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RA001E

2001Honda BAR003
2001Jordan Honda EJ11

体制変更し前年より軽量化&高回転化を達成
実績あるジョーダンへの供給も開始する

1992年以来8年ぶりにF1参戦した2000年は、Hondaにとって当初の想定よりも厳しい結果だった。コンストラクターズ選手権で前年最下位だったBARを5位まで浮上させたものの、チャンピオンシップ争いをするフェラーリ、マクラーレンという上位集団には歯が立たず、優勝はおろか表彰台に一度も立てなかった。第2期F1活動で数々の栄光を手にしていたHondaにとっては、予想以上に厳しいF1の洗礼を受けることになった。

Hondaが活動を休止していた7年間で、F1は大きく進化していた。1992年にホンダが投入したV12エンジンの最高回転数は1万4400rpmだった。それが2000年にはどのライバルメーカーもV10ながら1万7000rpmに達するエンジンを投入していた。Hondaも2000年のRA000Eで最高回転数では匹敵できたが、ライバルたちがトラブルを起こさずにレースを走り切るなか、ホンダは信頼性で苦戦を強いられた。

参戦2年目の2001年に向けて、Hondaは体制面でふたつの大きな変更を行なった。ひとつは2000年から現場を統括していた保坂武文マネージングディレクターが勇退し、代わって西澤一俊テクニカルディレクターが現場責任者となった。その西澤を日本からバックアップするホンダの栃木研究所の体制も変更された。新たに本田技術研究所の小川徹エグゼクティブ・チーフエンジニアがレース技術開発責任者として就いた。

小川の下で開発された2001年のRA001Eは全長588㎜、Vバンク角80度というアルミブロックV10という基本骨格は前年RA000Eを踏襲。ライバルメーカーがすでに重量100kgを切るエンジンが投入されていたため、さらなる軽量化が急務となった。そこでRA000Eから補機類を含めて全パーツを徹底的に見直して贅肉を剃り落とし、RA001Eでは総重量108㎏とRA000Eに対し3.7kgの軽量化を果たしている。また、最高回転数も1万7300rpmとわずかながらも引き上げられた。

ふたつ目の変更は、エンジンの供給体制だ。2000年にBARをパートナーにF1に復帰したHondaはこの年、ジョーダンにもエンジンを供給し、2チーム体制とした。2チームともまったく同じ仕様のHonda V10を供給。ただし、ジョーダンはBARとは異なり、エキゾーストパイプ・レイアウトがフェラーリに代表されるようなハイエキゾースト(上方排気)レだったため、排気管の取りまわしをそれぞれに対応する必要があった。また、ギヤボックスもBARの6速に対して、ジョーダンは自社開発の7速を使用していたため、ギヤ比に合わせたドライバビリティの調整をそれぞれに行う必要があり、Hondaが携わるべき作業量はチーム増以上に大幅に増えることになった。

この年、BARは第5戦スペインGPでジョーダンと同じくハイエキゾーストに改良し、ジャック・ビルヌーブが3位を獲得。ホンダにとって復帰後初の表彰台を獲得した。ビルヌーブは第12戦ドイツGPでも3位となったが、チームメイトのオリビエ・パニスとともに、マシンの信頼性不足に悩まされることが多く、コンストラクターズ選手権では前年の20点に届かず17点にとどまりランキング6位に終わった。一方ジョーダンも信頼面では厳しいシーズンとなったが、BARの6回を上まわる9度の入賞を果たし、コンストラクターズ・ポイントでBARを2点抑えてランキング5位を獲得している。

Honda BAR003

Jordan Honda EJ11