マンセル&Honda、F1参戦100戦目の勝利

多重クラッシュで3度スタートやり直し
オーストリアのツェルトヴェク郊外、緑に囲まれた風光明媚なシュピールベルクを舞台にF1グランプリ戦が初開催されたのは1970年。2010年以降1周4.318㎞のレッドブルリンクとして知られるサーキットは、当初は1周6㎞近くもある超高速コース、エステルライヒリンクと呼ばれた。ナイジェル・マンセルは1980年にこのグランプリからロータス・フォードでF1にデビューしたのだった。
アップダウンのあるメインストレートは当時コース幅が非常に狭く、セーフティゾーンもほとんどなかった。土曜予選が雨となったため、金曜予選タイムでグリッド決定。上位グリッドはいつもと少し異なる顔触れとなり、一層危険度が増していた。
52周のレースは3度に渡ってスタートが行われる大波乱のものとなった。最初のスタートは17番グリッドのマーティン・ブランドル(ザクスピード)が登り加速中に悪名高きバンプに足を取られ姿勢を乱しアウト側のガードレールにクラッシュ、後続他車が巻き込まれるかたちとなり赤旗が出される。
40分後に2度目のスタート。ここでなんとセカンドグリッドのマンセル(ウィリアムズホンダ)がクラッチトラブルからフライング気味に飛び出したと思った矢先に失速。前を塞がれた後続車はマンセル車とピットウォールの隙間を潜り抜ける羽目となり大混乱に至り、12台を巻き込む多重事故となりまたも赤旗。狭いコースでの上位グリッド立ち往生は後方車の逃げ場がなく多重衝突は必然だった。幸運なことにマンセル自体のマシンにはダメージはなく、フロントロウから再々スタートに臨むこととなった。

クラッチトラブルを抱えつつ首位奪取
3度目のスタートにしてようやく始まった決勝レース。ポールポジションのネルソン・ピケ(ウィリアムズホンダ)がリードし、クラッチを気遣ったマンセルは2台に先行されて4番手に控えた。ランキング上位を争うアラン・プロスト(マクラーレン・TAG)はマシン修復のためピットスタートとなり、アイルトン・セナ(ロータス・Honda)はスタートで大きく出遅れて後退。レースはウィリアムズの2台による一騎打ちの様相となる。
ピケは20周目までトップを走行するが、追い上げてきたマンセルにあっさりとそのポジションを明け渡した。Hondaはレース前にピケに「HondaV6ターボはこれまでこのコースで完走したことがない。エンジンに無理をかけず、絶対に完走して欲しい」とその意向を伝えており、ピケはそれに従い無理をしなかったとレース後にコメントしている。
マンセルは21周目以降52周終了までリードし続けた。タイヤ交換も無事こなし、2位ピケとの差はフィニッシュ時には55秒にまで開いていた。そしてマンセルが記録した最速ラップ1分28秒318は平均速度242.207km/hという、当時としては驚異的な速さだった。この年のターボ車はポップオフバルブ採用によって最大圧4.0バールにまで下げられたにもかかわらず、その速さは圧倒的だった。
表彰台を前にしての「災難」
そして今大会は、マンセルにとってF1グランプリ出走100戦目であり、Hondaにとっても64年ドイツGPデビューから数えて通算100戦目となる記念すべきレースでの勝利だった。
マンセルにとっては良いことづくめの一戦だった。がしかし、フィニッシュ後表彰台に向かいゆっくり走るトラックの荷台に乗って歓声に応えていた時、ふと立ち上がった拍子に頭を橋桁にぶつけるハプニング。自らが原因で赤旗を出しながらの勝利と、ぶつけた頭の痛さを気にする仕草を見せる表彰台のマンセルは苦笑いを浮かべながら、勝利を喜んだ。
