第Ⅳ章
事業の基盤となる
取り組み

第5節 グローバルサービス活動・部品供給体制

第5節
グローバルサービス
活動・部品供給体制

お客様の期待を
上回る
グローバル
サービス体制の構築

お客様の期待を上回り、感動を覚えていただくような価値をつくるためには
ご購入いただいた製品がその機能・役割を全て発揮できるよう
心をこめて対応し、サービスを提供することが絶対条件である。
「いかに売るかということは、いかにサービスするかということである。社のモットーは、サービスにあり」。(本田宗一郎)
お客様の満足のために、日々挑戦を続ける、ホンダのサービスにおける取り組みを記す。

「お客様の心までも直す」創業期のサービスの進化

 創業間もなく、自転車用補助エンジンA型やドリームE型・カブ号F型が販売を伸ばし、ホンダの経営が軌道に乗り始めた。1950年代初頭、ホンダは各支店を中心に独自の販売体制を構築したが、エンジンの整備に不慣れな店では十分なサービスを実施することが難しかった。そのため各地で自転車店の店主を集めてサービス講習会を開催し、ホンダのスタッフがサービスに関する解説・実習を行い、販売体制を支えた。
 1953年には汎用(パワープロダクツ)事業を開始。ホンダのサービス担当がお客様の使用シーン把握のために販売店を巡回し、トラブル対応と使用方法や整備方法の講習を実施した。この地道な活動を通じて得た知見、農業の実態、お客様の生の声は後の開発に大いに役立った。
 1962年に四輪事業への進出に当たり、ホンダは販売体制同様にサービス体制の構築を急いだ。専務(当時)の藤澤武夫は、「トヨタや日産に大きく引き離されている四輪車メーカーであっても、お客様の立場に立てば修理も調整も、それらのメーカーと同等であるべきである」との考えのもと、1964年、これまでにないホンダ独自のサービス体制となるホンダSF(Service Factory 以下、SF)の建設を始めた。これは販売とサービスを分離し、SFを販売店が自店の専属工場として利用できる体制であり、このSF体制により、お客様は全国どこでもホンダによる質の高いサービスを受けることが可能になり、販売店は、販売に専念することができるようになった。
 1972年にシビックを発売していたホンダにとって、四輪事業を拡大していくためには販売店のサービス力の充実は欠かせない条件だった。そこで、1973年に軽自動車が車検対象となったことへの対応と、販売店のサービスの自立化を促進するため、1973年に「ホンダサービス認定制度」を導入した。
 さらに、サービス体制の高位安定化に向けた「人づくり」の一環として、1973年、千葉県下の四輪車販売店からサービススタッフが集まり、「第1回サービスコンテスト」が開催された。これは、今日まで続く技コン(現在はホンダ四輪サービス技術コンクール)の起源となった。一方、二輪車においても1978年に「鳥取県二輪ホンダマンコンクール」が開催され、今日の「Honda Dreamスタッフ技能コンテスト」へとつながっている。
 このころ、二輪車の販売店の多くが四輪車販売へ移行していったため、二輪車の安定した販売体制を確保するには卸網の整備と強化が必要であった。そこで1979年、ホンダを専門に販売するウイング店制度を導入し、地域におけるホンダ二輪車販売のリーダーシップを発揮する体制を整えた。さらに1983年にはホンダの販売を主軸にするセレクト店制度を導入し、整備能力の向上やサービス工場の美化などを推し進めた。
 SFによる四輪車のサービス補完業務は、1987年に全国11カ所に設置した「テクニカルセンター」によって継続することとなり、現在のサービス技術センター(およびHonda Carsテクニカルセンター)として活動を続けている。汎用事業においては、1985年、「汎用営業技術センター」を設置。全国3,000店にのぼる汎用販売店に対して、販売のためのきめ細かなサービス支援を実施した。

SFは全国どこでもお客様が質の高いサービスを受けられるようにと構築された

SFは全国どこでもお客様が質の高いサービスを受けられるようにと構築された

ホンダのサービスを海外へ

インドネシアでのサービスネットワークを確立したAHASS インドネシアでのサービスネットワークを確立したAHASS

 ホンダの輸出の歴史は、1950年に、現地からの引き合いに応えA型を台湾へ送ったことに始まる。
 1959年にはアメリカン・ホンダ・モーター(以下、AH)を設立し、国内メーカーでもいち早く海外進出を果たしている。当時、海外進出で一般的とされていた商社を介した輸出にあえて頼らず、自社が打って出る決断をした。その理由は、ホンダの製品であるオートバイやエンジンにはサービスが不可欠であり、既存ルートでは十分なサービス提供を保証できない恐れがあるとの判断によるものであった。
 進出した米国カリフォルニア州で、上市後すぐにベンリイCB92などにシリンダーガスケットの吹き抜けや、ピストンの焼き付きなどのトラブルが続発した。このトラブルは、海外での最初の苦い経験であったが、ホンダの企業姿勢を販売店に理解してもらう絶好の機会となった。販売店に向かったサービススタッフには「ホンダに起因する不具合に対する修理は無料。1セントも頂戴するな」という指示が出されていた。結果としてホンダは、オートバイに関するクレームに対し、真摯に対応し、信頼につなげていったのである。
 1964年にタイのバンコクにアジア・ホンダ・モーター(ASH)、続く1965年に、二輪車生産工場のタイ・ホンダ・マニュファクチュアリング(TH)を設立した。しかし、現地の販売店でのサービス体制は確立されておらず、お客様が修理を必要とした時には街の修理業者に頼らざるを得ない状況だった。そこで、販売活動開始に先駆け、サービス資料の準備や販売店のサービススタッフ(テクニシャン)に対する技術講習から着手していった。
 1971年、インドネシアでは新たなパートナーとしてPTアストラ・フェデラルモーターと契約を結び事業を開始した。新しく販売網を整備しなければならず、並行してサービス体制を構築していくことが難しいという事情もあったため、既存の修理業者を加盟店として取り込んで構築されたサービスネットワークAstra Honda Authorized Service Station(AHASS)が誕生した。日本からサービススタッフが頻繁に出向くとともに、AHASSの組織化は現地のサービス部門に専任スタッフを置いて進められ、並行してインドネシア語版のサービスマニュアルや良質な工具の普及、さらに技術講習などによって整備力の向上が積極的に図られた。

 一方、海外における二輪車販売台数が増加するにつれ、1960年代に始まった海外巡回技術指導は1966年には日本での集合研修に発展した。その後販売機種や旧モデルが増加し、特に新興国では整備技術をマスターした人材が必要となっていた。1973年、財団法人海外技術者研修協会(AOTS)の主催する海外受け入れ研修事業に参画するかたちで、Honda Service Training Course(HSTC)をスタート。受講者たちは最新の技術を学ぶだけでなく、ホンダフィロソフィーなどについても深い理解を持つこととなり、世界各国でのホンダの活動を支える重要な役割を果たしている。
 四輪事業においては、市場の拡大に合わせ販売台数が伸長していく中、現地のサービススタッフは新たな問題に直面した。海外では、自然環境、道路事情、クルマの乗り方、整備状況などの違いから、日本では想像できなかったトラブルが各市場で発生した。海外進出初期にはこうした市場適合性の問題への対応、解決のための情報収集がサービス部門の重要な役割であった。
 カナダでは、都市部でも真冬には氷点下30℃に達する寒さのため、シビックのエンジンはまったく始動しなかった。当時のシビックに搭載されていたのは当時の軽自動車と同程度のバッテリーであったため、氷点下10℃ともなるとエンジンが始動しなくなった。その後、毎冬ごとに研究所や製作所のスタッフとともに寒冷地テストが重ねられ、エンジンの始動性、ヒーター性能、デフロスター性能など、寒冷に対する性能が飛躍的に向上することになった。
 また、錆の問題にも悩まされた。カナダでは、冬季の路面凍結防止のために道路に岩塩を散布している。これがボディーの錆やブレーキのキャリパーの作動不良の原因となった。当時、日本では岩塩散布について知られておらず、そのため車体に十分な防錆対策が施されていなかった。岩塩散布による錆の問題はカナダだけでなく、北欧やオランダでも起きていた。そこで「錆プロジェクト」を発足させて問題の早期解決に当たった。現地ではサービススタッフが塩害調査、錆対策活動などを粘り強く継続し、問題解決に大いに貢献することとなった。
 1980年代に入るとクレーム費の増大という問題が生まれた。品質とクレーム費は表裏一体であり、クレーム費削減とお客様の期待に応える品質の定着を目的として、マルCプロジェクトが発足した。マルCプロジェクトの具体的な展開施策は、精度の高い市場の実態把握と的確な情報提供、および市場での即応処置、次期ニューモデルへの反映と改善、そしてサービスキャンペーンなどを含めた全体的な市場措置対応などであった。この活動は現地法人も含めてオールホンダとして徹底的に展開された。そして1982年6月、マルCプロジェクトの活動は新しく組織化された品質部門へと受け継がれていった。

カナダでは氷点下30℃に達する寒さのためエンジンの始動性が課題となった

カナダでは氷点下30℃に達する寒さのためエンジンの始動性が課題となった

カナダで融雪のために使用される塩によって発生する錆

カナダで融雪のために使用される塩によって発生する錆

変化する時代の中で「お客様満足」を求めて

AHで開催された「第1回世界サービス会議」 AHで開催された「第1回世界サービス会議」

 シビックやアコードが世界中で販売されるようになる1970年代後半から、それまで各地域独自に展開されてきたサービス活動について、相互に情報が行き交うようになってきた。
 そこで、この頃から四輪車および二輪車のサービスマネージャーたちを日本に招待し、ホンダに対する理解と信頼を深めてもらうため、製作所や部品メーカーの工場視察、品質問題についての討議、製造工場の品質管理方法の説明などを行う「欧州サービスセミナー」を実施した。研究所とのミーティングでは、欧州市場での製品の技術的要件、高速走行や錆の問題、他社製品とのメンテナンス性の比較などについて活発な話し合いが行われた。
 さらに、日本・北米・欧州・アジア大洋州を対象とし、1983年にAHで「第1回世界サービス会議」を開催。参加各国からさまざまなサービス活動が報告される中、AHが紹介したのは、J.D.パワー・アンド・アソシエイツ(以下、J.D.パワー)の顧客満足度調査(Customer Satisfaction Index〈以下、CSI〉)の概念とその取り組みであった。

 また1992年、本社組織はこれまでの各製品本部制から四輪四地域本部制へと改められた。これを受けて1993年に四輪海外サービス部は北米・欧州サービス部とその他地域を担当する海外地域サービス部の二部制となった。世界中のホンダ製品正規取扱店に、お客様に満足していただくために必要な質の高いサービスマンを確保する展開が始まった。2004年には、世界中のサービス高位平準機能を目指し、現在のカスタマーファースト統括部の前身であるカスタマーサービス本部が設立された。

海外サービス現場強化への組織的取り組みと現地化、
高位平準化への取り組み

 1998年まで四輪車では、日本のホンダ SF出身者などの整備のエキスパートが、サービス支援として個別に海外出張対応を行っていた。しかし、1999年以降、中国・アジア・南米地域での現地生産、販売が拡大し、急速な成長が始まる中、日本のエキスパートが個別に対応する体制では限界があると判断し、各国の現地法人サービス体制および機能構築を効率的に行うための新たな手法の構築を開始した。
 まずは日本の販売店のサービスノウハウを活用し「サービスコンセプト(組織づくり・作業管理・修理技術・接客技術・知識レベル等々)」の体系化を行い、各国のホンダスタッフおよび販売店スタッフへの指導を行う体制づくりに着手した。具体的には、現地におけるサービス部門の業務標準化のためのオペレーションマニュアル作成、販売店のサービススタッフを育成するための研修教材・カリキュラムの作成、そして研修センターならびにインストラクター育成を含む機能・体制づくりを行った。 
 一方、二輪車および汎用製品領域では、新市場であるアフリカにおいて、ホンダ製品の概要、メンテナンス手法など、基礎的な知識、スキルを現地サービススタッフへ定着させることが急務であり、現場を直接訪問しOJT(On the Job Training)を繰り返し実施する方法も継続展開している。
 2005年頃より四輪車の中国市場では、販売台数の急拡大に伴い、販売店のサービスキャパシティ不足などの課題が顕在化し、これが原因となりお客様満足度の低下という新たな課題が発生した。ホンダとしてもサポートが必要と判断し、2007年から2010年にかけて、国内販売店の店長の経験を有するエキスパートの方々に協力を要請し、中国の販売店向けに長期出張で支援を実施した。
 その結果、販売店のサービスレベルの改善が図られ、広汽本田汽車有限公司では、2009年度のJ.D.パワーのCSI調査において、前年度16位から急伸し、1位を獲得することができた。また、支援終了後も中国現地スタッフによる販売店サポート活動の自立化が図られ、2021年、2022年ともにJ.D.パワーのCSI*1で1位を獲得するなど、現在も活動が継続されている。この中国での手法を水平展開し、2008年以降アジア太平洋地域ならびに一部欧州地域に対しても改善活動を展開した。
 一方、二輪車のインド市場においても同様の問題が発生した。日本のホンダサービススタッフが、ある雨の日に販売店を訪問した時、販売店の前の道路に多数のバイクがサービスの受付待ちの状態で横並びに止めてあった。その数は60台以上だった。お客様の多くは街路樹の下に雨宿りをしながら自分の順番を待っていた。しかし受付はなかなか進まず、日本から訪問したメンバーは、そのお客様に取り囲まれ、「お前はホンダのスタッフか?この状況をどう思う?このままでは仕事に遅れる」などの叱責を受けることとなった。
 整備の現場を見ると、インドでは修理前に洗車を行うが、スペースや要員が少なく洗車待ちのバイクが溢れ、一方では洗車の完了を待つメカニックが手持ち無沙汰にしていた。早々に対策として、毎日の洗車業務開始時間を30分早め、その後メカニックが出社してすぐに作業を開始できるようにした。
 2011年にホンダ・モーターサイクル・アンド・スクーターインディア(HMSI)が行ったインド主要二輪車メーカーのお客様満足度調査の結果、ホンダは対象6社中最下位となった。この結果を受け、同年11月、ホンダの二輪車サービス部門は販売店のサービス活動を改善するためには現地法人スタッフの育成が必要と判断し、四輪車サービス部門の応援を得て計5名でチームを編成、インドに渡航しOJTを開始した。
 メンバーは、インドの東・西・南・北・中部の5カ所に分かれ、各地域事務所のスタッフとともに販売店を訪問、先の整備待ち事例のような各販売店の問題点抽出と、その対応策を立案し、日本のホンダのノウハウを現地のスタッフに伝えるとともに、スタッフ同席のもと、オーナーに対面で提案し改善を行った。オーナーはホンダの真摯な提案に対し改善を約束し、できることはその場で実行。時間を要するものはスタッフと駐在員が引き継ぎ、粘り強くその実行につなげた。
 販売店訪問を重ねるたびに、現地スタッフ自身でも的確に判断ができるようになり、改善のアイデアも自ら出せるようになった。こうして出張者から指導を受けたスタッフが他のスタッフを育成する体制ができ、徐々にホンダが目指すサービスのありたい姿がスタッフと共有されるようになった。その結果、お客様満足度調査は2012年も6位だったものの、翌2013年は3位、2014年は2位、2015年は1位となり、お客様に満足いただけるサービス体制が整っていった。
 2010年代、汎用部門は南アフリカを中心に南部アフリカ開発共同体(SADC)加盟国(15カ国、当時)への販路拡大を進めていた。しかしながら、販売店の環境も劣悪でメカニックのエンジンなどに関する知識は決して満足できるものではなく、的確な修理が困難な状態だった。そこで、エンジン作動原理を視覚的に理解してもらうために「手作りメカチャート」や、文字を使わない「ピクト教材」などを制作。また、オイルやエアクリーナーなどの定期交換が必要な理由を紙芝居にしたツールを制作して販売店のみならず発電機ユーザーにも配布、アフリカ市場での地道なサービス啓発活動を展開していった。

  • :J.D.Power 2021 China Customer Service Index (CSI) Study、J.D.Power 2022 China Customer Service Index (CSI) Studyより
販売店のサービス活動の改善に努めた(写真左側より、四輪車・二輪車・汎用)

販売店のサービス活動の改善に努めた(写真左側より、四輪車・二輪車・汎用)

アフリカでエンジン作動原理の理解促進のため制作された「手作りメカチャート」

アフリカでエンジン作動原理の理解促進のため制作された「手作りメカチャート」

お客様の声を代弁し、源流改善

 事業のグローバル化に伴い、各地域で生産・販売が完結し、一部研究開発機能も現地に移管するなど、日本を介さない地域を跨いだ製品の商流が開始された。さらには新興国での事業の拡大に伴い、市場情報の源流へのフィードバック機能を効率よく遂行するために、日本でのホンダのサービス主体であった「お客様の声を開発・生産部門に対して代弁する活動(以下、市場代弁活動)」を、各地域へ展開することが必要となった。各国では保証修理情報を使った市場品質情報化を行うQIC(Quality Information Correspondence)が始まり、日本のホンダにおいても各国の市場代弁活動状況の検証やバックアップを可能とする体制が整った。
 2005年、不具合情報の打ち上げから対策までを管理している品質システムECHO Ver2(Efficient Communication System for Harmonized Operation)を拡張し、これまで地域独自で推進、管理していた品質情報を一元管理できる体制を順次構築。最終的に2016年から、全世界の情報を共有できるシステムGiQ(Global intelligence of Quality)を稼働させるに至った。これにより「世界各国で何が起こっているのか?」「類似問題が現在から過去において他市場で発生しているのか?」「対策は推進されているのか?」などの情報が共有可能なインフラが整った。また、市場品質の主要情報である生産情報、販売情報、保証情報をグローバルで収集・提供するシステムFQS(Flexible Quality Information System)の開発に着手、情報一元化が図られた。
 また、120%の良品を目指す桁違い品質活動の強化の一環として2013年にSQ(Service Quality)展開を開始し、市場品質改善活動の中でのサービス部門の役責がさらに強化された。市場品質活動の主たる情報である保証修理情報に加え、お客様からの製品に対する苦情についても品質情報として源流へフィードバックし、将来リスクも踏まえた重要な判断情報として活用を開始し品質改善活動を刷新した。
 一方、趣味性・嗜好性が特に高い二輪車のFUNモデルにおいては、お客様の高い期待に応えるため、従来の品質改善活動を進化させた取り組みが検討され、ホンダ製品に対する愛着や好感度をさらに向上させるために、見た目や質感などの領域にまで踏み込んだ市場代弁活動が必要と判断。2021年よりサービス部門が主管部門となり、商品企画・開発・製造部門を巻き込んだ新たな活動を開始した。
 FUNモデルの主要販売地域である欧州5カ国で計48のホンダ専売店と他銘併売店を訪問し、販売店を含めた市場の声を彼我比較を含めて情報収集した。これらの調査を受け、開発・製造部門と協議し、開発ツールの改善や製造品質基準の見直しなどを行い、未然防止活動を展開した。また外観品質不具合にもに迅速に対策できるよう、対策の対応の仕方を検討するPriority活動*2の判断基準を見直し、拡大防止を図った。
 大型の欧州プレミアムFUNモデルから始めたこの活動は、近年ホンダのブランドイメージ低下がみられるアジア若年層に対するイメージ向上も狙い、スモールFUNモデルへと拡大展開し、市場代弁機能のさらなる強化を図っていった。
 近年の四輪車においては、電動化やセンシング機能が進化する中で、電子制御やレーダー機能などカテゴリーを跨ぐ品質問題が複雑化してきた。さらには車両内部の故障と外部影響に起因する不具合もあり、原因特定が難航する場合もあった。
 このような市場品質問題の原因特定に対し、問題が発生した時の環境や、お客様による使われ方の詳細履歴、周辺環境映像、外部電波の有無などの情報は不可欠な情報源となりつつある。一方、車両側にもコネクテッドカーの普及とともにTCU(Telematics Control Unit)の装着が拡大し車両情報の配信が可能となったことから、この機能を活用した品質問題を解析する手法の開発に着手した。
 具体的には、保証情報に加え、販売店において診断機として使用しているHDS(Honda Diagnostic System)からの故障診断データや、TCUのテレマティクスデータを活用したDTC(Diagnostic Trouble Code)情報を早期に入手し原因解析を行うことである。
 安全運転支援機能の進化とともに車両に装着しているデバイスも用い、不具合発生時の車両情報や車外の画像・音声・位置情報などを把握するとともに、再来店の利便性を改善するためのテレマティクス機能を加え、2022年より北米市場を皮切りに拡大展開している。
 併せて、ハイブリッドや電気自動車(BEV)などの電動化や、燃料電池(FC: Fuel Cell)など新たなパワーユニットとTCUの普及拡大に対し、充電状態、発電時間など高圧バッテリーならびにFCの状態を遠隔で抽出・分析できる技術・インフラ開発も始まっている。お客様の同意のもと、車両状態や運転履歴をホンダのサーバーへ収集することで、品質不具合の対応のみならず将来機種の開発まで利用可能な環境に進化した。
 電動車において高圧バッテリーは重要な部品であり、車両の走行に直接影響するため、問題がある場合はいち早くその情報をキャッチする必要がある。燃料電池車 クラリティでは、収集した情報を活用して、高圧バッテリーの電圧モニターにより、劣化過程でアラート情報を発報し、品質改善活動の要否判断や、早期テーマアップの判断材料として品質改善活動を開始した。
 また、燃料電池車では、搭載されたFCの稼働状態をモニターにより分析し、修理や市場対応の判断材料として役立てている。こうした先進の遠隔監視・診断オペレーションも継続的に拡充・強化していく。

  • :Priority活動とは、ホンダのテクニカルサービス部 品質情報推進課が、不具合に対し、プライオリティレベルを判断し対策を行う活動のこと。プライオリティレベルの判定基準については、G-HQS AUTO17030 SQC00「地域プライオリティ判定基準」に基づく