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RA302E

1968Honda RA302

RA302EはHondaが、1968年のF1グランプリ・ワールドチャンピオンシップへ実戦投入した、空冷V型8気筒3ℓの自然吸気レーシングエンジンである。このR A302Eは、3ℓという大排気量の空冷エンジンという挑戦的かつ革新的なエンジンで、唯一無二の個性をもつものとして語り継がれている。

空冷エンジンは、空気の流れでエンジンを冷却するために、冷却液を用いてエンジン内部に循環させるシステムを配する水冷エンジンよりもシンプルな構造で、軽量のエンジンが設計可能という大きなメリットがある。空冷エンジンは、大きく2つの種類にわけられる。ひとつは走行風だけで冷却する自然空冷エンジンであり、もうひとつは送風機を駆動し空気の流れをおこして冷却する強制空冷エンジンで、RA302Eは自然空冷を採用したもっともシンプルな空冷エンジンだった。

自然空冷エンジンといえば二輪車の空冷エンジンがイメージされるが、この当時、1960年代はHondaが自然空冷のレーシングエンジンで、二輪グランプリの全排気量クラスを制覇していた全盛時代だった。ただ、その時代の二輪レーシングエンジンは、50ccから500ccまでの小排気量の自然空冷エンジンである。それ以上の大排気量エンジンを空冷にするのであれば、送風ファンを駆動する強制空冷にしなければ実現不可能と考えられていた。

F1グランプリにおいては1.5ℓエンジン時代の1962年シーズンに、強制空冷の水平対向8気筒エンジンが優勝するなど活躍した歴史はあった。その後は2ℓから5.4ℓ過給器付きまでの空冷エンジンを搭載したレーシングスポーツカーが次々と登場し、それぞれ世界チャンピオンを獲得しているが、それらはすべて強制空冷エンジンであった。そしてそれらの強制空冷のレーシングエンジンは、エンジン潤滑オイルを冷却するオイルクーラーを備えて、強制空冷を油冷で補助する冷却方式を採用していた。

そのような空冷エンジンの時代背景のなかで、Hondaは純粋な自然空冷エンジンとしてRA302Eの研究開発を開始した。強制空冷でもなく、オイルクーラーも装備しない、大排気量3ℓの自然空冷レーシングエンジンの開発である。

その挑戦的な研究開発計画を立案し実行したのは、Honda創業社長にして技術開発と製造部門の最高責任者であった本田宗一郎だった。本田宗一郎はレーシングエンジンのみならず、Hondaが量産市販する二輪車、四輪車、汎用製品のすべてを、自然空冷エンジン搭載機にするという強烈な理想主義を掲げていた。

1968年6月29日、Hondaは羽田空港において最新鋭Honda F1であるRA302を記者発表し、ただちにイギリスのHondaF1チームへ向けて空輸した。そのRA302に搭載されたエンジンがRA302Eで、その仕様は自然空冷120度V型8気筒DOHC4バルブで、ボア×ストローク:88mm×61.4mmの2987.5cc。最高出力430馬力以上/11500rpmと発表されている。のちにプレーンベアリング軸受クランクシャフトやチタン金属コンロッドなどの仕様を追加発表し、エンジンの分解写真をも公開している。

イギリスのシルバーストーン・サーキットで本格的な走行を開始したRA302は、現地でオイルクーラーを装着していたが、コースイン直後は最新鋭マシンらしい俊足を発揮した。だが車体のセッティングをする間もなく、RA302Eはすぐさまオーバーヒート状態におちいり連続走行が不可能となった。

7月7日のフランスGPでデビューしたRA302は、予選を通過したが、決勝レース序盤で事故をおこして焼失するアクシデントに見舞われた。

Hondaは急遽RA302の2号機を製作して、9月8日のイタリアGPにエントリーし、9月6日の公式練習に出走したが「オーバーヒートによる出力低下が著しく、実戦参加は尚早」と判断し、予選および決勝レースへの出走を見送った。

Hondaはこの1968年シーズン終了後に「F1活動の一時休止」を発表した。イタリアG P以降、RA302Eのエンジン稼働およびRA302の走行は、公には現れていない。

Honda RA302