パワートレインユニット
製造部の歩み

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パワートレインユニット製造部
の取り組みについて

パワートレインユニット製造部は時代の変化に柔軟に対応しながら、進化してきました。

主な出来事

分工場時代

1970年
Honda初の衛星工場構想に基づき、真岡市にエンジンバルブ工場が誕生。
和光工場よりの第1陣5名と、地元採用を含めて35名でのスタートであった。

並立時代

1976年
パーツ工場がバルブ工場と同じ工場団地内に誕生。
1979年
Honda独自開発等速ジョイントの生産開始。

真岡工場時代

1980年
パーツ工場がバルブ工場を統合、真岡工場として体制を確立。
1990年
バギーエンジン生産稼働。
1984年
世界初クランク鍛造全自動化ライン導入。

独立時代

1986年
アルミホイール日米同時立ち上げ稼働。
1989年
コンロッド機械加工ライン稼働。
1990年
NSX専用の栃木工場が誕生。

栃木製作所時代

1992年
真岡工場、高根沢工場、芳賀工場が統合し、
栃木製作所が誕生した。
1993年
芳賀工場稼働開始。
1997年
高根沢工場電気自動車国内初の量産開始。
2002年
芳賀工場、第一用地が真岡工場に集約。
2004年
高根沢工場を鈴鹿製作所へ移管。

世界に誇る4500tプレスライン

2005年3月に完成した4500tプレスラインは、Hondaの熱間鍛造技術のすべてを注ぎ込んだ世界に誇れる鍛造ラインです。

Point1:多様な部品の生産が可能な高速マルチライン
クランクシャフトやミッションギア、ハイポイドギアなど多様な鍛造部品を1台のプレスで打ち分け、
しかも、業界トップクラスのサイクルタイムを達成しました。
Point2:高速自動段取り
5000tプレスにおいて3人で40分かけて段取りしていましたが、
4500tは1人が10分で作業完了となり、生産効率が大幅にアップしました。
Point3:環境に配慮した鍛造ライン
クランクシャフト鍛造では、従来の「黒鉛」を原料にした離型剤に替わり、
再利用可能な「白色」離型剤を実用化し、廃液ゼロ化ときれいな設備を実現しました。
また、熱間鍛造特有の「酸化スケール」飛散対策として、プレス周囲を「桶」で囲い、
地下ピット内へスケールを集めコンベアーで建屋の外まで運び出す「スケール回収装置」を実用化しています。
  • 離型剤:鍛造プレス機において、金型からワーク(製品)を離す際に使用する液剤のこと。潤滑と冷却の役割を果たす。
  • 酸化スケール:材料を加熱する段階で表面に出来る薄い膜のこと。