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Goodwood 2005

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Goodwood 2005

「レーシング・カラーズ」の象徴となったHondavol.3

ジョン・サーティス、Hondaを語る

かつての愛車RA300を駆るジョン・サーティース。ただし、土曜日に路面のオイルに乗ってしまいボディを破損、日曜日は走行できなかった。

今回、RA272のステアリングを握ってコースを疾走したのは、ジョン・サーティース。彼は言うまでもなく1966年にHondaと契約、3リッター時代のエースを務めたドライバーである。

Hondaと契約を結ぶ時点でサーティースは、MVアグスタで二輪世界GPチャンピオンとなり、四輪のF1でもフェラーリで世界チャンピオンになったスーパースターであった。そのサーティースはどんな思いで極東の新興チームと契約し、日の丸を背負って走ることを決めたのだろうか。

「フェラーリでF1チャンピオンになったが、その後シーズン途中で政治的な問題が起きてチームとの関係が悪化し、フェラーリを離脱することになった。その時、他にも選択肢があった中でHondaを選んだのは、二輪から四輪へ来たというバックグラウンドが自分と重なり合うという点に興味をひかれたからなんです。特に、Hondaのモーターサイクルでの成功の軌跡には以前から注目していたし、まさに新しいチャレンジをする場として最高の機会だと思いました。

他チームのように経験値のない分、すべて新しく一緒につくっていくという作業は、まるで新しい家族に迎えられたかのような気分で、本当にモチベーションの高まるものでした。私は、日本の国旗がデザインされたマシンに乗れたことを素晴らしいことだと思います。日本を代表するというHondaの姿勢に対しても誇りをもっていたし、ナショナリズムの象徴だと思ったので、もっともっと他の国もナショナリティーを主張するカラーリングをすればいいのに・・・とさえ思っていたものです」

サーティースにとっては遠い国であるはずの日本からやってきたHondaのF1チームに加わって、彼は何を感じたのだろう。

「自分が当時Hondaと共に経験してきたことを思い出しながら、現在のHondaという会社を見て、Honda哲学を改めて知ることになりましたね。Hondaはレースに出てその技術力を証明することにより、最終的にHonda車を購入したいという意思に導く、という方針を常に視野に入れていたのだと思います。モータースポーツというフィールドの中で、ただレースマシンの技術面をひけらかすだけではなく、その技術を常に将来に向けて継続的に伝えていくために、エンジニアの育成にも力を注いできました。

1967年

F1グランプリは3000ccフォーミュラとなり、Hondaは新たにスーパースター、ジョン・サーティースと契約してエースに据えた。初代RA273は大きく重いマシンで、エンジン性能を活かしきれなかったが、シーズン途中で投入したRA300はデビュー戦であるイタリアGPでHondaにとって2回目の優勝を記録した。RA300のエンジンは、外側吸気内側排気のレイアウトをとっていたため、コックピットに座ったサーティースの背後にはエキゾーストパイプが力強く盛り上がっているのが見える。Hondaの技術者たちは、すでにシリーズチャンピオン獲得を目標に定めて走り始めていた。

その結果、ライバルより多くの社内エンジニアが関わったため、サーキットで結果を出すまでに他と比べて時間がかかったりもしたかもしれない。しかし、会社としてみれば、将来を見据えて有能なエンジニアとマネージメントシステムを築くことには成功したのだと思いますね。忘れてはいけないのは、Hondaはレースマシンを製造する会社なのではなく、レースマシンを走らせることで得た技術を市販車に投入し、より良い市販車を製造するという数少ない自動車会社だということなのです」

国際レースにデビューして50年。今もHondaは世界各地でファンの応援を受けながらモータースポーツを戦い、伝説をつくり続ける。

今回RA272に乗った感触は、と訊ねると、サーティースはにっこり笑って答えた。
「RA272は、4つ車輪がついてはいるけれど、大きなモーターサイクルという感じのクルマだね。本当にいい音がするんです。グッドウッドを観に来ているお客さんは、レースを見るというよりは、ある意味、音を楽しみに来ているようなところもあるから、わざとギアをアップダウンさせてお客さんに音を聞かせてあげたよ。グッドウッドには自分と同じ年代の人が、その時代のマシンを懐かしがって見に来るけれど、当時のマシンのことを全く知らない若い人たちもたくさん来る。ここは過去と現在を合わせて、さらに将来に繋げていく、という独特な場なのです」

モータースポーツ史に刻まれたレーシング・カラーズ

モーターレーシングの歴史の中でサーキットを彩ってきた「レーシング・カラーズ」が今年もグッドウッドに集結し、時空を超えた交流を果たした。今年はその中心にHondaがあった。実際、Hondaはグッドウッドにやってきた15万人もの熱心な老若男女を含むレーシングカーファンに常に取り囲まれ、熱い視線を浴びた。伝説のマシンの姿を見つめる目には、憧れと情熱と驚きと感激が溢れていた。

現在サーキットを彩るのはさまざまなスポンサーのロゴマークであり、旧き良き時代のナショナルカラーは記憶のかなたのものとなった。だが、HondaがF1に持ち込んだ白地に日の丸は、ヨーロッパに根付いたモーターレーシングの歴史の中に刻み込まれた“レーシング・カラーズ”であった。二輪による国際レース挑戦から数えれば50年を超え、F1初優勝から数えて40周年。Hondaはモーターレーシングの歴史を、現在も積み重ねつつある。

今年も伝説のHondaミュージックを聞きに、近隣諸国からも熱心なファンがグッドウッドに集結。すでに顔なじみもいるという。