チーム創設2年目、望外の快進撃

SUPER AGURI Honda SA07

スーパーアグリ・ホンダSA07

SUPER AGURI Honda SA07
SA07

鈴木亜久里+佐藤琢磨+Honda
参戦2年目で王者をパスする快走

現役時代に日本人選手として初めてF1の表彰台に立った経歴(1990年日本GP:3位)をもつ鈴木亜久里が「SUPER AGURI F1 TEAM」を立ち上げ、今度はチーム代表としてF1参戦を果たしたのは2006年シーズンのことであった。新参プライベートチームとして大きな労苦を味わいつつ、大いなる充足感も得て参戦初年度“完走”(決勝最高10位)を果たした次の年、スーパーアグリにとって2年目のシーズンとなった07年のマシンが「SA07」である。搭載エンジンは2.4リッターV8自然吸気のHonda RA807Eで、これは当時参戦していたワークスチーム(Honda Racing F1 Team=HRF1)と同じエンジンということになるが、シーズン前半、快進撃を見せたのはスーパーアグリ・ホンダ SA07の方であった。

当時のスーパーアグリはエンジン供給以外の面でもHondaとは協調関係にあり、HRF1の前年型マシン、RA106(06年ハンガリーGP優勝車)の情報も活かしつつSA07の開発を進められたことが07年前半の躍進の一助となったことは間違いないだろう。ウイニングマシンの情報があるということは、純粋に開発面でのアドバンテージとなるだけでなく、プライベートチームであり、その活動期間を通じて資金的な問題を抱え続けていたスーパーアグリにとっては、そちらの面でも大きな助けとなったはずだ。テクニカルディレクターのマーク・プレストン、チーフデザイナーのピーター・マックールらを中心とするスーパーアグリ英国拠点の技術スタッフは、潤沢とはいえない開発資金を巧みに駆使し、しかも時間的余裕もないなかでSA07を仕立て、開幕に向けての準備を進めた。

07年のスーパーアグリは、エースの佐藤琢磨に加え、自身初のF1レギュラーシート獲得となったアンソニー・デビッドソンというドライバーラインナップ。デビッドソンは前年までHRF1のテストドライバーを務めていたので、RA106ベースのマシンを開発するうえでは彼の存在も効果を発揮していたかもしれない。また、タイヤはこの年からブリヂストンのワンメイクとなったわけだが、スーパーアグリは前年の06年もブリヂストンで戦っており、このあたりは前年までミシュランユーザーだったHRF1より有利な材料といえた。なお、この年のスーパーアグリのテストドライバーにはジェームス・ロシターが就いている。

SUPER AGURI Honda SA07

前年からの上昇がある程度見込める状況ではあったが、開幕戦オーストラリアGPでスーパーアグリ・ホンダ SA07が演じた活躍は度肝を抜くレベルのものとなった。琢磨が予選でQ3進出を果たしたのである(予選最終結果は10位)。参戦初年度の前年はQ2進出さえなかったチームが、いきなりのトップ10入り、しかもデビッドソンもQ2に進んで11位となっていた。「スーパーアグリ、今年は侮り難し」。そんな雰囲気が関係者とファンの間に急速に広がっていった開幕戦の予選であった。決勝も琢磨12位、デビッドソン16位と、順位は下げつつも2台完走という好結果に。

センセーショナルだった開幕戦の活躍。SA07がこの時点で好仕上がりだったことは事実である。だが、チームの資金面の苦しさを考えた場合、シーズンが進むにつれて他チームに対する開発テンポの面の苦しさが露呈することも明白だった。つまり、スーパーアグリの勝負は前半戦──ここで、古き佳き時代のプライベートF1チームを想起させる彼らは、見事にそのチャンスを活かし続けていく。次なる見せ場は第4戦スペインGPでやってきた。

第2~3戦でもどちらか1台はQ2に進んでいたスーパーアグリ勢だが、スペインGPの予選では開幕戦以来となる2台揃ってのQ2進出を達成、琢磨が13位というスターティンググリッドを得た。決勝スタート後も琢磨は13位を守って走行し、やがて他車の脱落もあるなどしたなかで次第に順位を上げ、終盤には9位に。そして8位を走るジャンカルロ・フィジケラ(ルノー)が最後の給油ピットインをした際に、ギリギリで前に出ることに成功、琢磨はチーム初入賞を達成したのである(この時代の入賞は8位以内)。デビッドソンも11位で完走と、スーパーアグリは参戦通算22戦目、まさしくこの時点での集大成的なレースを演じたのであった。

前述した開発資金力の問題を考えれば、このスペインGPがシーズンハイライトとなってもおかしくはない状況だったが、スーパーアグリのドライバー・チームスタッフ一丸となっての頑張りは、さらなる見せ場を呼び込んだ。その舞台は第6戦カナダGPである。予選、琢磨はQ1を突破してQ2でも11位と、あと一歩でQ3進出に迫る健闘を見せた。さらに決勝では1周目に10位へ、序盤のうちに9位へと順位を上げる。この日のレースはセーフティカー出動が相次ぐ乱戦となり、22台が出走したものの失格車も2台出るなどして完走は12台のみというサバイバル戦になっていくのだが、そのなかで琢磨は懸命に走行を続けていった。終盤、その順位は8位となり、チーム2度目の入賞が期待されるところまで到達。ところが、今回の活躍はそれにとどまるものではなかった。

70周レースの66周目に7位へと上がった琢磨は、68周目、前年にルノーで2年連続チャンピオンとなり、この年はマクラーレン・メルセデスに移籍していたフェルナンド・アロンソを、カーナンバー1をパスして、6位に上がったのである。2スペックのタイヤをレース中に両方使わなければならないルールとセーフティカー連発の流れが絡まったアヤで、最終盤のアロンソはタイヤの条件的に不利な状況だった、という事情はあったにしても、最終シケイン手前のブレーキングでアウトから王者をパスしたシーンはまさに名場面であり、スーパーアグリの、Hondaの、そして日本のF1史に残る名場面であったと評せよう。

このカナダGP決勝、琢磨の6位入賞もさることながら、デビッドソンも頑張っていた。乱戦ゆえのピット時期のズレ等によるものとはいえ、36周目には3位という通過順位を記録しているのだ。残念ながら、コースに侵入してきた小動物と接触するという不運があり最終結果は11位だったが、彼の力走も光った一戦だった。スーパーアグリのシーズンハイライトシーンは、歓喜のスペインGPからわずか2戦で塗り替えられたのである(もちろんスペインの感動も消えたわけではない)。

しかしながら、さすがにここまで、だった。やはり財政面の厳しさからくる開発力の問題はいかんともし難く、シーズンが中盤戦に入り後半戦へと進んでいくにつれて、スーパーアグリの相対的な戦闘力は下がっていった。この頃はF1マシンのあちこちに空力的付加物が生えていた時代で、シーズン中の進化やコース対応等による変貌の度も小さくはなかったが、SA07に関していえば、他チームに比べて変貌度は控えめ(にならざるを得なかった)。第7戦以降、再びの入賞機会は巡ってこなかった。

それでもデビッドソンがアメリカGPで11位、ヨーロッパGPで12位、琢磨も最終戦ブラジルGPで12位という結果を残すなどしていることは、ドライバーとチームの頑張りの証左であった。同時に、成長力こそ資金的理由で伴わなかったもののSA07が好素性のマシンであり、高い安定性を有していたことを示す事実でもあっただろう。スーパーアグリの最終的なコンストラクターズランキングは、シーズン失格扱いで11位となったマクラーレン以外の10チーム中9位。終盤までHRF1より上位につけるなどしており、最終的にスパイカーF1(現フォースインディア)を食ったという事実も、まさしく奇跡的であった。

スーパーアグリの挑戦は翌08年途中で終焉するが、10年以降に参戦を開始した後発チームと比べても、新興プライベートチームであったスーパーアグリの07年の活躍は特筆ものといえよう。プライベーターでも、ここまでできる──琢磨のスーパーアグリ・ホンダ SA07がアロンソのマクラーレン・メルセデス MP4-22を抜いた瞬間、あれは日本人ドライバーが日本籍プライベートチームのマシンと日本製のエンジンで成した、世界に誇れる偉業成就の瞬間ともいえた。

SUPER AGURI Honda SA07
SA07

Spec

シャシー

型番
SUPER AGURI Honda SA07
デザイナー
ピーター・マックール
車体構造
カーボンファイバーモノコック
全長×全幅×全高
4680×1800×950mm
ホイールベース
3135mm
トレッド(前/後)
1460/1420mm
サスペンション(前後)
プッシュロッドオペレーテッドトーションバー&ダンパー
タイヤ(前/後)
ブリヂストン製
燃料タンク
ATL製
トランスミッション
ホンダ製7速セミオートマチック

エンジン

型式
RA807E
形式
水冷90度V型8気筒NA
排気量
2400cc
最高出力
700ps以上
燃料供給方式
Honda PGM-FI
スロットル形式
電子油圧制御

Detail

SUPER AGURI Honda SA07

スタイリングだけを見れば、確かに前年(2006年)のHonda RA106に似た印象のSA07。しかし安全規定や空力を中心に新規設計がなされ、オリジナルマシンとして参戦している。序盤戦には新型ギヤボックスや新形状のフロアも投入している。

SUPER AGURI Honda SA07

ステアリングもまた、RA106のそれを踏襲した形状。細部こそ異なるが、ボタン類の配置などはほぼ共通。左下の赤いツマミはエンジンブレーキ時の回転数をコントロールするもので、翌年には廃止された。

SUPER AGURI Honda SA07

翼端板形状も含め、フロントの形状はRA106と共通性がもっとも高い部分。本家HRF1に先んじて採用していたブリヂストンのロゴがセンターに描かれる。

SUPER AGURI Honda SA07

2007年は2年目の2.4リッターV8規定シーズン。RA807E型エンジンはHRF1と同じ仕様。回転数はこの年から上限1万9000rpmと規定された。