モータースポーツ・スポーツ
数々の最年少記録を塗り替え、新たな記録に挑戦するF1ドライバー・角田裕毅選手に聞く、「夢への原動力」
今年4月、Hondaは「The Power of Dreams」を23年ぶりに再定義し、新たに副文「How we move you.」を発表。日本語に訳すと「夢の力であなたを動かす」です。この副文を具現化する存在が、観る人に夢と感動を与えてくれるレーシングドライバーたち。本特集では、日本人ドライバーへのインタビューをお届けします(全4回)。
最終回は、「FIAフォーミュラ・ワン世界選手権(F1)」に参戦中の角田裕毅選手(23歳)。F1ワールドチャンピオンを目指す角田選手の「原動力」とは果たして?
2024年も引き続きスクーデリア・アルファタウリから継続参戦することが決まっている角田選手の挑戦と挫折からの復活劇、さらには今後の野望についても迫ります。モータースポーツファンからまだレースはこれからという方まで、必読のHonda Storiesです!
角田 裕毅 (つのだ ゆうき)
さらに表示4歳で初カート、連戦連勝を重ねた幼少期
2023年9月22日に鈴鹿サーキットにて開催された2023 FIA F1世界選手権シリーズLenovo日本グランプリレース。決勝レースが行われた9月24日最終日だけで10万1000人、3日間で延べ20万人を超える観客が鈴鹿に詰めかける日本最大級ともいえるレースイベントとなりました。
角田選手は予選で見事Q3進出を果たし、決勝で入賞圏内の9番手からのスタート。最終的には12位という結果でしたが、角田選手を応援するファンからの大歓声が響き渡り続けたレースでした。振り返ってみてどのようなレースだったでしょうか。
そんな角田選手が最初にカートに触れたのは、4歳のときのこと。ジムカーナ競技を中心に参戦していた元レーサーである父・角田信彰氏に連れられて、キッズカートに乗ったことから角田選手のレーサー人生は始まりました。
家族旅行の帰りに立ち寄ったという中井インターサーキットには、キッズカートとポケバイが走れるサーキットが併設されており、角田選手はここで初めてカートに乗りました。
当時のことはよく覚えていませんが、家でも足蹴り車で遊ぶ程度には車が好きだったので、ポケバイとキッズカートが選べた中、キッズカートがやりたいと言った記憶がありますね。円形のコースを走ったことを覚えています。
その後、中井インターサーキットが運営するREONキッズカートスクール神奈川校に入学し、少しずつレースの勉強を重ねていった幼少期。同世代の友人とレースで順位を競うことが楽しくて、走れば結果が出るので面白かったと角田選手は言います。
当時はレースも練習も今のように真剣にやっていたわけではなく、すぐに「疲れた」と言ってピットに入ってきてしまうような子どもでした。レースのことも大してわかっていなかったので、予選のセッション中にあやまってピットに入ってしまいあわや失格というシーンもありました。
それでもレースオーナーの配慮で本選にピットレーンスタートながら出場できることとなり、そこから挽回して優勝することができた。思えば車を走らせることが楽しくて、だれかと競い、勝つことが嬉しかった、そんな記憶がありますね。
サーキットに行きたくない……、レースが楽しめなくなった思春期
生まれ持った運動神経の良さと負けず嫌いな性格が奏功し、カートを始めて2年目の2006年、中井インターサーキットであっさりシリーズチャンピオンを獲得。その後も飛ぶ鳥を落とす勢いで連戦連勝を重ねていった角田選手が、はじめてF1の舞台を目にしたのは2007年、7歳の時のことでした。
2007年F1日本グランプリ(2007 Japanese Grand Prix)は富士スピードウェイで開催され、日本人からは佐藤琢磨選手が、海外からはルイス・ハミルトン選手やフェルナンド・アロンソ選手が出場するレースとなりました。
轟くエンジン音の凄まじさに耳栓をしていましたが、確かに胸を打つすごさは感じましたね。世界に20人しかいない選ばれし人々の世界。当時はあまりにも現実味がありませんでしたが、もしかしたらいけるのかもしれないと思えるようになったのは、一つ一つ勝利を掴み、少しずつその世界に近づいていると感じられたからでした。
ところがレーサーだった父親の指導は厳しく、細部にわたって指摘を受けながら走るレースは、いつしか「友だちとの楽しい競争」ではなく、息苦しいものへと変わっていきました。
サーキットにも行きたくないし、レースに負けても何とも思わない時期がありました。指導してくれるのはありがたいと思う一方、全部父親の言う通りにしなければいけないのも息が詰まって、自分ひとりでやりたいと思うようになりました。ただ、今考えると当時の父の厳しい教えが自分の基礎になっているなと感じることもあります。
角田選手が父親の指導を離れ、鈴鹿サーキットレーシングスクールの門戸を叩いたのは2016年、16歳の時のことでした。
油断が招いた初めての挫折。「もう走れないかもしれない」と流した涙
2016年、鈴鹿サーキットレーシングスクールフォーミュラ(SRS-F、現ホンダ・レーシング・スクール・鈴鹿/HRS)の受講を決めた角田選手。22期生の同期には大湯都史樹選手や笹原右京選手など、既に海外経験やF4経験もあるようなドライバーたちがそろっていました。
Formulaクラス アドバンス選考会STEP1、STEP2を経てアドバンスコースへと進んだ8名は、その後スカラシップ選考会へと進み、そこで優秀な成績を残した受講生は翌年の公式大会への出場権であるスカラシップを得ることができます。
親元から離れて初めて自分で考えて試行錯誤しながらサーキットを走るのは楽しかったですね。本気でレースをやり始めたのもこの頃からで、必死で自分を追い込むようになるとレースがもっと好きになった。受講当初は同期とのレースで上位に入れずにいましたが、次第に彼らの走りにも追いつくようになり、何度か1位も獲れるようになった。結果的に、順調にいったことがその後の油断につながったんだと思います。
レースに本気で取り組むようになればなるほど結果がついてきた当時の角田選手。2016年F1日本グランプリ(2016 Japanese Grand Prix)の前座となるスーパーFJ ドリームカップレースでも見事優勝。このレースはスカラシップ最終選考会の1カ月前、2016年10月8日に開催されました。
――走れば勝てる。
その自信はいつしか油断へと変わり、7月頃には熱心に通っていた鈴鹿での一般走行練習からも次第に足が遠のいていきました。「サーキットまでわざわざ出向くのも面倒だし、どうせ乗るのは違うマシン――」。どこかにそんな甘い考えもあったと当時を振り返ります。
走る機会があること自体がすごいことなんだと今ならわかるけれど、当時はそのありがたみさえ理解できず、与えられた時間をうまく活用することができませんでした。
結果、最も大きなポイントを獲得できる最終選考レースでまさかのフライングスタート。速度制限に従ってピットレーンを通過しなければならないドライブスルーペナルティを取られ、先頭集団どころかすべてのマシンから大きく引き離されての走行となってしまいました。
ほとんど1人きりで走っているような状態。最終選考でのポイントがほとんど加算されなかったことで通算成績は大きく下がり、「スカラシップ選考会は主席か次席で通過できる」と踏んでいた最終結果は、まさかの3位落選。2017年のHFDP(ホンダ・フォーミュラ・ドリーム・プロジェクト)のスカラシップを獲得したのは、大湯都史樹(首席)選手と笹原右京(次席)選手の2名でした。
――もうレースができないかもしれない。
16歳にして初めての挫折。帰りの新幹線で涙が込み上げてきました。
歴史に残るドライバーになる。「記録」を塗り替え、「記憶」に残るドライバーへ!
この時、角田選手を救ったのは最終選考会を見守っていた中嶋悟校長(当時)でした。他のマシンと大きく引き離されながらも執念の走りを見せた最終選考会での角田選手の姿を評価し、翌2017年のFIA-F4シリーズに鈴鹿サーキットレーシングスクール枠での出場を推薦してくれたのでした。
チャンスをもらえた。F4に出られる。このチャンスは最大限に生かしていこうと心に決めました。
その言葉通り、スカラシップ選考会の10日後に開催されたスーパーFJ 日本一決定戦を制した角田選手は、チャンスをもらった2017年のFIA-F4第2戦岡山ラウンドで史上最年少優勝を果たし、シリーズ3位という結果をたたき出しました。
その後、海外経験も積みながら、F4、F3、F2へと駆け上がり、2021年、ついに日本人F1ドライバー最年少となる20歳でF1に参戦。アブダビGPでは自身最高位となる4位入賞を果たすことができたのです。そんな角田選手が夢に向かって突き進む原動力はどこにあるのでしょうか。
速くなりたい。強くなりたい。世界でいちばん速くなって世界最高のドライバーになりたい。どこまでも突き詰めていきたい。原動力は、それに尽きます。今日最高のタイムが出ても、明日またそれを塗り替えていける。限界なんてないんです。
FIA-F4史上最年少優勝、F1日本人ドライバー最年少出場など、数々の記録を塗り替え快進撃を続ける角田選手。そんな角田選手には、まだまだたくさんの夢があります。
夢はワールドチャンピオン。でもまだそれを目標にできる舞台には立てていません。その舞台に立つために、もっと速く、もっと強くなって、誰からも認められるドライバーになりたい。今はドライバーとしての価値を上げる基礎作りの段階だと思っています。ワールドチャンピオンを狙える最高のマシンのシートに座ったとき、準備が全部整っている状態にする。今は目の前のタイム、目の前のレースを着実に勝ち進んでまずはその舞台に立つことを目指します。
最終的には、歴史に名を残すドライバーになることが僕の夢。
まずはワールドチャンピオン、そして歴代ワールドチャンピオンの連勝記録を塗り替え、どこまでも突き詰め、人々の記憶に残るレーサーになる。
角田選手の夢への挑戦は、まだまだ続きます。
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今後の改善の参考にさせていただきます!
皆さんが盛り上げてくれることは自分にとってはとてもプラスに働いています。今回は結果に結びつかなかったのが残念ですが、自分としては全力を出し切れたと思うのでそこに悔いはないですね。新しいファンの方が増えてきてくれているのはうれしいですし、もっともっと人気のスポーツにしていくために、僕が結果を出していきたい。これからも頑張っていきたいですね。