すべての人の安全をめざして ~Hondaの安全に対する取り組みについて~
2021年4月、Hondaは「2050年に全世界で、Hondaの二輪車、四輪車が関与する交通事故死者ゼロを目指す」と発表。あれから3年、壮大なチャレンジを続けている中で、 Hondaの安全に対する全方位的な取り組みとは?
- エグゼクティブチーフエンジニア
コーポレート戦略本部 経営企画統括部 安全企画部 部長
安全運転普及本部 事務局長
先進技術研究所 安全安心・人研究ドメイン統括
髙石秀明さん
「3年前、社長の三部が『2050年に全世界で、Hondaの二輪車、四輪車が関与する交通事故死者ゼロを目指す』と発表しました。これは大きなインパクトでしたし、我々にとっても分岐点になったのは確かです。ただ、Hondaの交通安全に対する根本的な考え方、人命尊重と積極安全という安全理念は、創業時から変わっていません。
Hondaは、「Safety for Everyone」というスローガンを掲げていますが、これは、四輪のドライバー、二輪のライダーだけでなく、自転車に乗る人、歩行者も含むすべての人々の安全を目指すという考えです。1970年に安全運転普及本部を設立した当時から、全ての道路ユーザーに安全を考えてきました。この考えを50年前から継続しているんです。
国内での交通事故死者は、安全運転普及本部が設立された1970年がピークで、その数は1万6765人(*1)にも上る。当時のマスコミは“交通戦争”などと騒ぎ立てた。
「当時は四輪の安全性能技術の黎明期でしたので、Hondaは1960年代から安全運転教育にも取り組んでいました。ハードウエアである技術とソフトウエアである教育。その両面から安全を追求するという考え方ですね。あれから50年が経ち、今では自動運転が実現可能なほどにテクノロジーが進化しましたが、それでもなお安全運転において“人”の重要性は変わりません」
警察庁のまとめによると、2023年の交通事故死者は2678人(*2)で、ピークの1970年からおよそ50年で6分の1まで減少したことになる。飲酒運転の取り締まり強化や救急医療体制の進化などさまざまな要因が挙げられるが、車両の安全性向上も大いに影響しているのは間違いない。
「Hondaが日本車で最初に採用したエアバッグをはじめ、近年は衝突軽減ブレーキや車線維持支援システムなどが普及したことで、確かに交通事故死者の減少にテクノロジーが貢献できていると思います。ですが、ここ3~4年の事故を分析してみると、日本はコロナ禍によって外出する機会が減り、それに比例して事故件数も少なくなりました。一方、アメリカは逆に増えているんですね。コロナ禍による心理的影響からか、アグレッシブな運転をするドライバーが増えたことが原因の一つに挙げられます。
アメリカで販売しているHonda車にも、日本と同様の安全運転支援システムを導入しているので、この差は人の要素が原因ということになります。ある意味、技術が進化、普及したからこそ、モラルやマナーを含めた人が要因となるヒューマンエラーが浮き彫りになりました。交通安全を突き詰めていくと、やはり“人”に帰結することになります」
交通事故は「人」、「クルマ」、「道路環境」の3つの要素のバランスが崩れたときに発生しやすいと言われている。
「創業者である本田宗一郎は、『研究所で何を研究しているか。私の課題は技術じゃないですよ。どういうものが人に好かれるかという研究をしています』と語っています。私は自動車技術を開発したくて入社したので、最初にそれを聞いたときに『あれっ?』と思ったのですが(笑)、人を研究するほどに前述のヒューマンエラーの件もそうですし、どんな技術がお客様の喜びにつながるのかが見えてきます。創業者がいかに先見の明があったかということですね。
人の研究と言えば、エアバッグを開発していた1980年代に、人体の研究を徹底的にやりました。クルマが衝突した際に人はどのようにケガをし、そして死に至るのか。もちろん、エアバッグが展開したことによって乗員に害を与えてもいけません。最近では脳傷害にまで研究が及んでいて、そうした基礎技術の地道な開発が次世代のエアバッグにつながっていきます」
エアバッグをはじめ、シートベルトや衝撃吸収ボディなどは、パッシブセーフティ(衝突安全)に分類される。これに対して、Honda SENSINGに代表される先進テクノロジーはアクティブセーフティ(予防安全)であり、それぞれが異なる役割を持っている。
「昨今の予防安全技術は、ドライバーの意識や行動の変化を手助けするもので、人の能力を成長させたり引き上げたりするためにあります。創業以来Hondaが追求してきた“積極安全”の延長線にあると考えます。
最近は、運転時のヒューマンエラーゼロを目指す“知能化運転支援技術”の研究を積極的に行っています。fMRIの中にドライビングシミュレーターを組み込んで、いろいろな人の運転データを収集しているのですが、それによって事故に至るまでのさまざまな人の要因が分かってきました」
交通事故率を年齢層別に見ると、16~19歳が最も多く、20~24歳がそれに続く。そして、高齢者による事故の報道が多いことからも分かるように、80~84歳と85歳以上も事故率の上位に入っている。
「若い初心者と高齢者でfMRIのデータを比べてみると、エラーを起こすまでの行動は同じでも、脳内での処理に違いがあることが分かりました。事象をきちんと判断できているのか、それともいないのかですね。高齢者の事故はニュースで大きく報道されがちですが、この世代は長年運転しているだけあって経験値は高いので、過去の記憶からさまざまな対応ができる。それに、もともと運転技術は優れているので、そうした記憶を呼び起こせるようなアシストを技術面からできればいいのではないかと。
これに対して若いドライバーは、経験がない分だけ余裕がなく、どこか一点を見つめて運転しがちで、その結果として判断や対応が遅れてしまう。そうした一人ひとりの違いを見極めた上で、行動や状態に合わせた運転支援についても研究しています。
付け加えると、個々のドライバーの運転技術や能力については、すでに四輪に組み込まれている各種センサーのデータからも分析することができるんです。2023年には、これを利用して安全運転の習得をサポートする“Honda Driver Coaching”というアプリをアメリカでリリースしました。使用できるのは、Bluetoothを搭載した2018年以降のHonda車に限られるのですが、そもそもアメリカには日本のような教習所がないので、ビギナーは何がいいブレーキやハンドル操作なのか基準すら分からない。広く普及するには時間を要するでしょうが、このアプリを通じて安全運転に対する意識が高まってくれたらうれしいですね」
各種センサーのデータを利用したHondaならではのサービスとしては、2013年から一般公開されている“Safety MAP”もそれに含まれる。
「Safety MAPは私も開発に携わったんですが、道路環境上のリスクがありそうな地点を収集して、それを共有するプラットフォームを作ったんです。Honda車にもともと付いている通信機能を使い、ドライバーが急ブレーキをかけた箇所をどんどん吸い上げ、それを地図上にプロットできるようにしました。さらに、事故多発地点のデータと、投稿によるお客様の不安箇所(歩行者目線を含む)も組み合わせています。
当時はただ一般公開するだけだったのですが、それを自治体や警察が活用してくれまして、リスクの高い地点に一時停止の標識を設置するなど、これまでに日本中で150件もの道路インフラの改良につながっているんです。
その進化版というわけではないのですが、現在アメリカで先行して実施している技術として、クルマに伝わる振動から路面状況を把握し、もし大きな穴などの損傷があれば道路管理者に報告するということもやっているんです。四輪なら平気でも、二輪なら転倒してしまいますからね」
Hondaでは、エアバッグが展開するような事故が発生した際、自動的に緊急サポートセンターへ通報するサービスを用意している。
「これは事故が起きてしまったあとの最後の砦ですよね。当初はエアバッグが展開したという情報だけをサポートセンターに送っていたのですが、今は衝突方向や速度変化などから乗員の傷害レベルを予測し、そのデータも合わせて送信しています。事故現場ではいかに早く救急医療行為に入れるかが重要で、1~2分の遅れが救命率を左右しますから。
現在は、歩行者と接触した際の事故について、どのように自動通報するかの検討を進めています。これも交通事故死者ゼロを目指す上で外すことはできません」
交通事故死者ゼロを目指して、全方位に取り組んでいるHonda。今後、どのような研究に取り組むのか。
「2022年8月に、エーザイと大分大学、臼杵市医師会と共同研究契約を締結しました。高齢ドライバーの認知機能や日常の体調変化と、運転能力との関係性について検証するのが目的で、今年の8月からはスマートシティ会津若松でさらに本格的な実証実験を行います。
この研究は、個々のドライバーの体調や運転のクセなどを分析して、前もってリスクを抑える方法を探すのが目的です。先ほども触れましたが、高齢ドライバーの多くは経験豊富で運転がうまい。でも、何らかの体調変化によってパニックになり、事故を起こしてしまう。こうした研究は、交通事故死者ゼロ宣言があったからこそ生まれた発想で、これまでの対処療法的な考え方がガラリと変わった。本質的な原因を絶たないとダメだぞと思いましたね。
高齢者もそうですし、学童についても研究開発を加速していきたいと思います。2021年6月に千葉県八街市で下校中の小学生5人が死傷するという痛ましい事故が発生しました。その後、八街市の通学路の安全会議にHondaも入らせていただきまして、学童の動きをデータ化できるような協力もしているんです。
人を研究するという点において、我々は生体工学や脳科学の分野に着手しまして、最終的には心理学にも踏み込むべきではないかと思っています。人間、誰しもカッとなったり落ち込んだりして、それがそのまま運転行動に反映されてしまう。どうすればドライバーを平常心に誘導できるか。そうした心理領域まで研究を進めていきたいと考えています。人の心を動かして、社会を変えたいと思います。」
*1:内閣府「令和6年版交通安全白書」より
*2:警察庁「令和5年における交通事故の発生状況等について」より