第Ⅱ章
世界に広がる事業展開

第4節 欧州・アフリカ・中東 第3項 中東

第4節 欧州・アフリカ・中東
第3項 中東

アラビア半島での暮らしは、砂塵の中にある。
粒子の細かい砂は予想を超えるところまで入り込む。クルマにとって大敵となるのが、この「砂」であった。
さらに、気温が50℃近くに達する日もあるなど、過酷な条件が重なる。
中東地域でお客様に安心してホンダ車に乗っていただくためには
この気候風土や使用環境に適応した、独自のアフターサービスが欠かせない。
しかも、現地スタッフによるサービスの提供ができてこそ地域に貢献できる事業と言える。
カギとなるのは、現地サービススタッフの育成。
しかし、人材の定着化が難しいこの地域で、サービス技術を継承し
ホンダのアフターサービスのクオリティーを守り抜くにはどうすればよいか。
サービス体制の開拓と発展の足跡を追う。

輸出の拡大とともに急務となったサービススタッフの育成

HSTC100回記念パンフレット HSTC100回記念パンフレット

 ホンダの海外輸出は二輪車から始まった。1959年にアメリカン・ホンダ・モーター(以下、AH)、1961年にヨーロピアン・ホンダ・モーター(以下、EH)が設立されると加速度的に世界に広がり、1964年には、中近東・アフリカ・アジア・中南米など90カ国以上に及んでいた。
 販売が拡大すればするほど、重要となるのがアフターサービスの拡充である。ホンダの製品を長く使っていただくためには、販売とサービスが一体でなければならない。そのため、ホンダは日本人のサービススタッフが輸出国へ出向き販売店を巡回する、海外巡回技術指導を始めていたが、海外での販売台数増加に伴い巡回では追いつかなくなると、1966年には日本で実施する集合研修へ移行した。この研修には北米・欧州・中近東・アフリカ・アジア・中南米の現地サービススタッフが参加し、主に新機種に関する研修を実施した。
 さらに、各国での事業規模拡大による新旧含めた販売機種の増加に伴い、複雑化・多様化したエンジンやトランスミッションなどの科目別研修や基礎理論を理解する必要性が高まり、整備技術をマスターした人材が必要となった。そこで1973年、財団法人海外技術者研修協会*1の主催する海外受入研修事業に参画するかたちでホンダ・サービス・トレーニング・コース(HSTC)を開始し、各国のサービススタッフを日本へ招いて行う人材育成に注力していった。
 一方、四輪車の海外輸出は、1972年に発売されたシビックが、翌1973年米国・欧州へ輸出が開始(中東へは1974年)されると、長期的な視野に立った各国でのサービス体制や部品供給体制について、検討が始まった。その中で多くのディストリビューター(輸入代理店)が、ホンダ車の整備に精通した日本人サービススタッフの駐在を求めてきた。日本人スタッフの数も限られる中で、現地でのサービススタッフの育成も急務となった。
 「日本に招いての技術研修は、ホンダのサービスは世界中で『どこを切っても金太郎飴』にしないといけない、という考えのもと、地域によってサービスにバラツキがないよう指導します。一方、現地での技術指導は、サービススタッフの習熟度や環境に合わせた指導を行います。特に自動車整備士の国家資格といった制度がない地域のスタッフでも、点検・整備などを適切に行える人材に育てなければなりません」(2011年から2017年 中近東事務所*2〈以下、HAMER*3〉 シニアゼネラルマネージャー 楠見寿)
 こうして現地のスタッフを日本に招いてホンダの理念や製品の技術をしっかり学んでもらう人材育成と、日本のスタッフを現地へ派遣して日常のメンテナンスや修理を身につけてもらう指導教育の双方が不可欠となった。

  • :1959年経済産業省(旧通商産業省)所管の民間技術協力機関として設立。主に新興国の産業人材を対象とした研修および専門家派遣等の技術協力を推進する人材育成機関。2012年に財団法人海外貿易開発協会(JODC)と合併し、現在は財団法人海外産業人材育成協会
  • :2014年からアフリカ・中近東事務所へ名称変更
  • :Honda Africa and the Middle East
    Representative office

ホンダSF*4からサービススタッフを募りサウジアラビアへ
大幅に長期化した駐在期間

日本人出張者は1回/月の割合で来ていた。アテンドも重要な仕事 日本人出張者は1回/月の割合で来ていた。アテンドも重要な仕事

 中東主要国の法制度では、外国企業が製品を直接販売することができない地域が多く、ホンダの場合、販売や修理を行うのは現地のディストリビューターやその傘下にある販売店と決められている。ホンダの活動は、そういった企業の営業・サービス支援ということになる。
 まず、現地サービススタッフを日本に招いての育成としては、1976年、第1回HSTCがサウジアラビアとモーリシャスから3名のスタッフを招いて行われた。研修施設が整っていない当時は製作所やホンダSF(サービスファクトリー)での実習を主体とした研修で、期間は1年に及んだ。受講者たちは最新の技術を学ぶだけでなく、ホンダフィロソフィーについても理解を深め、現地で大きな役割を果たしていくこととなった。
 一方、指導者となる日本人サービススタッフの駐在については、現地の声に応えるために、即座に対応。ホンダSFに協力を要請し、1973年12月に全拠点から希望者を募った結果、200名ほどの応募があり、その中から約20名が選ばれた。選抜されたホンダSFのスタッフたちはホンダ全製品の修理技術の向上や語学研修など海外駐在に向けた研修を受け、1974年半ばから順次駐在先に向かった。この第1回目の公募者が駐在した国の一つが、サウジアラビアであった。
 サウジアラビアでの日本人サービススタッフの駐在期間は1975年から2年が予定されていた。ディストリビューターの協力のもと、実際にお客様のクルマの点検や修理などを通してサービススタッフの育成にあたった。
 しかし、産油国ゆえオイルマネーで経済が潤うサウジアラビアは、当時は自国民の労働者は少なく、特にメカニックの多くが外国人労働者であったため人材が定着しない。それゆえ技術の習得が難しく、ディストリビューターからの強い要望もあって、1980年代半ばまで駐在の施策は継続された。サウジアラビアでの日本人サービススタッフの活躍ぶりは、多くのお客様に安心をお届けしただけでなく、周辺の湾岸諸国でも高い関心を集めることになった。そのため、アラブ首長国連邦(以下、UAE)やクウェートなどへの駐在も行われるようになり、この地域でのホンダブランドの信頼向上に大きく貢献した。

  • :販売とサービスを分離し双方の効率を高めるという「SF構想(Service Factory)」を基に
    1964年に設立。1984年に収斂した
研究所による砂漠地帯調査でトリポリ(リビア)より100kmくらいの土漠地帯を案内。レストランがないため木の下で昼食

研究所による砂漠地帯調査でトリポリ(リビア)より100kmくらいの土漠地帯を案内。レストランがないため木の下で昼食

安全のために、砂漠でのトラブル防止は重要課題であった

安全のために、砂漠でのトラブル防止は
重要課題であった

アコード上市で本格化したホンダの活動
見えてきた地域特有の問題

 1978年にアコードが上市されると、中東地域でのホンダの活動は本格化する。しかし、中東ならではの酷暑と砂塵に対する知見の少なさから、品質に関するさまざまな問題が噴出した。
 中東の主要市場となるサウジアラビア・UAE・クウェートなどのアラビア半島は、大部分が砂漠地帯で、気温は夏季になれば50℃近くに達する。沿岸部は湿度も高く、内陸部は気温の日較差が大きいなど、クルマは過酷な環境下にさらされる。特に砂塵の粒子はきめ細かく思いもよらぬところへ入り込み、予想外のトラブルを引き起こした。
 高い気温に対応するために、エアコン用コンデンサーのフィン間隔を小さくするとフィンの間に砂埃が堆積しやすくなり、冷媒圧力が上昇して負荷がかかりコンプレッサーを破損させてしまう。同様に、ラジエーターフィンは目詰まりを起こし、エンジン冷却性能の低下を招いた。そこでサービススタッフは、この地で最適なフィン間隔、フィン形状のノウハウを蓄積するために、気温50℃近くの日や、太陽も見えなくなる砂嵐の日にも、さまざまなテストを繰り返し情報収集に努めた。そしてお客様には、コンデンサーを週に1度、水で洗浄することを推奨した。
 また、燃料タンク内のガソリン温度が80℃近くまで上昇し、フューエルポンプのローター部が熱膨張してモーターが回転せず、エンジンが再スタートできなくなることもあった。砂漠の中でエンジンが止まってしまえば命に関わる危険につながる。さらに、微細な砂はどこからともなく車内に侵入し、パワーウインドウスイッチに堆積して接触不良を起こしたり、エアフィルターを通過してエンジンに入り込み、オイルの消費量を増大させたりした。こうした問題に対する未然防止策として、現地主体でサービスチェックアップキャンペーンを繰り返し実施した。お客様のクルマを一台一台点検整備しながら、中東地域特有の使われ方や自然環境によって誘発されるトラブル情報を収集していった。
 その後、中東地域で上市される四輪車の「中東仕様」の設定は、こうした情報収集活動によって生まれたのである。そしてこの活動は、より地域に適した仕様改善のために引き継がれていく。

粒子の細かい砂塵がエンジンルームに侵入しさまざまな問題を引き起こした

粒子の細かい砂塵がエンジンルームに侵入しさまざまな問題を引き起こした

 「私が駐在していた2010年代には、特にサウジアラビアで、気温と砂の影響に加えて想定を超える使い方によるトラブルが発生していました」(楠見)
 国土が広く高速道路網が発達したサウジアラビアでは、時速160キロから180キロで1,000kmを移動するドライバーも珍しくないという。45℃から50℃の炎天下で長時間の高速走行など、酷使されることになる。
 「エンジンマウントの破損やブレーキジャダー(制動時の車体振動)の発生、バッテリー液の沸騰などといったケースもありました。当時、中東仕様車は主にアメリカ仕様車がベースで、高温に対してはデスバレー(世界で最も暑い場所の一つといわれるカリフォルニア州の砂漠地帯の一部)でテスト済みですが、中東はそれ以上に過酷なのです」(楠見)
 こうした使われ方に対しても、さまざまな検証が行われた。栃木研究所(以下、HGT)からも研究員が派遣され、サービススタッフとともに情報を集積していった。その後、研究員たちの派遣は約10年にわたって続き、数多くのデータや知見を日本へ持ち帰った。現在ではHGTから遠隔でサポートを受けられる体制となっている。

過酷な環境やクルマの使われ方にサービススタッフは苦悩した

季節によって砂嵐が頻繁に発生する
  • ・エアフィルターが砂で目詰まりし、エンジン不調に。
  • ・砂塵によってラジエーターが破損。
  • ・ホーンに砂が堆積し音に異変が起こる。
豪雨で事務所が浸水し、業務停止に陥った

年間を通じてほとんど雨が降らない湾岸地域だが、一度降ると猛烈な豪雨に見舞われる。2011年にはHAMERが浸水。コンピューターサーバーが損害を受け、1週間の業務停止を余儀なくされた。