POWERED by HONDA

RA004E

2004Honda BAR006

全面設計変更で軽量コンパクト化
18戦中11回の入賞を誇る

2003年のRA003Eは大幅な軽量化が図られたが、それゆえ信頼性に問題を抱えシーズン中に何度かトラブルに見舞われた。耐久性は対策を施したことで上がったが、最終的には重量増は避けられなかった。そのためスタッフたちに落胆する雰囲気が漂ったが、この経験によって、Hondaのスタッフは軽量化しても壊れないエンジンにするためにはどうすれば良いのかを学ぶことができた。その成果がRA004Eである。

約10年ぶりにF1に復帰した木内健雄は、プロジェクトリーダーとしてまず「ホンダのエンジンは重く、パワーもトップメーカーに負けている」という現実を開発陣に理解させることから始めた。そして「やる前からあきらめるな。たとえできなくてもいいからチャレンジしなさい。責任は私がとる」と開発陣を鼓舞し、意識改革からプロジェクトをスタートさせた。2004年のエンジン開発で最も重要なテーマは信頼性の向上だった。2003年より「予選と決勝で1エンジン」というエンジン連続使用規定が、この年から「1レースウィーク1エンジン」に強化され、エンジン寿命を800㎞想定と大幅に延ばさなければならなかった。

このため、RA004Eでは再び大きく設計変更されている。ボア×ストロークこそ97×40.52㎜が踏襲されたが、エンジン全長は581.5㎜に短縮。これは600㎜台だった2002年と2003年はもちろん、復帰初期の2000年〜2001年の588㎜よりも短い。さらに重心高も前年の177.2㎜から171.6㎜と大幅に低くなった。この革新的なサイズダウンは、サイアミーズ・シリンダーの採用が大きい。冷却水の流れ方向を各シリンダーのクロスフローからエンジン前後方向フローに変え、ボア間寸法を6㎜にまで短縮。ピストン材には高温疲労強度の高いアルミ・メタル・マトリクス・コンポジット材が採用され、単体重量は210gまで軽量化。またクラッチ固定方法の変更、レーザークラッド式バルブシートの採用などで、ダウンサイジングと重心バランス、耐久信頼性とすべての向上が図られている。これらの開発努力は軽量化にも大きく貢献し、RA004EはRA003Eからさらに8.1kgもの軽量化を果たし90.9kgに仕上がった。最高回転数もついに1万9000rpmを突破した。

この徹底した軽量コンパクト化エンジンにより車体の中心部に重量のある部品を集めることができ、慣性モーメントが低減された結果、コーナリング時のクルマのハンドリングを向上させることに成功。RA004Eはマシンの運動性能向上に大きく貢献するものとなった。

2004年は在籍2年目のジェンソン・バトンと、新たにBARに加わった佐藤琢磨がシーズンを戦った。佐藤は前年最終戦の日本GPに急きょジャック・ビルヌーブの代役で出場し、いきなり6位に入賞。2004年にレギュラードライバーに昇格し、2002年以来2年ぶりのF1フル参戦となった。このふたりを支えたのが、第3ドライバーのアンソニー・デビッドソンだった。この年は前年のコンストラクターズ選手権トップ4以外のチームは金曜フリー走行に3台目のマシンを出走させることが許されており、前年ランキング5位のBARは第3ドライバーのデビッドソンを走行させて、週末に向けたデータ取りを行うことができたのである。

さまざまな挑戦の成果が出始め、BAR・Hondaは第2戦マレーシアGPでバトンが3位に入賞し、その後も表彰台の常連となり上位争いを展開した。チームメイトの佐藤も第9戦アメリカGPで3位となり、日本人ふたり目となる表彰台を獲得した。ふたり合わせて11回表彰台に上がったBAR・Hondaはコンストラクターズ選手権で2位に躍進した。この結果によってチームの意識改革と上昇気運はさらに高まった。それは、Hondaにとって1992年オーストラリアGP以来、そして第3期初優勝を射程に捉えた実感をともなっていた。

BAR006