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RA005E

2005Honda BAR007

最新シミュレーション技術で耐久性向上
しかしシーズン序盤のトラブルが後を引く

前年に11度の表彰台を獲得し、コンストラクターズ選手権2位へと大躍進したBAR・Honda。レースドライバーはジェンソン・バトンと佐藤琢磨のふたりが前年から継続したが、チーム体制面で変更があった。2002年からチーム代表を務めてきたデビッド・リチャーズが2004年限りで退任し、ニック・フライがチームの最高経営責任者(CEO)に就任。チーム代表を兼任するかたちでチームの指揮をとることになった。フライはリチャーズの下でプロドライブのマネージングディレクターを務めながら、2002年からBARのマネージングディレクターも兼任していた。リチャーズはプロドライブの運営面からも退いたため、フライも2004年末にプロドライブを離れ、2005年からはB・A・R HondaのCEOに専念することとなった。

BARの運営面からプロドライブが撤退したものの、ブリティッシュ・アメリカン・タバコ(BAT)と新合弁会社である、ビーエーアールエイチ リミテッド(BARH Limited)が設立され、Hondaはその株式の45%を保有し、長期的安定的にF1を戦う体制を整えた。BARH Limitedには社長は存在せず、ホンダからはホンダ・レーシング・ディベロップメント(HRD)社長の田中詔一、木内健雄プロジェクトリーダー、本田技研工業の大島裕志広報・モータースポーツ担当執行役員が役員となり、B・A・Rホールディングスのボードメンバーとして、BARH Limitedの取締役会に参加することになった。

2004年に1グランプリ1エンジンだったレギュレーションは、この年2グランプリ1エンジンへとさらに耐久信頼性が要求されるかたちとなった。想定耐久距離は1400㎞。これ対応するため、Hondaはコーナーの負荷特性を5段階に分類し、各負荷特性を組み合わせて信頼性評価を実施。事前のシミュレーション精度を高めて耐久信頼性を確保した。またこのサーキット・シミュレーション技術により、サーキットごとに要求される最高出力回転数、シフトアップ回転数、ストレートエンド回転数などエンジンの使用方法を最適化し、ラップタイムを向上させる出力特性の知見も習得。RA005Eは馬力優先からラップタイムを優先する方向に設計コンセプトを刷新した。2004年のRA004Eで表彰台の常連となったホンダは、2005年に向けて勝つためのエンジン開発を検討し、その結果トップパワーを追求する設計からラップタイムを稼ぐことを優先する設計に大きく転換したのである。2000年代に入って、F1開催サーキットは長い直線が減り、さまざまな形状のコーナーが増えた。それに対応するためには、トップパワーを追求するだけではなく、低中速域でのトルクに厚みを持たせ、スタートやコーナーの立ち上がりでのパフォーマンスを向上させたほうがタイムを短縮できるという結論だった。

車体の運動性能を考慮したエンジンは骨格を変えた。さらなる軽量化が図られたRA005Eの重量は90kgを切り、88.6kgと驚異的な数値を実現した。さらにシリンダーヘッドを低くすることで、RA004Eよりもさらにコンパクトで低重心化を成し遂げ、重心高163.5㎜は、第3期に投入したエンジンにおける最小値となった。またBAR製ギヤボックスは、軽量な第2世代のカーボンコンポジット製ギヤボックスケーシングを採用し、剛性を高めながら10%ほどの軽量化を実現している。

しかし、この年のBAR Hondaにはふたつの問題が起こり、その実力がなかなか出せずに終わってしまった。ひとつは、2004年末に物議を醸したジェンソン・バトンのウィリアムズ移籍騒動で、もうひとつは第4戦サンマリノGPでの車両の重量規定違反による失格と、それにともなうスペインGPとモナコGPの2戦出場停止処分である。空力規定が変更されたシーズン序盤にこれら騒動の影響を受け、上昇基調だったBAR Hondaは完全に失速してしまった。この年の表彰台獲得はバトンの2回にとどまり、コンストラクターズランキングは6位に後退。佐藤琢磨は入賞することさえ難しくなり、ポイント獲得はシーズンを通してわずか1回に終わっている。

BAR007