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工学者レオナルド・ダ・ヴィンチができるまで

要旨

「私が学者ではないことから、私を無学の人と貶すことができるとおこがましくも考える者がいるのはわかっている。なんと愚かな!」―『アトランティコ手稿』よりこれはレオナルド・ダ・ヴィンチが手稿に記した文だが、文中にある「無学の人(omo sanza lettere、現代イタリア語ではuomo senza lettere)」は、当時の知識階級にとっての共通語にあたるラテン語を彼が解さなかったことを指している。ダンテやペトラルカのように、あえて俗語(イタリア語)でも詩や文を書いた者は多いが、まともな文化人とみなされるためにはやはりラテン語で執筆する必要があった。しかしこのラテン語にレオナルドは生涯にわたって苦しめられ、引用したやや攻撃的な文も、彼のコンプレックスを露呈している。レオナルドは公証人という当時の知識階級の家に生まれたが、しかし両親がおそらく身分違いのために結婚しなかったせいで婚外子(私生児)となる。なんとも不条理なことに当時の公証人組合は私生児が継ぐことを認めていなかったため、彼は幼いころから家業を継がないことが決定していた。そうなると父親もドライなもので、ラテン語や算盤など当時の富裕層の子息がうける初等教育の機会をレオナルドは与えられることなく育つ。レオナルドの手稿には所蔵している本の覚え書きが三度でてくるが、最初のトリヴルツィオ手稿では5冊の書名が記載されている。「ドナート、石について、プリニウス、算術書、モルガンテ(donato, lapidario, plinjo, abacho, morgante)」。このうち、最初の「ドナート」はドナートゥスによるラテン語文法書を指す。大プリニウスの『博物誌』やルイジ・プルチの叙事詩『大モルガンテ』のなかにまじって、同文法書とアバコ(算盤の一種)の算術書があるのは興味深い。おそらく三十代の半ばになっているレオナルドが、必要にかられて学習したものと思われる。このことが示しているように、「万能の天才」というレッテルから受ける、なんでも苦も無くできてしまうようなイメージは彼の実態に即していない。本稿では、そのようなスタートラインから、いかにして工学者としてのレオナルドができあがったのかを見てみたい。

著者(所属)

掲載情報

Honda R&D Technical Review Vol.35 収録 (1 - 7)

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引用情報

池上 英洋.
工学者レオナルド・ダ・ヴィンチができるまで
Honda R&D Technical Review Vol.35 pp.(1 - 7)2023.
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