エンジンについて次に検討すべきはVアングルと点火間隔であった。まず、Vアングルは75.5°とした。クランクピンを共有する1番・2番と4番・5番の各シリンダーの合力を、中央の3番シリンダーで打ち消すという考えに基づきながらの力学的な計算から導き出されたものだ。1番・2番シリンダーの共有クランクピンと4番・5番シリンダーの共有クランクピンは同位相であり、それに対する3番シリンダーのクランクピンの位相を104.5°(=180°−75.5°)に設定することで、一次振動をキャンセルしている。

そして点火間隔だが、下記の不等間隔点火を採用した。

■RC211V 2002年モデルV型5気筒エンジン 各気筒の点火順序と点火間隔
2番シリンダー‐(75.5°間隔)‐5番シリンダー‐(104.5°間隔)‐3番シリンダー‐(180°間隔)‐4番シリンダー‐(75.5°間隔)‐1番シリンダー‐(284.5°間隔)‐2番シリンダー

乗り手と車両の連携が四輪車の比でなく強い二輪車の場合、各気筒の点火間隔というものがエンジンの出力特性、ひいては乗り手の感覚と実際のトラクション性能に大きく影響する。その事実を如実に示す例を作ったのは、実はHondaである。従来のトップカテゴリー車両であるNSR500のV型4気筒エンジンにおいて、長らくHondaは各気筒が等間隔(2ストロークの4気筒なので90°)の点火タイミングを採用していたが、1990年モデルにおいてクランクシャフト回転角180°ごとに2つの気筒を同時に点火する仕様に変更し、トラクション性能向上の手応えを得た。それを1992年モデルでさらに推し進め、「ビッグバン」と通称された68°‐292°の不等間隔2気筒同時点火を採用。その効果は非常に大きく、ライバルメーカー各社が慌てて追随したほどだった。この成功体験と知見をもとに、RC211VのV型5気筒も上記の不等間隔点火を採用し、「乗りやすさ」につなげた。

RC211V V型5気筒エンジンのレシプロ系のイメージ

RC211V V型5気筒エンジンのレシプロ系のイメージ

パフォーマンス──16戦中14勝を実現させた圧倒的な競争力

初年度である2002年シーズンのMotoGPは世界13カ国で16大会が開催され、Honda、ヤマハ、スズキ、アプリリア、カワサキの5社が、それぞれ独自に新規開発した4ストロークエンジン搭載のMotoGPマシンを送り込んだ(カワサキはシーズン終盤から参戦)。Hondaが投入したRC211Vは、ワークスチームであるチームHRC(エントリー名はRepsol Honda)の2名のライダー、バレンティーノ・ロッシ選手と宇川徹選手が、シリーズ全戦で走らせた。また、シーズン後半に入ると、サテライトチームであるグレシーニ・レーシング所属の加藤大治郎選手とチーム・ポンス所属のアレッシャンドレ・バロス選手にもRC211Vを供給した(彼らは、シーズン前半は2ストロークエンジン車のNSR500で戦っていた)。

そしてRC211Vは、2002年シーズンの全16戦を終えたところで、ポールポジションを9回、優勝を14回獲得。87.5%という驚異的な勝率を記録した。NSR500より約30%も高出力でありながら「乗りやすさ」を追求したRC211Vだが、その競争力が傑出していたことが明確な結果によって証明された。

2002年MotoGP開幕戦日本GPをRC211Vで制したバレンティーノ・ロッシ選手

2002年MotoGP開幕戦日本GPをRC211Vで制したバレンティーノ・ロッシ選手

同車の開発ライダーのひとりであった伊藤真一選手(1993〜1996年ロードレース世界選手権500ccクラスにチームHRCからフル参戦)が語った、RC211Vの2002年モデル(NV5A)が優れていた点を紹介する。

●V型5気筒・990ccエンジンのパワーはすさまじい。6速ギヤに入れてからも加速感が衰えず、ひたすら増速していく。
●それでいて、スロットルを全閉した状態からの開け始めでも、パワーの出方がスムーズ。NV5Aでは、ライダーを補助する電子制御は本当に限られたものしか入っていなかったが、十分に扱いやすいエンジン特性。
●それまで自分が乗ってきたロードレーサーでは経験したことのないほどに、乗る位置がとても前方で、最初は面食らった。前輪の上に乗っているような感覚。これは、慣れるしかなかった。
●しかし、慣れてしまえば、そのポジションが実に理に適っていることが理解できた。フロントの押さえが実に効いている。普通のポジションであったなら、加速のたびに前輪が浮き上がって、まともに全開にしては走り続けられなかったのでないか。
●とにかく、よく曲がる。コーナリングにおいて、身体を無理に内側へ持っていく必要はなく、バイクのセンターに乗っていればいい。これも、フロントに荷重がしっかりかかる車体ジオメトリーとライダーのポジション、そしてNSR500のものより横剛性を落としたことでコーナリング中にしなりが出るようになったフレームボディの剛性設定が効いている。また、ねじり剛性は高められているので、コーナー立ち上がりの加速時に車体の振れが出る量は最少限。
●ユニットプロリンクのリヤサスペンションは、フレームボディにつながっていないぶん、ライダーが感じられるリヤタイヤの接地感が薄いことは確か。これも慣れるしかないところだが、サスペンション性能そのものはコンベンショナルなプロリンクと変わりない。ライダーに伝わる路面からの反発力の情報量が少ないぶん、より大胆にスロットルを開けていけ、そこで急激にかけられた荷重も十分に受け止めてトラクションに変えるキャパシティがある。

RC211Vの開発テストを走る伊藤真一選手

RC211Vの開発テストを走る伊藤真一選手

もちろん、問題点も多数あった。まず、2002年シーズンの開幕時点ではエンジンの耐久性が十分に確立できておらず、シーズン前半は暫定的な手を打ちながら各レースをしのいでいかねばならなかった。その間にHRCにおいて様々な対策を講じていき、シーズン終盤までに大幅な信頼性向上を果たした。

また、車両性能の面では、エンジンブレーキが強すぎて減速時の車両コントロール性が高くないという問題が特に大きかった。減速時の後輪への伝達トルクと後輪の実際の回転数が噛み合わないことが原因である。それを調整するバックトルクリミッターという機構をRC211Vでは最初の段階からクラッチに装備させていたが、ライダーたちにとっては十分でなかった。その対策は翌2003年への課題となり、「減速制御」という思想を盛り込んだHonda独自の電子制御スロットルシステム HITCS(Honda Intelligent Throttle Control System)の開発・投入へとつなげた。

Hondaとしての反省点はいろいろとあったが、事実として、RC211VはMotoGP初年度であった2002年シーズンを席巻した。全16戦のシリーズにおいて14勝をマークし、ライダー(ロッシ)、コンストラクター(Honda)、チーム(Repsol Honda)の3つの世界タイトルすべてを獲得した。こうした結果は、従来の最強マシンNSR500の成功を引きずることなく、まったく新しい思想で車両開発を行ったHondaのアプローチが正しかったことの証明である。そしてRC211Vは、その後の様々なMotoGPマシンのベンチマークとなった。

2002年MotoGP開幕戦日本GPに出場した3台のRC211V

2002年MotoGP開幕戦日本GPに出場した3台のRC211V

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