POWERED by HONDA
RA003E

最大回転数は1万8800rpmへ
トップクラスの900馬力を発生
2002年の11月、Hondaは2003年シーズンに向けた組織改革を行った。F1活動を技術面で統括していた小川徹に代わって、木内健雄がプロジェクトリーダーに就任。木内は第2期F1でエンジンの電子制御開発、所属ドライバーの担当エンジニアを務めた。活動休止後は研究所に戻り、ハイブリッドエンジンの開発に携わっていた経歴を持つ。
ただし、2003年のエンジンであるRA003Eの開発は基本的に前任者、エンジン/パワートレイン開発責任者の西澤一敏を中心に行われたものだ。第3期のHondaは「レースはまず完走しなければ、勝つこともできない」という発想から、信頼性に重きを置いたエンジン開発を行ってきた。だが、それでは競争力が足りず、いつまで経っても勝てないということで、小川は2002年にVバンク角を94度に広げる試みに挑んだ。その挑戦は結果として実を結ばなかったが、後半戦になっても小川や西澤が新しい技術を惜しまずに投入したことで、さまざまなデータが収集でき、そのフィードバックが2003年のエンジン開発に大きく活かされることになった。
RA003EはVバンク角を見直し、94度から90度へと当時のF1では多くのライバルメーカーが採用していた角度と同じくした。94度という挟角はライバルメーカーよりも低重心化を図る効果はあったが、振動という欠点があり、耐久信頼性に難があったことは否めなかった。そこで構造的に2次振動をキャンセルできる90度というVバンク角のメリットをとった。Vバンク角が狭くなったぶん、エンジン本体の重心高は高くなるが、補機類などのレイアウトを見直すことでRA002E(177㎜)と同等の177.2㎜にとどめることに成功している。また同時に力を入れたのはエンジンの軽量化である。2003年のBARの車体は移籍してきたテクニカルディレクターによる初作で、新しい設計思想により大幅な軽量化を遂げていた。その車体に前年エンジンを搭載すると重量バランス面の懸念が出てくる。そこでエンジンも軽量化に尽力し、全長は対RA002E+4.5㎜の604.5㎜としながら12kgもの減量に成功した。Hondaとしては初めて100kgを切る99kgの軽量エンジンが仕上がったのである。これには、2002年後半から採用したクローズドデッキ構造によりボア間寸法を11㎜から9㎜まで短縮したことに加え、ニューマチックバルブ・リターンシステム一体式ヘッドを採用するなどの新しい製造技術が活かされた。信頼性を向上させただけでなく、パワーアップも果たしている。最高回転数が1万8800rpmとさらに上昇したのにともない、最高馬力は約900馬力と、トップチームのエンジンと戦えるポテンシャルのエンジンに仕上がった。
Hondaはサーキットで作業する現場スタッフも見直した。2002年にホンダ・レーシング・ディベロップメント(HRD)のレース&テストチーム・マネージャーに就いてレースチームに帯同していた中本修平が、2003年からエンジニアリング・ディレクターとして現場でのHondaのスタッフを統括。ジェンソン・バトンを担当するエンジン・エンジニアには第2期の1990年にゲルハルト・ベルガーを担当していた田辺豊治が、ジャック・ビルヌーブの担当には長谷川祐介という、後にHonda F1を背負うふたりがそれぞれ就いた。
こうした新体制の下で、ポイントを着実に積み重ねたのは、この年から移籍してきたバトンだった。当時自己最高位タイとなる4位2回(オーストリアGP、日本GP)を含めて7度入賞し、ポイントの稼ぎ頭となった。対照的にBARで4年目のビルヌーブは振るわず、入賞はわずかに2回。チームメイトに獲得ポイント数で負けるのはF1にデビューした1996年以来となり、最終戦を戦わずしてチームを去っている。
BAR005
