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RA301E

1968Honda RA301

第1期F1活動の集大成となるV12エンジン

3ℓF1規定3年目の1968年にHondaが実戦投入したのがRA301Eである。水冷90度V型12気筒DOHC4バルブで、排気量は2993cc。ボア×ストロークは78×52.2㎜とRA273Eからの基本構成を踏襲した。クランクシャフトはその良否を判断すべく、前年同様ローラーベアリング軸受の組み立て式を継続。基本仕様を多く引き継いだRA301Eは「RA273E改」とも呼べるエンジンだった。

ただしその外観は大きく異なる。RA273EはVバンクの内側排気で外側吸気だったが、吸排気効率の最適化研究した結果によってRA301Eは内側吸気で外側排気へと変更された。

またシリンダーヘッドまわりは大幅な設計変更が行われ、バルブ系メカニズムには新技術が採用された。RA273Eまでバルブスプリングはオーソドックスなコイルスプリングだったが、RA301Eではトーションバースプリングへと変更。当時の技術レベルでは、高回転域においても確実なバルブ開閉を実現するのはコイルスプリングよりもトーションバースプリングの方が適していた。この技術をHondaは当時F2用の1ℓ直4エンジンで一歩先に投入。11連勝という快挙を遂げた実績を挙げており、絶対的な自信を持っていた。

こうしてバージョンアップされたRA301Eは、最高出力を440馬力以上/11500rpmと発表している。これは、RA273Eの初登場時から40馬力のパワーアップ実現を示した数値だった。

このRA301Eを、小型軽量に新設計された車体となるRA301に搭載し、Honda F1チームは1968年シーズンに向けてワールドチャンピオン獲得をシーズンの現実的な目標とした。

Hondaにとって機は熟していた。F1グランプリ初参戦から5年目となり、エンジンと車体の戦闘力は着実に進化。2回の優勝などの実績も踏まえてF1界でのプレゼンスを認められた時期でもあった。F1タイトル獲得という大きな目標が現実味を帯びていたことは内外ともに明らかだった。

圧倒的なパワーと速さ。だが運に見放される

RA301Eもまた、フォード・コスワースV8やフェラーリV12との比較において、ナンバーワンの高回転高出力エンジンであり続けた。1968年シーズンにおいても、高速コースの第9戦イタリアGPではポールポジションを獲得するほどのパワーと速さをみせつけた。

しかしRA301は一度も勝利できなかった。時の運に恵まれないレースが多く、マシンの実力を発揮できない戦いが続いた。実にシーズンフル参戦したジョン・サーティースは12戦中完走4回。結果的にRA301Eは、その高いポテンシャルを成績に反映できずに終わったレーシングエンジンとなった。

1968年のHonda F1チームは14ポイントの獲得にとどまり、コンストラクターズ・ランキングは6位。ドライバーズ・ランキングではサーティースが7位と、どちらも前年より順位を落とした。Hondaにとって完敗のシーズンであった。

そしてシーズンが終了した11月、Hondaはイギリス・ロンドンにおいて「F1活動の一時休止」を発表した。1963年に四輪の生産販売を開始したばかりのHondaは、当時社会問題となっていた大気汚染に対応する低公害型エンジンの開発など四輪メーカーとして成長しなければならなかった時期であり、F1活動を継続することが難しいと判断したからである。

しかしながらF1第1期活動を終えるにあたってもHondaは、絶対に再開するという強い意志と、いつの日かF1グランプリのワールドチャンピオンになるという志を強く持ち、それは後に受け継がれていくこととなる。

Honda RA301