走り続けられる稀有なレーシングエンジン
スプリントレースで使うエンジンは短時間の走行に耐えられればいい。また事前のサーキットテストを含めた豊富なデータがあるため、レースの展開はある程度理詰めで考えられる。他方、まったく読めないのがパリ~ダカールラリーだ。砂漠などの目まぐるしく変わる環境下において不測の事態は日常茶飯事。それでも壊れず走り続けられることが、NXR750に課せられた命題だった。
構想段階では4気筒+ターボも検討されたパリダカ用エンジン
一般的にレーシングマシンの性能を上げる=エンジンの馬力を出すためには、いかに回転を上げられるかが重要になってくる。ところがNXR750(以下「NXR」)のエンジンはまったく異なったテーマで開発された。扱いやすい特性にすることでライダーに優しく、かつ壊れにくいタフさがある――。開発初期の構想段階では、単気筒、V型2気筒、水平対抗2気筒、4気筒+ターボと、4種類のエンジン形式が検討された。
単気筒はそれまでのパリ〜ダカールラリー(以下「パリダカ」)で実績があり、得られた知見でさらに軽量・低燃費に仕上げられる。V型2気筒は当時市販されていたXLV750R(以下「XLV」)の空冷V型2気筒(ベースは1982年発売のNV750C)を用いれば、開発期間を短縮できる。水平対抗2気筒は、その形式を採用するBMWがパリダカで3勝していることを考えれば、研究対象にする価値は十分にある。4気筒+ターボは小排気量でライバル同等の出力を確保できる……というのが検討の動機だった。
実はこれ以外に、あのNR500で使われた楕円ピストンの可能性も検討されている。超ショートストロークで出力を確保しながら、ピストンスピードと振動を抑えられると考えたからだ。
果たして1985年の現地視察を経て開発指示書に記載されたのは、「空冷V型2気筒」というエンジン形式だった。理由は前述のとおりXLVのエンジンを使うことで開発する時間を短縮でき、また同量産車のセールスプロモーションにも寄与できるからだ。さらに、このエンジンをベースに開発されたダートトラック用のレーシングマシン、RS750D(以下「750D」)が、当時アメリカで2度のチャンピオンになるなど大成功を収めていたのだ。
90°のクランク位相でより扱いやすいものに
「空冷V型2気筒」と記されたNXRの開発指示書にはこうも書かれていた。「最高速は180km/h以上で、3,000~8,000回転はフラットなトルク特性」。これを実現するために、750Dの知見は大いに活きた。実際、NXRが目標としていた最高出力は82.6ps/8,500rpmで最大トルク7.56kgm/7,500rpm。一方、750Dの最高出力は89.3ps/8,500rpm、最大トルク8.16kgm/6,000rpmで、スペック的に近しいものだったことが分かる。
750Dの開発時にはクランク位相による爆発タイミングの違いとトラクション性の関係を実走データにもとづいて分析。この研究結果により、NXRでは同じクランク位相と重いフライホイールの組み合わせで、振動が少なく、扱いやすく、トラクション性に優れるエンジン特性が実現できると予想できたのである。
しかもXLVや750Dと同じシリンダー挟み角45°のV型2気筒なら一次振動を抑制できる。つまり、クランク位相は180°−45°×2=90°という計算が立ち、90°位相で一次振動をキャンセルできる。これはライダーの疲労低減を考えるうえで非常に大きなメリットだった。同時に振動を抑制することは車体に対する応力負担も軽減できるため、その分、軽量化も図れることになった。
また、V型2気筒はエンジン前後長と幅の両面においてサイズを抑えられるので、エンジン周りの車体レイアウトのコンパクト化が行える。巨大な燃料タンクを搭載するパリダカ用のマシンにとっては大きな利点であり、ロールやヨー方向のモーメントも並列2気筒に比べて相対的に小さくなるため、運動性においても有利であった。
開発指示書にあった「空冷」を覆し水冷化
NXRのエンジンは750Dのそれをベースにしながらも、パリダカを戦ううえで必要な改良・変更を加えながら開発が進められた。まずは排気量を750cc→780ccに拡大。たかが30cc、されど30cc。エンジンに余裕を持たせ、回さずともパワーが出せる特性を狙った。
次いで大きな変更は水冷化だった。ところが、ここでちょっとした騒動が起こった。空冷のV型エンジンでは、構造上どうしても後ろのシリンダーの冷却に難がある。その対策のための水冷化は必然と思われたが、HRC内には空冷を推す意見も少なくなかった。理由は明確。砂漠に水はない、というものだった。
他方、パリダカに参戦している四輪のほとんどは水冷エンジンである。整備で必要なオイル類同様、冷却水も運べば特段の問題にはならないというのが水冷派の論拠だった。そこで、もし走行中にふたつに振り分けられたラジエターのうち、ひとつが破損しても水路をバイパスさせて無傷の片方だけで走行できる機構も考案。こうして結果的には水冷となるのだが、この決定が下されるにはパリダカ視察後1カ月の時間を要した。
このように、F1や量産エンジン開発でも巻き起こった空冷vs水冷論争はアスファルトから砂漠に舞台を変えても巻き起こっていたのであった。
パリダカ参戦初年度から最適解を導き出していたエンジンの仕様
こうして出来上がったエンジンの基本的な仕様は以下のとおり。エンジン重量は60kg以下。前後のシリンダーは同一部品とし、現場での互換性を確保するための合理的な設計となっている。
エンジン形式
水冷45°V型2気筒。エンジンの前後長を抑制でき、その幅はほぼ1気筒分というコンパクトさと同時に、位相角によって一次振動を打ち消すことができる点が大きな特徴。
排気量
ボアストローク83mm×72mmの2気筒で、排気量は779.1cc。これはNXRが参戦した4年のあいだ、変更することはなかった。開発時の目標とした最高速180km/hを8,000rpm付近で実現するためのもの。ただ、この最高速については、のちに160km/hで十分と判断された。シリンダー内壁にはNi-SiCメッキ(いわゆるニカジルメッキと呼ばれるもの。当時Hondaでの呼び名はNSメッキ)を施し、耐久性を確保した。
動弁系
OHC4バルブ。バルブ径はIN=30.5mm、EX=27mm。バルブタイミングはIN=BTCD45°-BBDC50°、EX=BBDC80°
-BTCD35°と、オーバーラップは広め。リフト量は標準で、ともに7.0mm前後(これもまた4年間不変である)。
圧縮比
1986年モデルは市販車並みの8.0:1。現地で入手できるガソリンは品質が極めて不安定なため、エンジントラブルを懸念して圧縮比は低めの設定とした。1987年モデルになると8.5:1へと引き上げられているが、最後の2年間は8.1:1と、ほぼ初年度モデルと変わらない値に変更されている。前述の目標最高速の抑制もあって、もとに戻された形だ。
最高出力
目標値は82.6ps/8,500rpmであったが、現地適合テスト時の高出力仕様で74.3ps/7,500rpm、1986年の実戦仕様で69.3ps/7,000rpmと、出力を明確に抑制することでエンジンの耐久性を担保した。
ほぼ1年という短い開発期間ではあったが、4年間の参戦を通じて設計や構造によるトラブルは起こしてないNXRのエンジン。もちろん、1988年までの3年間は何かしらのトラブルが発生しているが、そのどれもが外的要因によるもので、エンジンそのものは最初から非常に高いポテンシャルを実現していたと言っていいだろう。未知の分野にもかかわらず、いち早く最適解を導き出せたその要因は、XLV750Rという素性のいいベースエンジンがあったのと、レースで実績を積んだRS750Dという知見があったからにほかならない。(つづく)
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