4月12日、Hondaは電気自動車(EV)の展開計画を発表。そこで、電動化に対応しながらも、操る喜びを継承する2つのスポーツモデルを投入する方針も披露しました。カーボンニュートラル実現に向けた取り組みの推進は、もはや避けることのできない時代の流れですが、クルマを操る喜びもまた、Hondaにとってかけがえのないこだわりです。社会が変わっても、変わらずに“FUN”を追い求めるHondaのクルマづくり。その根底にあるものを、サーキットで知ることができました。
従業員チームがレースに参戦!
富士スピードウェイ(静岡県駿東郡小山町)で6月4日・5日、「NAPAC 富士 SUPER TEC 24時間レース」の決勝が行われました。
市販車を改造したレーシングカーを駆って24時間を走り切る耐久レースで、プロ・アマ問わずいろいろな背景を持つチームが参戦することから、クルマ好きにとってのお祭りのように親しまれています。
Hondaのクルマもちらほらと。中には、スポーツモデルを代表する一台、現行型の「CIVIC TYPE R」(以下、シビック TYPE R)の姿も見られました。
Hondaの最高峰スポーツカーに与えられる「TYPE R」の名を冠した「シビック」。現行型ではデフォルトの「スポーツ」に加え、「+R」と「コンフォート」の計3つのドライブモードを選べる。
実はこのシビック TYPE R、Honda従業員有志によるレーシングチームのクルマです。
チームの名は、「Honda R&D Challenge(ホンダ アール アンド ディー チャレンジ)」。業務後や休日に活動する、言わば“大人の部活動”です。といっても、ただレースに参加するだけが目的ではありません。
過酷なレースに挑む理由とは?
迎えた6月4日の15時。決勝がスタートしました。Honda R&D Challengeのドライバーたちは、大体1時間~1時間半程度運転しては、ピットに戻り交代。
そして、また一人のドライバーが運転を終え、ピットに戻ってきました。ドライバーの名は、柿沼秀樹。実は、まさにさっきまで運転していた現行型シビック TYPE Rと、2022年中に発売を予定している新型シビック TYPE Rの開発責任者なんです。
運転を終えたばかりの柿沼から、話を聞くことができました。
いやー、疲れましたね! いま運転を終えたばかりでテンションが高いので、下がらないうちに話をしましょう(笑)。
先ほどまで運転されていたクルマのベースとなっている現行型のシビック TYPE Rは、柿沼さんが開発責任者としてつくり上げたものなんですよね?
そうです。速さだけではなく、クルマとしての基本性能や安全性能との両立を目指し、量産車としては突き詰めてつくったわけですが、レースというフィールドに来たら、もっと速いクルマはいくらでもいます。天井がないわけです。レースというのは結果が全て。これぐらいでいいとか、自分たちの都合や甘えは通用しない世界。だから、チャレンジして進化し続けるしかない。そこで悔しさを感じたり失敗したりすることが、開発者にとっての糧になるんです。
レースで得たことは、何に生かされるのでしょうか?
これからの市販車の開発にしっかりとフィードバックしていきます。それがHondaを愛してくれているお客様にとっての大切な価値につながるでしょうし、Hondaというブランドにとっても財産にもなっていきます。
そのためにレースに出場しているんですね!
ただ、レースがやりたいと思って集まったメンバーたちが、自己啓発としてだけでやっていると、レーシングカーとしては速くなっていくかもしれないが、そこで得られた技術やマインドは、直接市販車や商品開発につながりづらい部分がある。私のような開発責任者の立場の人間がこの場にいることで、それをつなげていくことができるんです。
柿沼さんが入社したのは、1991年。配属されたクルマの運動性能を開発する部署では、「TYPE R」の起源となる「NSX-R」の開発の真っ最中だったそうですね。
NSX-Rは、1990年に誕生した初代「NSX」がベースになっています。NSXは非常に偉大な功績を残したクルマです。それまでのスポーツカーは、あくまで限られた人たちだけが楽しめる特殊な乗り物だった。そんな時代に、“人間中心”の考え方をするHondaが、スポーツカーが持つ“クルマを操る喜び”という絶対的な価値を、誰もが安心して楽しめるものとして形にしたのがNSX。それ以降、世の中のスポーツカーは速さの進化はもちろんのこと、誰でも楽しめる乗り物に変わっていきました。
1990年発売。それまでHondaが得意としていたFFとは異なる、MR駆動方式が採用されたスポーツカー。
1992年発売。初代「NSX」をベースに、自宅からサーキットまで運転して向かい、サーキットを走行後、自宅まで運転して帰るという用途を想定して開発された。
「TYPE R」もその延長線上にあるクルマなのでしょうか?
「言い訳なしで、速さとドライビングプレジャーをもっと研ぎ澄ませたスポーツカーをつくり上げたい」と考えるNSXの開発者たちが、当時いたんです。彼らがつくったのがNSX-Rであり、その開発者たちの想いが「TYPE R」の起源。その後、僕たちが生み出した新世代のシビック TYPE Rも想いは同じ。やっぱり一番は速くて楽しいことなんですね。「TYPE R」というブランド、バッジを背負ったクルマはHondaにはなくてはならない。お客様にとってもそうだし、開発者たちにとってもそう。そうしたエンジニアの強い想いが起源にあって、連綿と進化をし続けてきたブランドの開発は、次代のエンジニア育成の上でとても重要な意味を持つと思っています。
その想いがHondaのクルマをつくり上げてきたってことですね!
HondaがHondaである理由は何か?ってことですよね。皆、数ある自動車メーカーの中からHondaを選んで入社してきた。自分たちがHondaで実現したいこと、生み出したいもの、それによって世界のお客様に届けたい夢。そういう“想い”がHondaらしさの源泉だと思っています。HondaがHondaじゃなくなったら、存在している意味なんてない。その想いでたくさんのお客様を笑顔にしていけるのが、Hondaの強みですね。
継承される想いとクルマづくり
Honda R&D Challengeは2016年に、人材育成を目的として結成されました。
当初は業務の一環として活動がスタートしましたが、2019年に事業状況の変化などもあって業務としての継続が難しくなり、解散の危機に。
実はそのときまで、僕はHonda R&D Challengeには参加していなかった。ちょうど2018年の暮れごろ、僕が開発を担当したシビック TYPE Rで、新しいレース車両を製作しているタイミングに活動中止の話が出てきた。でも、「このままやめたら強い“想い”を持ってここまでやってきたものが何もなくなってしまう。自分も一緒に何とかして活動を続けていかなければ」と思って、参加することを決めました。
どうして活動を続けられることになったんですか?
レースは1戦出場するだけで何百万円と、とにかくお金がかかる。だから「自分たちでお金を集めて続けよう」とスポンサーを探し、会社には自己啓発の「クラブ活動」として続けることを認めてもらえたんです。やはり資金集めは大変で、2019年と2020年は、年に1度参戦するのが精いっぱい。そんな中で昨年、本田技術研究所(Honda R&D)社長の大津(啓司)さんが、「君らが今やっているレース活動の内容を教えてくれない?」と声を掛けてくれました。
社長から直々に!
大津さんは以前、旧HRD Sakura※のセンター長を務めていらした経緯もあり、Hondaにとってモータースポーツへの取り組みの大切さをよくご理解くださっている方です。私も大津さんがSakuraにいた頃からお世話になっていました。とても男気のある方です。
※HRD Sakura…F1やSUPER GT など、Hondaの四輪モータースポーツ活動の開発拠点
それでどうなったんですか?
資料を作って報告しに行ったら、「分かった。来年の企画を作って持ってきて」と。で、企画書を持っていったら、GOサインが出ました。さらにいろいろなスポンサー様からのご厚意もあって、昨年は何とか6戦中4戦への出場でしたが、今年は初のフル参戦で臨むことがかないそうです。
社長が救いの手を差し伸べてくれたんですか!
会社がそうやって我々をサポートしてくれるのは、人材育成のため。若い人たちに投資をしてくれているんです。若い部員には、「レースで結果を出すのはもちろん大きな目標だが、この活動を通して君たちがこの会社を引っ張っていく存在に成長していってくれることが、一番の目的なんだよ」とよく話しています。
レースの現場で先輩から教えを受けることで、Hondaのクルマづくりの“想い”は受け継がれていくのです。
Honda従業員によるレーシングチームは、Honda R&D Challengeだけではありません。1965年に設立され、60年近い歴史を誇る「TEAM YAMATO」もその一つです。
TEAM YAMATOのメンバーは、Honda R&D Challengeよりも若手が多いのが特徴。そのうちの一人が、チームの部長も務める椋本 陵(むくもと りょう)です。
椋本は、2011年に22歳の若さで「S660」の開発責任者(LPL)に就任し、Honda史上、最も若いLPLとなりました。若手や中堅の従業員は、Hondaの魂やクルマづくりについてどのように感じているのでしょうか。
2015年に発売された、軽自動車規格の2シーターオープンスポーツカー。開発コンセプトである「痛快ハンドリングマシーン」が示す通り、軽快なハンドリング性能が自慢。
レースに参加していて、感じることは?
社内コンペでS660の基となる企画が受かったとき、裏側でゴリゴリにバックアップしてくれた上司や先輩がいたんですよ。このレース活動も、やる気ある若手をゴリゴリにバックアップしてくれる人たちに支えられています。例えば3月の開幕戦、鈴鹿でクルマが全損するアクシデントがあり、車両の修復が難しく24時間耐久への参戦は絶望的になりました。
そんなことが……。
そのレースに、クラブ活動をサポートしてくれている会社の総務の人が視察に来られていて、代わりとなる中古車の購入をその場で決断してくれたおかげで何とか間に合いました。このように理解ある先輩方のバックアップがなければ、従業員チームによるレース活動もできませんし、S660も世に出ていなかったと本当に思っています。
若い世代がレースを通じて、得られることは何でしょうか?
人間力の向上。仕事では細分化されていることも多いし、自分が見る領域は狭かったりもします。でも、レースでは見る領域も広いし、任せられる領域も広い。責任感も強くなります。
手が震えながら作業している若手のメカニックもいました。
レースは特殊ですが、24時間耐久はさらに特殊なフィールド。仕事だとそんな経験をすることってなかなかないのかもしれないですけど、ここだと自分が責任を負って行動しないといけない。そして自分の行動がレースの結果だけではなく、ドライバーの安全にも関わってきます。極限の状況で相当のプレッシャーがかかりますが、いい経験になります。本番で手が震えてしまわないようにするには、どういう準備をしておけばいいのか。そうしたことを考えることにつながる活動でもありますね。
「レースはHondaのDNA」。通常の業務に比べて、極端に短い時間の中でアウトプットを出さなければならない特殊な環境を経験することが、それぞれの成長につながっていきます。一番の目的はいいクルマづくりではあるものの、勝利にもこだわる。「走って良かったね」だけでは何も得られないからです。
そうしたHondaの哲学はレース活動を通じ、ベテランから中堅へ、そして中堅から若手へと着実に受け継がれています。
スピードを追求するレースにおいても地球環境への配慮が不可欠になった今、Hondaが目指すクルマづくりにも何か変化はあるのでしょうか。ピットに戻った柿沼に、改めて聞きました。
この先の社会、待ったなしでカーボンニュートラルを目指して一層加速していかねばなりません。会社もその方向にかじを切りました。ただ、カーボンニュートラルによって「TYPE R」がなくなるかといえば、それは全く違う。手段が変わっていくだけ。今、そこに必要な技術への投資が行われていて、その一つがEVというだけの話です。
柿沼さんが開発した現行型のシビック TYPE Rでは、街中でも穏やかに運転できる「コンフォートモード」が初めて取り入れられました。
昔の「TYPE R」だったら、コンフォートモードなんてありえない。ナンセンスですよ。もともとそういうものを捨ててまで速さとドライビングプレジャーを追い求めたのが「TYPE R」だった。それから20年以上がたち、これからの時代のスポーツカーの在り方を考え、技術の進化を駆使して、あえて「TYPE R」という乗り物に「コンフォートモード」という価値を創造したわけです。僕は「TYPE R」が生まれたときからずっと知っていますから、非常に勇気がいることでしたね。
今後の「TYPE R」はどのように変わっていくのでしょうか?
「TYPE R」というバッジは、Hondaにとってなくてはならないもの。つくり続けていくためには、「TYPE R」を名乗れる性能とカーボンニュートラルを両立させなければならない。2017年に我々が開発した「TYPE R」は、速さと楽しさ、どこまでも走り続けていたいと思えるクルマとしての基本性能を一つにしました。スポーツカーとしての大きな転換点にできたと考えています。今後はカーボンニュートラルもそこに入れて、一つにしていかなければなりません。
果てしない道のりですね。
僕ももう53歳なんで、いつまでもやっていられるわけじゃありません。でも、Hondaというブランドを背負った責任は果たす。そういう“想い”を若手に見せて伝えて、彼ら自身のマインドにしてもらうことで、未来永劫つないでいってもらいたいんです。
時代と共にクルマに求められるものも移り変わっていきます。しかし、平日の業務後や休日のプライベートをつぶしてまでレースに挑み続ける開発者・従業員たちが、今も昔も変わらずにHondaにはいるのです。
レース活動は一銭のお金にもなりません。それどころか、業務の合間を縫って自分たちでスポンサー探しもしなければなりません。それでもレースに挑むのは、ただ良いクルマをつくりたいから。
これから環境適合性やカーボンニュートラルが避けられない時代を迎えても、クルマを操る楽しさとの両立を実現してくれるに違いありません。
今回の24時間耐久レースで作業に励んでいた若手のメカニックたち。彼らこそが、これからの時代のHondaの“FUN”を生み出していくのです。
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24時間レース1回目の運転、お疲れさまでした!