POWERED by HONDA
RA164E

熾烈なハイパワー競争のなか、第2期F1初優勝
Hondaが第2期F1活動の2年目にあたる1984年シーズンに実戦投入したエンジンがRA164Eである。このエンジンは、Hondaが14年ぶりにF1に復帰した前年83年シーズンに投入したRA163Eと基本諸元は同じで、バンク角80度のV6ツインターボ、ボア×ストローク90×39.2㎜の排気量1496ccを踏襲している。
基本諸元を変更しなかったのは、当時のHondaの技術開発の方針に変更がなかったためでもある。新型エンジンを設計開発した場合は、そのエンジンが期待どおりのパフォーマンスを発揮するまで安易に諸元変更などせずに、徹底的に研究開発を続行することがHonda技術開発の方針であった。それにより、本物の技術を身につけ、進化の基礎ができるという考え方である。
初期トラブルや熱対策などに追われた83年型RA163Eのエンジンパフォーマンス限界はまだ見極められていない状況であったが、まずは信頼性確保を先決にオフシーズン徹底的な対策がなされ、RA164Eは改良されて84年シーズンに挑んだ。
この年からHondaエンジンはトップチームであるウイリアムズにのみ供給されることになり、実績あるシャシーのもとRA164Eは本来の性能を発揮し始めた。開幕戦ブラジルGPは2位、その後も前半戦は第6戦モナコGPの4位を始めとする入賞実績を挙げていった。
しかし優勝を狙えるチームでの戦いのなかでエンジン出力を上げていくと、熱によるトラブルが再び現れてきた。また空力を意識したウイリアムズFW09はフルカウル仕様で、前年エンジンを剥き出しにして走っていたスピリットとは熱負荷が段違いだった。トラブルはとりわけピストン損傷が大問題で、熾烈なパワー競争でブースト圧を高めていくにつれ、シリンダー内部では10トンを超える燃焼圧力がかかるようになり、ピストンが崩れるように変形してしまう現象があらわれてしまった。その対策として熱負荷を減らすために応急処置をほどこし、ピストンスカートの厚みを2倍にするなどの構造的な変更が施された。
F1初優勝とともに、現状の限界も見えた
不断の技術的努力が身を結び、1984年第9戦アメリカGP(ダラス)でウイリアムズFW09・Hondaは83年世界王者ケケ・ロズベルグの手腕により初優勝を成し遂げた。HondaがF1グランプリに復帰して初の記念すべき優勝であったが、同時にこの勝利はRA164Eの限界を見極める結果ともなった。優秀なドライバーと強力なチームと幸運なレース展開に恵まれれば優勝することは可能だが、予選でポールポジションを獲り、ポール・トゥ・フィニッシュを自力で果たせる圧倒的なパフォーマンスを持続させるには、RA164Eの仕様では難しいことが明らかになったのである。
事実、その後最終戦までの7レースのほとんどがエンジン・トラブルのために入賞すらできない厳しい結果となった。熱負荷のダメージはピストンの強度アップだけでは克服できず、シリンダーブロックまでに及んでいた。また燃費性能の開発にまで手がまわらず、臨機応変なレース戦術に対応できなかったことが大きな課題となった。ちなみにこの84年シーズンから、ターボエンジンの過度なパワー競争を抑制するために、無制限であった決勝レースでの燃料搭載量が220ℓに制限された。燃費の悪いエンジンは完走すら困難になる燃料搭載量制限であり、より希薄燃料での効率的な燃焼が求められた。
F1グランプリでチャンピオンを獲得できるエンジンになるためには、根本的な設計変更をして止揚を成し遂げるしかないという結論をRA164Eはもたらしたとも言えるものだった。
Williams Honda FW09
