POWERED by HONDA
RA000E

17000rpm以上の高回転高出力に加え
軽量コンパクト化を意識したV10
1992年いっぱいで第2期F1活動を終了したHondaは、その年からF1に参戦していた無限に協力し、活動終了後もエンジン技術を継承していた。1993年に無限がフットワークに供給した無限Honda MF351Hは、1991年にHondaがティレルに供給していた3.5ℓV型10気筒自然吸気エンジンのRA101Eをベースに、無限とHondaが共同開発したものだった。その後、無限Hondaのエンジンは1994年シーズン途中に投入された新設計のMF351HDへと進化し、レギュレーションによって排気量が3.5ℓから3.0ℓに変更されたことにともないMF301Hへと進化していった。
Hondaは1998年にシャシー製造を含めたフルワークスによるF1参戦を発表し、イギリス・ブラックネルにホンダ・レーシング・ディベロップメント (HRD) を設立。参戦準備に向けてテストマシンであるRA099を制作した。この時、RA099に搭載されていたのは無限Honda MF301HCであった。Hondaは同年12月にRA099のシェイクダウンを行い、翌年からテストドライバーにヨス・フェルスタッペンを起用し本格的なテストを開始した。しかし、1999年4月にスペイン・バルセロナでのテスト中、チームを指揮していたハーベイ・ポスルズウェイトが心筋梗塞で倒れ、急逝。リーダーを失ったことでHondaのF1復帰構想は変更を余儀なくされ、フルワークスによる参戦を断念し、ブリティッシュ・アメリカン・レーシング(BAR)と組んでエンジンサプライヤーとして第3期F1活動を行うことを決定した。
1980年代から90年代の第2期活動時のF1エンジンは、馬力至上主義だった。しかし、F1はその後エアロダイナミクス技術が向上し、車体の運動性能の重要度が格段に上がった。エンジンとして当然、可能な限り馬力を追求するものの、車体とのマッチング性能がより高い次元で求められる時代となっていた。そこでHondaはRA000E開発に際し、コーナリング中の運動性能を上げるために低重心化を図り、さらに前方重心化にも取り組んだ。エンジンはミッドシップされるため、車両全体の重量配分はリヤ寄りとなる。Hondaは車体セッティングの自由度を上げるため、エンジンの全長を短くして重心をできるだけ前方寄りとするとともに、補器類などのレイアウトを見直し前方重心化を実現した。Honda開発陣は無限Hondaのエンジンを参考にしつつ、2000年のF1復帰に際して投入するRA000Eをゼロから開発していった。エンジン骨格は同じ3ℓV10ながらVバンク角は無限Hondaが72度であるのに対して、RA000Eは80度に広げている。これはVバンク角を広げることで低重心化を図ったものだった。またエンジン全長も620㎜から588㎜まで小型化。ボア径も94.4㎜から95.0㎜と若干のビッグボア化が施された(ストロークは42.24㎜)。さらにエンジン重量を無限Hondaの122㎏から10kg以上軽量化した111.8㎏を達成し、全体のダウンサイジングによる車体の運動性能向上に大きく貢献した。
これらHondaの技術により開発された新エンジンRA000Eにより、前年無得点に終わっていたBARは2000年の開幕戦オーストラリアGPでジャック・ビルヌーブが4位、リカルド・ゾンタが6位とダブル入賞。また第16戦日本GPを目標に第14戦イタリアGPで投入された「鈴鹿スペシャル」は予選4位を獲得。シーズンを通して目標だった表彰台獲得は達せなかったが、ビルヌーブが4位を合計4回獲得し、BARはコンストラクターズ・ランキングを前年の最下位から5位まで上昇した。
BAR002
