王座獲得目前、まさかのタイヤバースト

初戴冠に向け、優勢で迎えた最終戦
最終戦オーストラリアGPを迎えたところで1986年シーズンのタイトル争いは3名のドライバーに絞られていた。シーズン5勝のナイジェル・マンセル(ウィリアムズホンダ)70点、アラン・プロスト(マクラーレン・TAG)64点/3勝、ネルソン・ピケ(ウィリアムズホンダ)63点/4勝。すでに、シリーズランキング4位のアイルトン・セナ(ロータス・ルノー)55点/2勝は圏外となっている。この年のチャンピオンシップ・ルールは全16戦中11戦分のベストポイントを合計する有効得点制だったので、プロストとピケはこのレースでの優勝が絶対条件。それに対してマンセルは3位以上で王座が確定する状況で、ポイント差以上にマンセルが優勢であることは誰の目にも明らかだった。
第2戦スペインGPで惜敗したマンセルは、以降第5戦ベルギーGPでシーズン初優勝を果たすと、カナダ、フランス、イギリス、ポルトガルでのレースを制し、今回の予選でもポールポジションを獲得し、初戴冠に向けて絶好調だった。
決勝レース1周目終了時の上位はセカンドグリッドのピケがトップ。以下セナ、ケケ・ロズベルグ(マクラーレン・TAG)。マンセルはスタートではトップに立ったものの、初めての王座決定戦で慎重なレース運びを選択し、ターン4を超える頃には4番手まで落ちていた。
そして7周目以降、レース前半のリーダーとなったのは意外にもロズベルグだった。ロズベルグはこの年マクラーレン陣営に移籍したものの、時代の流れから常に燃費を重視した戦略を強いられる展開が性に合わず、7月末の第10戦ドイツGP予選後にシーズン限りでのF1引退を表明していた。そして、引退戦でのプロスト逆転王者をアシストするべく、燃費やタイヤマネージメント無視でハイペースのレースをしていたのだ。これをピケ、プロスト、マンセルらが追うが、彼らから見れば、想定外のハイペースに惑わされる展開となっていく。
82周レースの23周目にピケはスピンして順位を落とし、32周目にはプロストが周回遅れゲルハルト・ベルガー(ベネトン・BMW)との接触によりピットインしてタイヤ交換、44周目にはセナがルノーV6ターボをブローさせリタイアと、荒れたレースが進行していた。

運命の64周目バックストレート
ロズベルグがリードし、その後ろをピケ、マンセル、プロストと王者候補が続いたレース終盤戦の62周目、突如ロズベルグがタイヤをパンクさせコース脇にストップした。このアクシデントを見て慎重策をとったマンセルは、プロストに順位を譲るも3番手で王座確定と思いきや、64周目のバックストレート走行中、290km/hで左後輪が突如バーストしてしまう。直後に就けていたフィリップ・アリオー(リジェ・ルノー)は危うく右に回避。マンセルはマシンから火花を散らしながら必死のコントロールを行い、幸いどこにもクラッシュせずに済んだものの、このアクシデントでリタイアに終わり、王座獲得の可能性は危うくなった。こうしてコース上ではピケとプロストが1-2に。このままの展開ならピケの逆転王座もあり得たが、グッドイヤー陣営はピケのタイヤもこのままではバーストする危険があると判断し、ウィリアムズにピットインを進言する。チームはピケにピットストップを命じ、タイヤ交換後に猛然と首位プロストを猛追したが、4.2秒届かなかった。
1986年王座はプロストの逆転2連覇で閉幕する。最終ランキングはプロスト72点、マンセル70点、ピケ69点という僅差。コンストラクターズ・チャンピオンは圧勝でウィリアムズホンダ(141点に対し2位マクラーレン・TAGは96点)のものとなったが、マンセルにとっては戴冠を目前に逃す、あまりにも悔しい最終戦だった。
Honda創業者である本田宗一郎は、この週末アデレイド・サーキットを訪れ、チームのコンストラクターズチャンピオンを讃えるとともに、マンセルのワールドチャンピオン獲得を祝福するつもりだった。HondaはF1活動第2期わずか4年目にしてチャンピオンマシン搭載エンジンとなったが、ダブルタイトル獲得は無念ながら翌年以降にお預けとなったのである。
