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RA101E-SN

1991Tyrrell Honda 020

V12と並行して熟成が進められたHonda V10

1991年のF1グランプリにHondaはティレル・チームへ3.5ℓV型10気筒エンジン、RA101Eを供給した。このシーズン、Hondaはマクラーレン・チームへV型12気筒のRA121Eを供給してチャンピオンを獲得しており、V10型とV12型の異形式のエンジンをそれぞれ別のチームへ供給するという二層の活動を展開した。

HondaはF1において自然吸気のマルチシリンダー・エンジンの時代が10年以上続くと予測。1989年から2年連続でタイトル獲得の原動力となったV10エンジンで得た知見をスタンダードなレーシングエンジン技術として普及させ、モータースポーツ全体の発展にメーカーとして貢献することがひとつの目的だった。

V10がスタンダードなレーシングエンジンになりうると判断したのは、エンジンサイズが車体パッケージに大きく影響しないなど技術的汎用性が高く、フォーミュラカーのみならず、スポーツカーレースでも活躍できる可能性があったからである。当時はFIAが3.5ℓ自然吸気エンジンをF1以外のカテゴリーでも統一させる構想を打ち出していた背景もあった。

RA101Eの研究開発はHondaの技術者たちが主体となって行われたが、技術的な普及を目的としていたところから、Hondaと協力関係にあった日本のレーシング・エンジニアリング専門会社である株式会社無限のエンジニア陣も研究開発チームに参加している。またHondaと1960年代から協力関係にあったジョン・ジャッド率いるイギリスのレーシング・エンジンビルダーであるエンジンディべロップメント社とも技術提携を行った。

こうしてRA101Eは、1990年のF1チャンピオン・エンジンであるV型10気筒のRA100Eをベースにして開発された。主要スペックはRA100Eと同様で、排気量3498cc、水冷72度V型10気筒DOHC4バルブとなる。

RA101Eが目指したパフォーマンス性能は、RA100Eが発揮していた最高出力680馬力以上/12800rpmを低下させずに低中速のパワーを膨らませ、パワーバンドの広いドライバビリティを得ることだった。そのために燃焼室表面積と燃焼室容量の比率を見直して燃焼効率を向上させ、エキゾーストマニホールドの管長と形状を最適化したものとなった。

その他にも、V型10気筒のレーシングエンジンを長く研究開発してきた経験から、ピストン、バルブスプリング、バルブシート、オイル消費量などの見直しを行なっている。さらに各グランプリコースの固有の走行特性を再調査し、耐久性を高める設定を施した。

その結果、RA101EはそれまでのHonda F1エンジンが1レース終えるごとに行なっていたリビルト作業を、性能の劣化なしにほぼ2倍のインターバルに延長することを可能にした。この耐久性の著しい向上は、普及型のレーシングエンジン開発を目的とするRA101Eならではの特性となった。

その技術は無限、そして他カテゴリーにも受け継がれる

もうひとつ、RA101Eの大きな特徴として当時の日本人ドライバーとしてF1に参戦していた中嶋悟への配慮が挙げられる。1990年からティレルに移籍していた中嶋のために用意されたRA101Eは、それまでアイルトン・セナの好みであったバタフライ式スロットルバルブをバタフライ式からスライド式に見直すなど、中嶋のドライビングスタイルに合わせるチューニングが行われた。またコードナンバーも彼のイニシャルであるSNが追加され、RA101E-SNとされている。

1991年シーズンは、ティレル・チームの車体やピレリ・タイヤとのマッチングが噛み合わず、RA101Eは2位入賞が最高の戦歴であり、優勝することはできなかった。しかしながら、RA101Eの技術は、翌1992年から始まったHondaと無限の共同開発プロジェクトによるV型10気筒の無限Honda 351へと継承され、無限によるF1エンジン供給は2000年まで継続された。また、RA101Eの技術の流れをくむジャッドCV・V10エンジンもF1グランプリおよびスポーツカーレースで活躍することになる。

RA101Eは、1986年から1991年まで6年間連続でF1グランプリのチャンピオン・エンジンの座を独占してきたHondaが、チャンピオンとしての責務を果たすために四輪モータースポーツの世界へ送り出した「置き土産」とも言えるエンジンだったのである。

Tyrrell Honda 020