POWERED by HONDA
RA163E

F2の成功を基にF1進出。直面した別次元の戦い
1983年、Hondaは第2期F1活動を開始し、その最初に実戦投入したエンジンがRA163Eである。
第2期F1活動を計画したHondaは、F1参戦を10年以上の長期にわたって休止しているという現実を受け止め、いきなりF1に参戦するのではなく、当時F1直下のカテゴリーであったヨーロッパF2シリーズへの参戦から復帰する戦略を立てた。この戦略には、初心に還り準備段階を経てF1グランプリに復帰する意気込みを内外に表明する意図もあった。周到な準備の必要性は、この第2期F1活動でHondaは何がなんでも世界チャンピオンを獲得する強い決意の表れでもあった。
この戦略にしたがってHondaは1978年からF2用の先行試作エンジンを開発した。この2ℓ自然吸気V6エンジンRA260Eは、80年にロン・トーラナック率いるラルトに独占供給され、ヨーロッパF2選手権に出場。翌81年にRA261Eと改良され、同選手権のチャンピオンに輝いた。この82年型F2エンジンRA262EをベースにHonda第2期F1用のRA163Eを開発する。RA262Eはバンク角80度のボア×ストローク90×52.3㎜であったが、これをほぼそのままサイズダウンし、2基のターボチャージャーを装着。ボア×ストローク90×39.2㎜と極端なショートストロークを採用し、当時のF1ターボエンジン規定に合致する排気量1496ccとした。
そして83年4月にイギリス・ブランズハッチで開催されたF1ノンタイトル戦「レース・オブ・チャンピオンズ」で、Hondaは新鋭スピリットにRA163Eを搭載してデビューを果たす。しかし、初の実戦では4周目にラジエーター破損によるオーバーヒートを起こしリタイア。7月の公式デビュー戦、第9戦イギリスGPでも、スタート後わずか5周で燃料ポンプ駆動ベルトが折損してリタイアを喫している。
初の電子制御燃料噴射システムを搭載
RA163Eの開発当初、当時のフォードDFVをはじめとしたライバルエンジンたちを凌駕する最高出力600馬力以上を目標とした。この目標は早々に達成したが、いざ実戦に投入すると予想通り多種多様の初期トラブルが発生。公式デビュー戦で起こった燃料ポンプの駆動ベルト折損など想定内のトラブルは即時に対処できたが、その後も熱負荷によるノッキングやガスケット抜け、ピストンとスリーブの焼きつきや、ピストンそのもののクラックや溶損、ターボチャージャーやウエイストゲート、エキゾーストマニホールドの排気系トラブルなど、F1レースにおいて限界を超えて使用された高負荷に起因するトラブルがほとんどで、その対策に追われることとなった。
一方、なかなか結果を示すことはできなかったが、RA163EはF1エンジンとして初めて本格的な電子制御燃料噴射システムを搭載する進歩的なエンジンであり、その電子制御技術の大いなる可能性を示した点で注目された。このエンジン電子制御技術は、1.5ℓターボエンジン時代のF1グランプリにおいて、その後にHondaの絶対的な得意技になるとともに、F1エンジン全体の技術進化をリードしていく画期的なものだった。
この第2期F1活動初年度の1983年シーズンで、スピリット201/201Cに搭載されたRA163Eは、ノンタイトル戦をふくめ7レースを戦い最高位7位。またシャシー技術も未熟だったこともあり、水面下でHondaはチャンピオンチームであるウイリアムズと提携話を進め、この年の最終戦南アフリカGPでウイリアムズFW09にエンジン搭載チームを変更。エンジンも信頼性対策を施したRA164Eを投入し、いきなり5位に入賞する。この飛躍で、次シーズンとなる84年への展望を見い出すことができた。
Spirit Honda 201C
