経営 2025.08.06

インド市場開拓史―Honda世界バイク累計生産5億台達成記念

インド市場開拓史―Honda世界バイク累計生産5億台達成記念

 POINTこの記事でわかること

  • Hondaはインドの地域特性に合わせたさまざまな商品・販売戦略でインド二輪(バイク)市場を開拓してきた
  • 2010年に現地コングロマリットとの提携を解消したことでシェアが大きく落ち込んだが、地道な営業・サービス活動を行いながら、成長してきた
  • インド市場の経済成長に合わせて需要が顕在化した中・大型バイクは、実用性だけでなく、趣味性や体験価値も提供

2025年5月、Hondaのバイク世界生産台数が、累計5億台を達成しました。この節目を記念して、世界最大のバイク市場であるインドに拠点を構える生産・販売会社、Honda Motorcycle & Scooter India(以下、HMSI)では、5月22日に記念式典が開催されました。

また、2025年はHMSI設立から25周年にあたり、HMSI単体での累計バイク生産台数が7,000万台を突破しました。

Hondaがインドのバイク市場へ初めて進出したのは、今からさかのぼること1980年代。今回は、現地で営業・サービスに携わってきた駐在経験者の声を通じて、Hondaによるインド市場開拓の歴史を振り返ります。

5地域でまったく異なるインドの文化

――インドってどんな国?

日本の約8倍となる328.7万km²の国土と13億人以上と言われる人口を有し、8つ以上の宗教と22以上の言語が共存する広大な国、インド。人口構成比では、30歳以下の若年層が半数以上を占めています。地域ごとに人種も食事も商習慣もまるで異なり、その多様性は「よく1つの国としてまとまっているな、と感じる」と、駐在経験者が感想を漏らすほど。

東インド(+北東インド)、西インド、南インド、北インド、そして内陸に位置する中央インドの5地域に大別され、それぞれの地域は大きく異なる特色を持っています。例えば、南西部はIT企業も多く新しい価値観を受け入れる土壌があり、スクータータイプのバイクの販売が好調です。一方、北東部や中部は古くからのインドの文化慣習が色濃く残るトラディショナルな地域で、人々の日常の足として活躍するのは主に100~125㏄の非スクータータイプの小型バイク(以降、モーターサイクル)です。

HMSIを代表するモデルである、足を揃えて乗るスクータータイプのActiva110(左)と「ルーラル開拓(後述)」で重要な役割を果たす、跨って乗るモーターサイクルタイプのShine100 DX(右) HMSIを代表するモデルである、足を揃えて乗るスクータータイプのActiva110(左)と「ルーラル開拓(後述)」で重要な役割を果たす、跨って乗るモーターサイクルタイプのShine100 DX(右)

Hondaではこれら5つの地域(リージョン)にそれぞれ事務所を構えて駐在員を派遣し、現地アソシエイトと一丸となって地域特性に合わせた販売戦略を立て、実行してきました。

※世界中のHondaで働く従業員一人ひとりを、Hondaではアソシエイト(仲間)と呼んでいます。

――インド市場の特性は?

10月中旬から11月中旬の間、5日にわたってインドで例年開催される、ヒンドゥー教の光の祭典「ディワリ」。このディワリ付近が1年のうちの最大商戦期です。また、ディワリの初日を「ダンテラス」と呼び、金銀鉄などを持ち帰ると縁起がいいとされています。日用使いの台所用品からバイク・クルマといった大きな買い物まで、消費需要が爆発的に伸びる日で、ダンテラスには普段の日の約10倍近くバイクが売れることも。インドのどの地域も概ね同様の傾向にあり、インド市場の販売戦略はディワリを中心に組み立てられていくのです。

この繁忙期を乗り切るためには事前に商品を仕入れ、それを保管する倉庫スペースの確保が必要です。時には牛小屋を臨時のバイク倉庫として借り上げるといった対応も求められ、物流やバイクの納車前準備にも通常以上の時間を要します。さらに、約1カ月後には初回点検でアフターサービスの需要が一斉に発生するため、メンテナンス体制についても事前に整備しておく必要があります。

インド市場開拓前夜

Hondaがインドのバイク市場開拓を本格化させたのは1980年代にまでさかのぼります。当時インドでは主要産業の国営化を軸とした計画経済体制を敷いており、外国資本のHondaは現地資本との合弁会社でないと、現地に会社が作れないという制約がありました。そこでインドで幅広く事業展開している大手コングロマリットのヒーロー・グループ、そして当時インドバイク市場においてモペッド(原動機付き自転車)で高いシェアを獲得していた、カイナティック・エンジニアリング社との間で、バイク生産の合弁契約をそれぞれ締結。1984年、ヒーロー・ホンダ・モーターズ(HHML:Hero Honda Motors Ltd./通称ヒーロー・ホンダ)並びにカイナティック・ホンダ・モーター(KHML:Kinetic Honda Motor Ltd.)が設立されます。

自転車メーカーとして世界最大手であったヒーロー・サイクルを擁するヒーロー・グループと提携し設立したHero Honda Motors Ltd.(HHML) 自転車メーカーとして世界最大手であったヒーロー・サイクルを擁するヒーロー・グループと提携し設立したHero Honda Motors Ltd.(HHML)

その後1997年にKHMLを清算。そして1999年にインドで外資100%の法人設立が可能になったことで、インドにおけるHondaのバイク製造と販売を手掛けるHonda100%出資の現地法人としてHonda Motorcycle & Scooter India(HMSI)を設立しました。

市場の大半を占める100~150㏄のモーターサイクルはHHMLが、都市部中心に需要のあるスクータータイプのバイクはHMSIが手掛ける方向で差別化を図っており、この頃、HHMLは生産販売台数世界一位を記録、破竹の勢いを見せていました。

また、HMSIにおける生産第1号モデルであるACTIVA(アクティバ)は2001年の生産開始後、15カ月で累計生産10万台を達成し、その後インドの中型スクーター市場において50%以上のシェアを獲得。

こうしてHMSIは、新会社として確かな第一歩を踏み出したのでした。

HMSI生産第1号モデル・ACTIVA(アクティバ) HMSI生産第1号モデル・ACTIVA(アクティバ)

創業から5年を迎えた2004年、HMSIは初のモーターサイクルモデル・UNICORN(ユニコーン)を発表。それまでスクーターに絞って展開してきましたが、モーターサイクルにもラインアップを拡大させ、2005年には生産台数100万台を達成するまでに成長しました。

その後、2010年にHMSIとHHML両社は、今後も拡大が見込まれるインドのバイク市場において、さらに多様化するお客様のニーズに応え、互いが発展するためにはどうすべきか、最適な枠組みを探る協議を重ねました。結果、HondaがHHMLの全株式をヒーローに売却し、合弁を解消することとなったのです。

ヒーロー・グループとの合弁を解消したことで、その後はHonda単体=HMSIとしてシェアを獲得していかねばならなくなりました。

インドバイク市場開拓にあたり、市場の多くを占めるモーターサイクルの販売を伸ばすことは必須であり、そこには現場の並々ならぬ苦労があったのでした。

インドにおけるHonda 100%出資現地法人HMSI インドにおけるHonda 100%出資現地法人HMSI

インド市場開拓戦線

――市場を読み解け!「電話帳」で挑むトップ35戦略

ヒーロー・グループとの合弁解消を合意したことで、それまでHHMLとHMSIとで合わせて7割以上あった市場シェアはHMSI単体で10%台にまで落ち込むこととなりました。「3年で首位を奪還する」。これがHMSIの最大のミッションとなりました。

まず、地域ごとの特色に合わせた戦略を取れるよう、現場経験が豊富な百戦錬磨のべテラン社員が選抜され、各リージョンの地域事務所に駐在員として派遣されました。さらに現地アソシエイトの力を借りながら大規模なアンケート調査を実施し、全国約6,000ある行政区の中から重点的に攻略すべき35地域(トップ35)を選定しました。

リージョンごと、そしてリージョンに紐づくゾーン(区画)ごとの各種マーケティングデータを集めた資料は「電話帳」と呼ばれるほどの分厚い冊子となり、その後、幾つものバージョンの「電話帳」がリージョンとゾーンで作られました。そして、それに基づく戦略と実行がアソシエイトや販売店に徐々に根付いていき、トップ35をはじめ、各エリアでの販売実績に繋がっていきます。

「ベテラン駐在員から仕事を引き継ぐのは一筋縄ではいきませんでした。『電話帳』に基づく戦略と実行の両立をアソシエイトや販売店に根付かせようと、現場を駆け回る毎日でした」と語るのは、2014~2017年にインド東部地域事務所に営業駐在していた中村 嘉孝(写真中央) 「ベテラン駐在員から仕事を引き継ぐのは一筋縄ではいきませんでした。『電話帳』に基づく戦略と実行の両立をアソシエイトや販売店に根付かせようと、現場を駆け回る毎日でした」と語るのは、2014~2017年にインド東部地域事務所に営業駐在していた中村 嘉孝(写真中央)

――「Honda is Honda」戦略

ヒーロー・グループとの合弁解消後、都市部中心にスクーターの販売は引き続き好調でしたが、モーターサイクル需要の高い中部や北東部を中心にHonda=ヒーローという認識が人々の間でまだまだ根強く、Hondaブランドとヒーローブランドを混同する消費者が少なくありませんでした。

そこでHondaが打ち出したのが、Hondaブランドの存在感を市場に再浸透させ、信頼を勝ち取るための「Honda is Honda(=HondaはHondaだ)」戦略でした。販売店にHondaの看板を設置し、F1や大型バイクが登場する「Hondaブランド」の世界観を伝えるアイコニックな動画を流したり、バスや電車にラッピングを施したり、ムンバイを中心に高い興行成績を収めていたヒンディー(ボリウッド)映画に出演する人気俳優アクシャイ・クマール氏を起用したCMを制作したりするなど、Hondaブランドの認知度向上のためにさまざまな施策を打ちました。こうした取り組みを通じて、インド市場におけるHondaのプレゼンスは着実に高まり、「Honda=本田技研工業のグローバルブランドである」という認識が広く定着していったのです。

――販売店を増やせ!

また、当時はHondaの販売店が少ない状況でした。そこで、お客様が「バイクを買いたいのに買う場所がない」ということがあってはならないと、インド全土で販売店の数を増やすことも急務だったのです。インド全体で年間100万台規模のHondaのバイクビジネスは販売店(ディーラー)オーナーにも魅力的に映り、Hondaと直接契約しているディーラー以外にも、直接契約関係にないサブディーラーや、部品販売・サービスだけを手掛けるセカンダリーディーラーなども含めてその数を増やしていきました。

1日1店舗を増やす勢いで活動を続け、Hondaの店舗のないところに積極的に出店攻勢をかけました。その結果、2010年時点で約800店舗あった販売店数を2017年時点で5000店舗以上にまで拡大。販売店でHonda車を購入し、メンテナンスや部品交換で来店してもらう。そして、買い替え需要にも対応していくというサイクルをうまく回すことで利益を拡大する取り組みに注力していきました。

販売店の数を増やす活動のなかで特に苦労が絶えなかったのが、地方への出店でした。

――地方を開拓せよ!「Hondaルーラル戦略」

さまざまな取り組みに力を入れてきたインド駐在経験メンバーたちが「涙なしでは語れない」と口をそろえるのが「ルーラル戦略」です。ルーラルは「地方」を意味し、「ルーラル戦略」はインドの中でも最も保守的な地方エリアへの出店攻勢を意味します。2010年代前半〜中盤にかけて、インドのバイク販売に占めるスクーターの割合は全体の25%程度。残りはモーターサイクルが占めていました。そしてモーターサイクルは地方のほうが多く売れる傾向にあります。当時、Hondaは都市部を中心に出店しており、地方の販売店がまだまだ少ない状況にありました。従ってシェア獲得に向け、モーターサイクル需要の高いルーラルエリアにも出店を急ぐことになったのです。

公共交通機関の発達していないルーラルには車でしか行く手段がなく、当然日帰りで行けるような距離にはありません。道路が整備されていないため、時速30~40㎞しかスピードの出ない中、路面の悪い道を車で駆け抜ける4泊5日の旅が始まります。道中の宿泊先ではシャワーのお湯が出ず、寝床も堅いのが当たり前。それでも、「横になれるだけマシ」という状況で、車中泊となることもしばしばでした。

ルーラル訪問中の道中 ルーラル訪問中の道中
「エリアごとにリレー形式で付き添ってくれる現地アソシエイトはもちろんのこと、1週間一緒に地方を回ったドライバーとも、もはや戦友のような絆が生まれました」と語るのは、2014~2018年まで、北部・西部の地域事務所にサービス担当として駐在していた吉玉弘基(写真右) 「エリアごとにリレー形式で付き添ってくれる現地アソシエイトはもちろんのこと、1週間一緒に地方を回ったドライバーとも、もはや戦友のような絆が生まれました」と語るのは、2014~2018年まで、北部・西部の地域事務所にサービス担当として駐在していた吉玉弘基(写真右)

到着すると、まずは聞き込みをしてサルパンチと呼ばれる「村の長」が誰なのかを探し出しました。そしてアポイントを取ってHondaについて一通り説明を行い、理解してもらったのち、出店を許可してもらうという、地道な商談交渉が始まります。村社会においては、新しい商品よりも「みんなが買っているもの」が選ばれやすく、特に所得が低い地域では、買い物の失敗が許されないため、信頼できる人の意見(口コミ)を重視する傾向にあります。また、村の中で影響力を持つ人物の口コミが村全体に影響を与えるため、村の寄り合いなどを通じて信頼関係を構築し、そこから口コミを広げるというアプローチを粘り強く行いました。

「地方の主な情報源は口コミ。競合のモーターサイクルの牙城を切り崩すにあたり、地道な地方回りを繰り返しました」と語るのは2010~2015年にインド北部に営業駐在していた渡來嵩士(写真左) 「地方の主な情報源は口コミ。競合のモーターサイクルの牙城を切り崩すにあたり、地道な地方回りを繰り返しました」と語るのは2010~2015年にインド北部に営業駐在していた渡來嵩士(写真左)
インド北西部・ラージャスターン州のなかでも、かつて「未踏のルーラルエリア」とされていた地域。当時は「カメラを向けるのはNG」と言われるほど治安も良くなく、競合のモーターサイクルの寡占状態だった インド北西部・ラージャスターン州のなかでも、かつて「未踏のルーラルエリア」とされていた地域。当時は「カメラを向けるのはNG」と言われるほど治安も良くなく、競合のモーターサイクルの寡占状態だった
「営業とサービスは常に両輪の関係。特に地方部では『店があっても整備ができないと意味がない』という観点を重視し、サービス網の拡充にも力を入れていました」と語るのは2015~2020年にHMSI本社にサービス駐在していた高橋孝治(写真中央)。駐在中はカスタマーサービスオペレーションの統括に従事し、地域を訪問、現場に沿ったアドバイスを実施。インドのアフターセールスオペレーション向上に向けての施策展開を販売店オーナーとともに行った 「営業とサービスは常に両輪の関係。特に地方部では『店があっても整備ができないと意味がない』という観点を重視し、サービス網の拡充にも力を入れていました」と語るのは2015~2020年にHMSI本社にサービス駐在していた高橋孝治(写真中央)。駐在中はカスタマーサービスオペレーションの統括に従事し、地域を訪問、現場に沿ったアドバイスを実施。インドのアフターセールスオペレーション向上に向けての施策展開を販売店オーナーとともに行った

営業担当者たちによる地道な出店活動の末、ようやく販売店を構えることができても、需要が見込めずに閉店を余儀なくされる――時にはそんなケースもありました。

こうした反省を次に生かし、現地に店舗を構えるほど需要が大きくない地域では、お客様に直接商品やサービスを知っていただくため、ディーラーが用意してくれたキャラバントラックで現地を回りました。そして、村の広場で期間限定のワークショップを開催し、商品訴求を行うといった工夫もしました。また、農業が主産業となる地域ではトラクターの展示会に出展するなど、Hondaブランドの認知度アップに向けた地道な活動を継続。トライアンドエラーを繰り返しながら販売を拡大していきました。

ルーラルでの、キャラバントラックプロモーション(左)とワークショップの様子(右) ルーラルでの、キャラバントラックプロモーション(左)とワークショップの様子(右)

結果、2011~2015年の4年間で、Hondaのバイクシェアは約15ポイント上昇。地道な営業・サービス努力は着実に実を結んだのでした。

変わるインド、変わるバイク。進化するニーズに応える

――コロナ禍にデジタル化を推進

2020年初頭から世界的に広がったコロナ禍は多くの犠牲者を出し、そのなかにはHMSIの現地アソシエイトも含まれました。街がロックダウンされるなか、販売店スタッフのワクチン接種の義務化や店頭での消毒液の塗布など、お客様・従業員の双方が安心できる環境作りに腐心しました。1994年から毎年発表されている顧客満足度は例年1位。お客様に支持されるHondaであり続けるため、コロナ禍でも全力を尽くしました。

「混乱の中で、引き継ぎもお別れ会もろくにできなかった」(矢羽田昌 [写真右から2番目] /2019~2024年HMSI本社サービス駐在)インドにおけるコロナ禍は、業務的にも人間的にも非常に大きな試練だった 「混乱の中で、引き継ぎもお別れ会もろくにできなかった」(矢羽田昌 [写真右から2番目] /2019~2024年HMSI本社サービス駐在)インドにおけるコロナ禍は、業務的にも人間的にも非常に大きな試練だった

そんななか、インド市場開拓のモットーは「常に新しいことに挑戦する。走りながら考える」でした。ディーラーマネージメントシステムを改良し、記録やデータの確認がタブレット上でできる仕組みを取り入れたこともその一つです。顧客のスマートフォンに「整備中」「洗車中」と整備の経過が確認できるように整えた「スマートワークショップ」という取り組みもこの頃からスタートしました。

――走る楽しさを「体験」に。お客様と共に創るビッグウイングの世界

2020年頃、コロナ禍での移動制限・海外旅行の減少をきっかけに、旅行の代わりにバイクでのツーリングを楽しむ人々が増えていきました。加えて、インド市場の経済成長に伴い、日常の移動手段としてのバイクから、「自分らしさ」を表現する、趣味性の高いバイクへステップアップしたいというニーズが着実に広がっていることが明らかになってきました。そこで、赤い翼のシンボルマークを冠した従来の「レッドウイング」販売店(小型の100〜125ccのスクーターやモーターサイクルをメインに取り扱う販売店)に加え、より「Fun(=楽しさ)」や「趣味」寄りの中・大型サイズのバイクを求めるお客様ニーズに応え、新しい生活スタイルを提案する「ビッグウイング」ブランドを2020年に旗揚げ。「Excites the World(世界を魅了する)」をブランドコンセプトに、店舗拡大に着手したのでした。CB350(日本国内ではGB350のモデル名で販売)を皮切りに、排気量350㏄の中型モデルを主軸に市場投入し、大型モデル等を順次ラインアップに加えていきました。

ビッグウイング販売店にて ビッグウイング販売店にて

中・大型バイクの競合に対し、Hondaはグローバルなレース活動・先進技術・品質の強みを生かした「グローバルブランド」としての世界観・優位性を積極的に訴求。

また、CB350シリーズをビッグウイングで購入してくださったお客様に、各地域で一緒にツーリングに参加できるというイベントも企画し、商品魅力そのものに留まらない、ビッグウイングモデル×唯一無二の体験を提供する「コトづくり(『モノ』ではなく、『体験や意味』を重視した価値づくり)」にも注力しました。

HMSI本社にて開催された、ビッグウイング店のお客様を招致してのライディングイベント HMSI本社にて開催された、ビッグウイング店のお客様を招致してのライディングイベント

こういったお客様ニーズに沿ったマーケティング・営業活動が実を結び、ビッグウイングの販売店は2020年の旗揚げから約3年で、主要都市を中心に150店舗にまで拡大しました。

「インドでHondaファンが日に日に増えているのはインドから離れてもやはりうれしいものです。現場にいた当時、失敗することで叱られた記憶はなく、むしろチャレンジを躊躇(ちゅうちょ)することを咎め(とがめ)られるような文化が根付いていたので、自己成長が加速した駐在経験でした。温かくも厳しいご指導をいただいたHMSI諸先輩方には感謝しかありません」と語るのは2021~2024年にインド ビッグウイング部に営業として駐在していた今村隆介(写真右)。駐在中はビッグウイング営業戦略・商品企画に従事した 「インドでHondaファンが日に日に増えているのはインドから離れてもやはりうれしいものです。現場にいた当時、失敗することで叱られた記憶はなく、むしろチャレンジを躊躇(ちゅうちょ)することを咎(とが)められるような文化が根付いていたので、自己成長が加速した駐在経験でした。温かくも厳しいご指導をいただいたHMSI諸先輩方には感謝しかありません」と語るのは2021~2024年にインド ビッグウイング部に営業として駐在していた今村隆介(写真右)。駐在中はビッグウイング営業戦略・商品企画に従事した

――止まるな! 走り続けろ!

「とにかくトライアンドエラー。止まるな、走れ、チャレンジしろ。インドの人たちを喜ばせるために何ができるかを、常に走りながら考えろ」が現場の合言葉だったと、インド駐在経験メンバーは当時を振り返ります。

営業担当者がサービスメンテナンスにも気を配り、サービス担当者が営業のマインドを持って接客して次の購入につなげていく。駐在員も現地アソシエイトも少人数体制の中、担当領域の垣根を越えて連携を行いました。

販売増加に伴うサービス体制の強化や品質の維持、日常使いのバイクと趣味のバイクとで二極化する市場ニーズにどう対応するか、地方におけるHondaブランドのさらなる強化等、取り組むべき課題は盛りだくさん。加えて、女性の就業率の低さが社会的な課題となっているインドにおいて、HMSIでは生産現場を含むあらゆる職場で、女性が働きやすい環境づくりを推進。2030年までに全従業員に占める女性比率を30%に引き上げるという目標を掲げ、会社全体でその実現に向けた取り組みを着実に進めています。

インドのお客様にHondaのバイクを通じて「自由で楽しい移動の喜び」と「生活が変わる・豊かになる喜び」を提供するため、そしてインドで存在を期待され続ける企業になるために、Hondaの挑戦は続きます。

We are No.1! We are No.1!

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