先ほどまで激しく降り注いでいた雨が小雨に変わり、コース上にMcLaren Honda MP4/5Bが姿を現すと15万人を超える大観衆のシュプレヒコールが渦をまいた。2024年11月3日ブラジル・サンパウロのインテルラゴスサーキット、ブラジルG P決勝レースの直前にアイルトン・セナ没後30年のセレモニー「SENNA SEMPRE(セナよ、永遠に)」が行われ、ルイス・ハミルトンがデモンストレーションランのためにセナがドライブしたチャンピオンマシンに乗り込み、Honda V10エンジンを始動。高らかなエキゾーストノートが響き渡り、歓声のボルテージが一気に上がる。走り出したマシンとともに、熱狂もサーキットを駆け巡り、その光景にセナ・ファミリーは涙を流した。目の前を走るセナのマシンに、誰もがセナに想いを馳せ、興奮は頂点に達した。
HondaにサンパウロG Pの主催者から、協力の依頼が届いたのは5月末のことだった。サンパウロG Pの際、アイルトン・セナ没後30年のメモリアルイベントを開催するので、セナがドライブしたマシンを貸して欲しいという依頼だった。セナはHondaにとって共に一時代を築いた大切な存在であり、Hondaブランドのプロモーション上でも重要なコンテンツである。このイベントへの協力はすぐに決定し、実施に向けて準備が開始された。
マシンの準備について、HondaはMcLaren Racing(以下、マクラーレン)に相談し、さまざまな要素を検討した結果、最もコンディションの良いマクラーレン所有のMP4/5Bに決まった。1990年のチャンピオンマシンであるMP4/5Bには、V10エンジンであるHonda R A100Eが搭載されている。前年型RA109E をベースにボア×ストロークを一新した新型RA100Eは、燃焼の安定化と省燃費を実現し、16戦中ポールポジション12回、優勝6回を達成。Hondaに5年連続のコンストラクターズチャンピオンをもたらしたエンジンであり、セナはポールポジション10回、優勝6回で2度目のワールドチャンピオン獲得を成し遂げている。
「SENNA SEMPRE」のセレモニーとデモランは、ブラジルG P予選日の11月2日(土曜日)にスケジューリングされた。F1の予選終了後、現地時間の17時15分開始の予定だったが、当日はF1の予選が延期されるほどの激しい雨に見舞われ、「SENNA SEMPRE」も行うことが叶わなくなった。F1予選は日曜日の朝7時30分に、決勝は天候悪化を懸念して12時30分スタートに前倒しが決まった。日曜日はタイトなスケジュールになり「SENNA SEMPRE」の実施も危ぶまれたが、主催者や関係者の努力と多くのファンの後押しによって、決勝前の11時より行われることが当日にアナウンスされた。グランプリに参戦する現役ドライバーがレース直前にデモランを行うことは異例であるため、ブルーノ・セナも念のためドライブできるよう準備を整えていたが、2022年にブラジルの名誉市民となったハミルトンの強い意志によって、予定通りハミルトンがドライブすることとなった。
決勝日朝、天候は回復することはなく、F1予選はウェットコンディションで行われた。予選終了後に雨は激しさを増したが、「SENNA SEMPRE」の時刻が近づくと小雨に変わっていった。
11時、ハミルトンが真っ白なレーシングスーツ姿でマシンに乗り込み、特設ガレージからゼッケンナンバー「27」のMP4/5Bが姿を現すと、スタンドの観客は大きな歓声を上げた。そして、エンジンを始動するとHonda V10サウンドが響き渡り、歓声のボルテージは一気に上がる。ウェットコンディションながら、ハミルトンは高周波のエキゾーストノートを響かせて周回を重ねた。ハミルトンのドライブは、セナへの想いと自身の感動が伝わるもので、V10サウンドを響かせながら6周を周回、その間サーキットには「セナ・コール」の歓声と大合唱が途絶えることはなかった。そして、最後は、かつてセナが行ったようにブラジル国旗を手に持ってグリッドに戻り、熱狂するファンの大歓声に応えた。
走行を終えたハミルトンは感情を抑えきれずに、興奮した様子で語った。
「とても感動的だ! 僕はアイルトンがここでレースをしているのを見て、あの音を聞き、彼がここで走ってレースに勝ったのを見た子供の頃を思い出していた。自分にこうするチャンスがあったなんて信じられない思いだ。セナが誇りに思ってくれることを願うよ。(このデモランは)週末全体で最高の走行だった」
「おそらく二度とこんな事は起こらないだろうから、この瞬間を大切にしたい。止まりたくなかったので、予定より1、2周多く走った。あれは本物のレーシングマシンだ。もし可能ならば、今日このマシンでレースをしてみたいよ」
「今日は特別な日であり、この日を実現させてくれたすべての人たちに心から感謝している。この走行を、ここブラジルの素晴らしい観客の前で行えたことは、僕のキャリアのなかで最高の栄誉だった」
HondaはエンジンのメンテナンスのためにHRCのヘリテージ部門が全面的に協力し、スタッフはスペアパーツをかき集めて現地に赴いた。プロモーション担当のスタッフも現地で「SENNA SEMPRE」に立ち会い、ブラジルのファンのいまだ衰えないセナへの想いを体感した。そして三部敏宏代表執行役社長もセレモニーとデモランに立ち会い、Honda V10サウンドを奏でるチャンピオンマシンを感慨深く見守った。
Hondaのスタッフは悪天候などにより実施が難しい状況を乗り越えてデモランが実現したことの喜びと、ブラジルの人々が保ち続けるセナへの想いを強く感じ、セナ・ファミリー、F1関係者、そしてファンとともに、感動を共有することができた。デモランが終わり、HRCヘリテージ部門の責任者である石原毅は興奮と安堵の表情を浮かべ、語った。
「無事に走り切ることができて、正直ホッとしています。ブラジルでこのクルマを走らせることができたことは、素晴らしい経験であり、とても感慨深い思いでいっぱいです。レースに携わる以前、セナの走りを観ていた私にとっては、そのクルマをここで走らせることができたということは信じられないことでした。Hondaとしても強い想いを持って、マクラーレンと協力して(このイベントを)成し遂げられたことは、非常に素晴らしいことだと思います」