トップドライバーへの覚醒

初優勝から連勝を果たす
デビューから5年間未勝利で悔しい思いに満ちていたナイジェル・マンセルは、初優勝によって覚醒したかのように勝ち始めた。ヨーロッパGPで初優勝した後、その2週間後の南アフリカ・ヨハネスブルグにて2勝目を挙げたのである。自信をつけた、というだけでなく、レース全体を見ることができ勝つ術が理解できてきたと、本人はコメントしている。
標高1520mにあるキャラミ・グランプリサーキットに合わせHondaエンジニアたちは事前に高地対策を施し、予選は順当にマンセルがポールポジションを奪った。彼にとってキャリア2回目の予選トップだった。しかし、ネルソン・ピケ(ブラバム・BMW)とケケ・ロズベルグ(ウィリアムズホンダ)が0.14秒以内で続く僅差。F1ターボエンジンは予選仕様で実に1500馬力を記録していた時代で、この南アフリカGPでも最高速はブラバム・BMWが341km/h、ウィリアムズホンダが334km/hとその他ライバル勢を圧倒した。決勝ではもちろんブーストを下げ、220ℓ燃料制限を考慮してのレース展開となる。決勝日は猛暑に見舞われ、レース中のタイヤ交換は必須と予想された。

荒れたレースで見せた安定性
ポールスタートのマンセルはスタートでミスすることなくトップを守る。ピケがその背後の2番手に就けた。しかし3番グリッドのロズベルグはシフトミスで出遅れ、2台のロータス・ルノー(エリオ・デ・アンジェリスとアイルトン・セナ)に先行されて5番手に落ちる。しかしここからロズペルグのスパートが始まった。5周目までに3台を抜いて2番手まで順位を上げ、ウィリアムズホンダの1-2を形成し、そのままペースを緩めることなく首位マンセルに迫っていく。ロズベルグの序盤のハイスパートは、実は同じグッドイヤー製タイヤながら2台でスペックの選択が微妙に異なっていたからだ。マンセルが4輪とも比較的硬めのBコンパウンドを選んだのに対して、ロズベルグは右前輪のみソフトなCコンパウンドを選んでいた。そして、この激走はエースのプライドの表れでもあった。
8周目に入る長いストレート、マンセルは後方から急速に迫り来るロズベルグに対して、なんら抵抗することなくポジションを譲った。しかしロズベルグの首位は8周目のみで終わってしまう。2台のウィリアムズが翌9周目に入ろうかという時、15番手を走っていたマシンがストレートエンドでエンジンブローからオイルを撒き散らし、それに乗ってしまったロズベルグがコースアウトし、ターン1アウト側のサンドトラップに飛び込んでしまう。幸いクラッシュには至らずエンジンも止まらなかったためなんとかレースには戻れたが、これで首位ロズベルグは大きく後退した。これで労せずマンセルは再び首位に返り咲いた。これでロズベルグはまたも5番手に後退。75周で競われる決勝の、10周終了時点でコース上はたった11台という消耗戦と化していた。

Honda F1初の1-2フィニッシュ
ロズベルグ後退後のマンセルはタイヤを労る走りを心がけ、ブーストも下げて燃費走行に徹した。その背後に次第に迫ってきたのはアラン・プロストとニキ・ラウダのマクラーレン・TAGの2台。予選よりも決勝重視セッティングを施してきたマクラーレン陣営は侮れない存在だった。
35周目にプロストがタイヤ交換を行い33秒のロス、そして首位マンセルは38周目にタイヤ交換して38秒のロス。2台の差は大きく縮まり、59周終了時には1.1秒差にまでとなった。その間、猛追を図るロズベルグは27周目と48周目にタイヤ交換をしながらポジションを挽回する。一時2番手を走っていたラウダが37周目にターボトラブルで脱落。残り16周でプロストのペースが急激に落ちる。ミスファイア気味のエンジンが異音を発し始めたのだった。残り5周となる71周目にロズベルグがプロストを捉え再び2番手に上昇し、ウィリアムズホンダは再び1−2体制となった。ロズベルグの追撃は最後まで衰えず、トップチェッカーが2戦続けてマンセルに振られた時、ロズベルグは8秒後方まで迫っていた。辛うじて3位を死守したプロストは、最後盤に上位2車に周回遅れにされる。
HondaにとってはこれがF1で初の1-2フィニッシュとなった。ウィリアムズ陣営にとっても1981年第2戦ブラジル以来、4年ぶりの快挙だった。
迎えた最終戦オーストラリアGPでもマンセルは勝つ気満々でセカンドグリッドからスタート。ところがスタート直後の直角コーナーでポールポジションのセナと絡んで、3連勝を確信していたものの無念のリタイアとなってしまう。ここで勝ったのはロズベルグ。ウィリアムズホンダのコンストラクターズ・ランキングは、この勝利でマクラーレンとフェラーリに次ぐ3位まで上昇した。そのロズベルグは翌年、ラウダのF1引退によりシートの空いたマクラーレンへの移籍を決め、代わって1981/83年王者のブラジル人ピケのウィリアムズ入りがすでに発表されていた。
