記憶に残るHonda1-2-3-4フィニッシュ

シーズン主導権はウィリアムズに
ウィリアムズ陣営の母国戦となる第7戦イギリスGP開催までに、ドライバーズ・ポイントランキングはアイルトン・セナ(ロータス・Honda)27点/シーズン2勝、アラン・プロスト(マクラーレン・TAG)26点/同2勝、ネルソン・ピケ(ウィリアムズホンダ)24点/未勝利、ナイジェル・マンセル(ウィリアムズホンダ)21点/2勝となっていた。だが、前戦フランスGPでマンセルが勝利し1-2フィニッシュを飾ったウィリアムズホンダにシーズンの流れは傾きつつあった。
Hondaは前年までのウィリアムズに加え、ロータスにも1.5ℓV6ターボエンジンの供給を始め、計4台体制となっていた。体制とともにマシンのカラーリングも一新したロータス、そのエースはセナ、そしてそのチームメイトとなったのが日本人初のF1レギュラードライバーとなる中嶋悟だった。ロータスは他陣営に先駆けてアクティブ・サスペンションを採用し、路面の荒い市街地コースのモナコGPとデトロイトGPでセナが勝利を奪っていた。
一昨年の1985年開催時に予選平均速度259.005㎞/hを記録した当時の超高速サーキット、シルバーストンはV6ターボ勢が断然有利だ。マンセル対ピケのチームメイトによる熾烈な戦いは予選から始まった。最終予選セッションを通してタイム更新合戦が展開されるが、終盤にマンセルがスピンしたことで決着。ピケがシーズン初のポールポジションを奪う。

300㎞/hのオーバーテイク
65周で争われる決勝スタートでは牽制し合うマンセルとピケの隙を突いてプロストが一瞬先頭に立つが、1周目にしてウィリアムズ2台がこれをかわすと、ピケを先頭にマンセルがこれに追従し、3番手以下をぐんぐん引き離していく。
13周目、マンセル車の左前輪バランスウェイトが外れ飛び、マシンに異常振動が出始めると先頭ピケから少しずつ遅れ始めた。レース中盤35周目終了時、マンセルはたまらずピットイン。4輪とも交換後、依然2番手のまま猛加速してコースに戻る。だが、残り29周時点で首位ピケから遅れること28秒という絶望的な大差をつけられてしまっていた。一方ウィリアムズのピットでは、マンセルの使用タイヤをグッドイヤー陣営とともにチェックし、摩耗自体に問題なしと判断、ピケに対して「タイヤOK、無交換で行け」と指示が出る。
しかし残り12周あたりから、ピケのタイヤグリップが悪化し始めタイムが伸び悩む。一方マンセルは猛追に次ぐ猛追。残り10周で7.6秒あった差は、63周目に入る時には0.8秒にまで縮まっていた。そしてチャペル・カーブを抜けてハンガー・ストレートに差し掛かった時には2台は完全に一体化し、300km/hでの攻防戦となった。後方マンセルは一瞬左に出ようとし、先行ピケもミラーで確認して左へ。その一瞬後、マンセルはパッと身を翻して右にラインを変え、迫り来る右直角ストウ・コーナーのイン側を奪った。見事なフェイントでオーバーテイクに成功したマンセルはこのレース初のトップに立った。
しかし残り2周半、マンセルも問題を抱えていた。ダッシュボードの燃料残量が「0」を示していたのだ。この年、ターボエンジン車がレース中に使える燃料は195ℓ。レース終盤に突然ガス欠で止まってしまう前例もあったが、Honda V6ターボは全65周を走り切った。2位ピケとの差は2秒となかった。

大英帝国の愛すべき息子
チェッカーを受けた直後、マンセル車はガス欠でストップ。興奮してコース上になだれ込む観衆がマシンの周囲を取り囲み、マンセルはレスキュー車に乗って表彰台へと向かった。昨年の母国初優勝に続くイギリスGP2連覇。
2度目のウィリアムズホンダの1-2フィニッシュに続き、3位セナ(1周遅れ)、4位中嶋悟(ロータス・Honda/2周遅れ)とホンダV6ターボが上位4位までを独占した。この快挙にHonda F1総監督の櫻井淑敏は「信じられない」とコメントを残している。
表彰台で歓喜のシャンパンファイトを終えたマンセルはその後、警官隊バイクの後方に跨ってコースを1周するよう促した。そしてピケを抜いたあの場所で降りると、コース路面にキス。10万人の大喝采を浴びた。「最後の15周、サーキットじゅうのファンがすべてのコーナーで僕に手を振ってくれた。それが僕を後押ししてくれたんだ。勝てたのはファンのおかげだ。みんなには感謝したい」
首位走行はわずか3周にすぎなかったが、今大会のヒーローは誰の目にもマンセルだった。彼はこのレースでシーズン最多の3勝目を挙げ、得点争いもセナ31点に次ぐ1点差の30点でピケと並ぶことになった。